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「十和田湖乙女の像のものがたり」朗読劇。

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16日(土)、17日(日)、過日ご紹介した劇団エムズ・パーティーさんによる「十和田湖乙女の像のものがたり」朗読劇が上演されました。

地方紙に載った予告の記事はネット上に出たのですが、上演されたという記事がネットで発見できず、困っておりましたところ、十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会さんの方から、PDFファイルを戴きました。初日の公演を報じた記事でした。 

美しい十和田湖いとおしく 乙女の像さらに身近に 地元劇団、建立物語を朗読

 十和田市の劇団「エムズ・パーティー」が16日、十和田市で朗読劇、「乙女の像のものがたり」を上演した。約30人が像建立までの美しいストーリーに聴き入った。
 「乙女の像のものがたり」は十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会が2年間の調査結果をまとめ、2015年に発行した。会場の十和田市観光交流センター「ぷらっと」は乙女の像が立つ湖畔の休屋にある。
 劇では高村光太郎と智恵子との出会いや死別、乙女の像の建立に動く地元の奮闘などが紹介された。
 同市の小学校教諭・白川星智さん(42)は鑑賞後、「近くに住んでいたが像のことも高村さんのこともよく知らなかった。これを機にまた勉強して周りに広めていきたい」と感想を語った。
 劇団代表の仲島みちるさんは「子どもたちに、乙女の像は素晴らしい人々が関わってできたと知ってほしいし、地域に愛着や誇りを持ってもらいたい。観光振興の一助にもなれば」と話す。
 朗読劇は17日午後3時から、同市の市民交流プラザ「トワーレ」でも開かれる。入場は無料。
(2016/04/17 『東奥日報』)

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光太郎の人生 感情豊かに 「乙女の像のものがたり」劇団が朗読劇上演

 十和田市の劇団「エムズ・パーティー」(仲島みちる代表)は16日、十和田湖畔休屋の十和田湖観光交流センター「ぷらっと」で、朗読劇「乙女の像のものがたり」を上演し、像の作者で詩人である高村光太郎の波乱に満ちた人生を感情豊かに伝えた。
 この朗読劇は、十和田八幡平国立公園の指定80周年を記念し、十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会が編集した冊子を基に制作した。上演時間は約50分。
 会場には約40人が来場した。団員は、場面を伝えるナレーションとスクリーンに映し出される画像に合わせ、立ち上がってせりふを朗読。光太郎と妻智恵子との出会い、光太郎に像の制作が依頼される過程、制作の状況などを生き生きと演じた。
 来場者は、十和田湖を象徴する乙女の像にまつわるエピソードに興味深く見入っていた。
 この朗読劇は、17日午後3時から、十和田市民交流プラザ「トワーレ」で行われる。入場は無料。
(2016/04/17 『デーリー東北』)

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17日の公演については、十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会さんのサイトに記述があります。こちらは市街地ということもあり、100名ほどの観客があったとのこと。当初、60名の定員で告知がされましたが蓋を開けてみれば遙かに多く集まったようで、しかし、閉め出さずに皆さんに聴いていただいたというのは神対応ですね。

 最終日、十和田市トワーレ会場の様子です。
 定員を大幅にオーバーし、お手伝いで参加した私は準備等に焦りました。
 100人ほど、ビチビチで鑑賞していただきました。
 乙女の像のものがたりの本の中から「乙女の像ものがたり」を抜粋し、朗読劇で披露してくれたエムズパー
 ティーの皆さんの熱演ぶりに涙がでました。
 生で感じる空気に、どっぷり物語の中に引き込まれてしまい本当に感動でした。
 アンケートや、来場の皆様からは
 「また、見たい。」
 「乙女の像って、こんな経緯で建ったんだ〜」
 「市の文化祭に発表してください」
 「学校でも、やってください」
 など、大変嬉しい声をいただきました。
 そうそう、最後に「湖畔の乙女」の歌が流れたのですが、会場は大合唱でした。
 えっ!?
 皆、知ってるんだ!!
 一冊の本が、朗読劇という表現で「乙女の像」について、皆さんに感動を与えてくれたことに感謝いたしま
 す。
 スクリーンの前には、連翹とレモンが添えられていました。
 光太郎と智恵子さんも、仲良く観ていたのでしょうか・・・

「湖畔の乙女」についてはこちら

さらに当日撮影された画像と短い動画も送って下さいました。全編を撮影した動画も後ほど下さるそうです。感謝。

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スクリーンの左下に写っている白い頭は、小山田十和田市長、右のピンクの服の方々は、花巻市からいらした観光ガイドの方々だそうです。ありがたいですね。

