明治24年(1891)の大火で焼失した信濃善光寺さんの仁王門が再建されたのが、100年前の大正7年(1918)。落慶法要は3月に行われたそうです。ただ、光太郎の父・光雲と、その高弟・米原雲海による阿吽の仁王像、三面大黒天像、三宝荒神像はそれには間に合わず、翌大正8年(1919)に開眼法要が営まれました。
そのあたりの100周年を記念するイベントが開かれています。
SBC信越放送さん発のローカルニュースから。
善光寺仁王門再建100年を記念・北側の像のライトアップ開始
長野市の善光寺の仁王門で、再建100年を記念した北側の像のライトアップがはじまりました。
ライトアップされたのは善光寺仁王門の北側に安置されている「三宝荒神像」と「三面大黒天像」です。
仁王門の像は南を向いた仁王像が有名ですが、仁王像と同じく高村光雲と米原雲海が制作した北側の高さ2メートルほどの木像の存在はあまり知られていませんでした。
通りかかった女性は「よく通るが、これまでぜんぜん気付かなかった。すごくきれいだと思った」と話していました。
ライトアップは仁王門の再建100年にあわせて行われ、参拝客などが闇に浮かび上がる木像をカメラで写していました。
ライトアップは朝6時から夜8時まで毎日行われます。
ライトアップされたのは善光寺仁王門の北側に安置されている「三宝荒神像」と「三面大黒天像」です。
仁王門の像は南を向いた仁王像が有名ですが、仁王像と同じく高村光雲と米原雲海が制作した北側の高さ2メートルほどの木像の存在はあまり知られていませんでした。
通りかかった女性は「よく通るが、これまでぜんぜん気付かなかった。すごくきれいだと思った」と話していました。
ライトアップは仁王門の再建100年にあわせて行われ、参拝客などが闇に浮かび上がる木像をカメラで写していました。
ライトアップは朝6時から夜8時まで毎日行われます。
地方紙『信濃毎日』さん。
善光寺 再建100年 北側の2像、照明で光を
長野市の善光寺仁王門で、仁王像の北側に安置されている三宝荒神(さんぽうこうじん)像、三面大黒天像を照らし出す照明設備が設けられ、5日夜に初点灯された。仁王門が今年、再建100年の節目を迎えたのに合わせた。門の北側にあり、南側の仁王像に比べて目立たない両像をアピールする目的で、6日以降は午前6時~午後8時に照らす。
同寺事務局によると、両像は木造で彩色され、高さは3メートル弱。三宝荒神は火よけの神として祭られ、三面大黒天は、参拝者が豊かで心安らかにいられるよう願いが込められている。1919(大正8)年、仁王像2体と併せ、彫刻家高村光雲(1852~1934年)と弟子の米原雲海(1869~1925年)が制作した。
門の北側にあるため日中も日が当たらず、のぞき込まないとよく見えない状態だった。同寺は来秋までの1年間を、仁王門再建100年・仁王像造立100年の「記念イヤー」と位置付けており、照明整備はその取り組みの一環。像の名称や由来も近く掲示する。
この日は現地で点灯式があり、読経した小林順彦(じゅんげん)・寺務総長(53)は「記念の年に改めて像の価値を見つめ直したい。参拝の際には手を合わせてほしい」と願っていた。
こちらが北側二像の古絵葉書。
たしかに、参道正面の仁王像に比べれば、目立たない存在ではありますが、いずれも優品です。その試作(ひな形)も善光寺さんに納められていますが、平成27年(2015)には、東京芸術大学保存修復彫刻研究室さんにおいて補修も行われました。本堂西側の日本忠霊殿1階・善光寺史料館さんで観ることができます。
『信毎』さんの記事によれば「来秋までの1年間を、仁王門再建100年・仁王像造立100年の「記念イヤー」と位置付けており」とのことですので、今後もいろいろありそうですので、注意しておこうと思います。
【折々のことば・光太郎】
わたくしは世に已み難いものにのみ心を動かす。
散文「黄瀛詩集「瑞枝」序」より 昭和9年(1934) 光太郎52歳
「已み難い」は、光太郎の口癖でもあったそうです。