メールには「観終わった方たちは、こんな素晴らしい話があっことを知らなかった、もっと子どもたちに教えたほうがいい、と興奮気味でした。」「朗読劇に取り組んだ、劇団エムズパーティーでは、DVDの作成や、外国語版なども作りたいと話していました。」とありました。話半分に聞いても、原作者としては嬉しい限りです。もっとも、原作といっても、誰が書いても同じような話になるわけで、それだけ光太郎智恵子その他の生き様が鮮烈だったということですね。

エムズ・パーティーさんもお忙しいとは存じますが、いろいろなところで再演されることを望みます。


【折々の歌と句・光太郎】

花やいかに歌やいくつのさてつらきただ春の雨むらさきなりき
明治34年(1901) 光太郎19歳

この時期の作には鉄幹与謝野寛の添削がかなり入っているということですが、「雨」を「むらさき」と見るあたりに造形作家としての特別な目が感じられます。



十和田からニュース。

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昨日、青森県十和田市で開催された「乙女の像のものがたり」朗読会について書きました。その流れで十和田からの報道を2件、ご紹介します。

また十和田湖・奥入瀬観光ボランティアガイドの会さんの方からメールを戴き、添付されていました。地方紙『デーリー東北』さんの記事です。 

観光推進へ連携確認 TMG48とはなまきコンシェル 交流会互いに活動紹介

 岩手県花巻市の観光案内に取り組む市民団体「はなまきコンシェル」の6人が17日、十和田市を訪れ、地元の女性グループ「TMG48(トワダもてなしガールズ)」と交流した。互いの活動や観光スポットなどを紹介し合い、両市の観光推進で連携することを確認した。

 両市は、十和田の開拓を先導した新渡戸家ゆかりの友好都市であるほか、十和田湖畔の「乙女の像」を制作した高村光太郎が花巻に住んでいた縁もある。
 今回の来訪は、TMG48が昨年、花巻市のわんこそば大会に出向き、交流の話が持ち上がったのがきっかけ。同日、乙女の像の朗読劇が十和田市で上演されるのに合わせ、花巻側から研修を兼ねて訪れた。
 交流会は市内の店舗で開催された。TMG48の前田美保子代表ら6人と特産野菜キャラ「十和田ねぎん」が歓迎。官庁街通りでの「さくら案内所」の運営や各種イベントの受け付けなど活動内容を説明し、馬産地にちなんだかぶり物「ウマジン」も紹介した。
 前田代表は「活動を通して私たちも十和田のことをいろいろ覚えた。一緒に楽しむ友達の輪が広がっている」と強調した。
 はなまきコンシェルは帽子やマントを身に着けて宮澤賢治になった気分で写真を撮るサービスなどを披露した。互いの地域に伝わる昔話も披露し、“お国自慢”で盛り上がった。
 はなまきコンシェルの高橋孝子さんは「同じような活動があって親近感がわいた。今後も情報を交換し交流を深めたい」と話していた。
(2016/04/20)
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記事にもあるとおり、「はなまきコンシェル」の皆さん、「乙女の像のものがたり」朗読劇をご覧下さったとのこと。

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こうした民間レベルでの草の根交流も大切なことと存じます。当方、「はなまきコンシェル」さんという団体は存じませんでしたが、今年も複数回花巻に出向きますので、その際にお会いできるかも知れません。


もう1件。仙台に本社を置く『河北新報』さんの記事がネットで閲覧できました。 

<十和田湖>遊覧船1社体制でシーズン開幕

 青森、秋田両県にまたがる十和田湖で15日、観光シーズンの幕開イメージ 1けを告げる遊覧船の運航が始まった。競合する2社のうち1社が事業を廃止し、今年からは1社体制になる。

 十和田観光電鉄(青森県十和田市)が奥入瀬渓流に近い子ノ口(ねのくち)地区と乙女の像がある休屋地区を結ぶコース、休屋地区発着の周遊コースを運航する。所要時間はそれぞれ約50分で、11月14日まで1日最大計18便が出る。
 十和田湖の国立公園指定80周年を迎え、今年は7月に休屋地区で記念式典やマラソン大会がある。参加者の輸送にも遊覧船を活用し、湖の魅力を発信する。

 遊覧船を巡っては、経営破綻した青森市の会社の船を引き継いだ十和田湖遊覧船企業組合が2014年8月に運航を再開。労使対立などから今年2月に事業を廃止した。10年前、30万人以上いた利用客はここ数年、10万人台前半まで減った。

 初日は悪天候で予定した計11便が欠航した。十和田観光電鉄の白石鉄右エ門社長は「1社になっても湖観光のシンボルである遊覧船の位置付けは変わらない。年間12万5000人の利用を目標に安全運航に努める」と語った。料金は大人1400円、小学生700円。連絡先は同社0176(75)2909。
(2016/04/16)

十和田湖といえば、遊覧船。当方も2回、載せていただきました。新幹線や飛行機、車などのスピード社会にある意味逆行するゆったりのんびり感もまたいいものです。

しかし、現状としてはいろいろ厳しいようです。

記事に有るとおり、一昨年には2社が運行していたのですが、もう片方の会社はどうも当初からいろいろあやしいところがあり、結局、廃業してしまいました。現行の十和田湖観光電鉄さんには、地道に頑張っていただきたいものです。

昨夜、テレビ東京系の経済番組「カンブリア宮殿」で、当方の住む千葉県のローカル線「いすみ鉄道」さんを取り上げていました。題して「本当の価値で客を集めろ!赤字鉄道の感動再生術」。国鉄民営化後に第三セクターとして存続したものの、人口減などで利用客数が激減、廃線の危機まで落ち込んだ同線の業績が、様々なアイディアでV字回復、という話でした。

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ローカル鉄道と遊覧船では立ち位置に異なる点も多々ありましょうが、こうしたノウハウは遊覧船にも活かせないかな、と思いました。

ちなみに明日から、青森と八戸から十和田湖へのバスが運行されるそうです。いよいよ十和田も観光シーズン本格化。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

花に立つ人よふたたび傘とぢず蝶の片羽(かたは)に小雨そぼふる
明治34年(1901) 光太郎19歳

蝶の姿も普通に見られるようになりました。また、当方自宅兼事務所の庭では、ハナミズキの花が盛りを迎えつつあります。

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高村光太郎記念館講座 「高村光太郎の足跡を訪ねる~花巻のくらし~」。

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花巻市の広報紙『広報はなまき』の記事です。 

高村光太郎記念館講座 「高村光太郎の足跡を訪ねる~花巻のくらし~」

疎開のため花巻に身を寄せた光太郎が滞在した佐藤隆房邸や高村光太郎記念館、高村山荘など、ゆかりの地を巡ります。

【対象】 市内に在住または勤務する方
【日時】 5月14日(土)、午前9時30分~午後3時
【集合場所】 まなび学園
【定員】 20人(抽選)
【受講料】 無料
【申込期限】 5月2日(月)
【問い合わせ・申し込み】 生涯学習課(緯内線418)


翌日には光太郎が7年間を過ごした郊外旧太田村(現・花巻市太田)の山小屋=高村山荘で、第59回高村祭が行われます。こちらはまだ詳細な情報が出ていません。

それとセットで行おう、ということで、メインは佐藤隆房医師邸の公開です。

こちらにある離れは、光太郎が旧太田村の山荘に移るまでの1ヶ月あまりを過ごした場所です。「潺湲楼(せんかんろう)」と命名し、太田村移住後も、花巻町に出て来た時にはここを拠点にすることがたびたびありました。

こちらは光太郎が居た当時の室内。智恵子の紙絵、それから佐藤医師に請われて書いた「」(「いくいく」または「えきえき」)の書などが写っています(ともに現在は花巻高村光太郎記念館所蔵)。

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下記は現在の様子です。

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昨年暮れに花巻を訪れた際、この計画を聞き、急遽、下見のため中に入れていただきました。

14日当日は、当方も参上します。ただ、今年初めてこういう試みをやるということで、対象はあまり広げずに花巻市内在住及び勤務の方となっています。今後、広く参加を募ったり、他の日程で団体さんの視察等を受け入れたりすることも視野には入れているようですが。

花巻というと、どうしても花巻出身の宮澤賢治の方がメインですが、光太郎が行った賢治のプロデュースの功績
も、もっと光が当たってほしいものです。

実は当方、秋にはそのあたりの内容を、花巻で講演いたします。詳細はまた近くなりましたら。


【折々の歌と句・光太郎】

よからずや垣根にちさき名なし草世にさびしきも花の色なり
明治35年(1902) 光太郎20歳

自宅兼事務所の垣根にはこんな花が咲いています。名前が分かりません。

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「ロープウェイ」運行開始 安達太良山の自然を満喫。

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今日の『福島民友』さんの記事です。 

「ロープウェイ」運行開始 安達太良山の自然を満喫

 二本松市奥岳温泉の富士急安達太良観光(稲葉通彦社長)が安イメージ 1達太良山麓で運行する「あだたら山ロープウェイ」は23日、グリーンシーズンの運行を開始した。運行は11月6日まで。初日は同市が今春から展開するインバウンド(訪日旅行)事業で訪れた台湾からのツアー客も利用し、残雪の安達太良山の自然を満喫した。
 ロープウエーは麓から山頂駅までを約10分間で結び、雄大な眺望が満喫できる。高村光太郎の詩集「智恵子抄」で「ほんとの空」とされた青く澄みきった空や絶景の大パノラマも楽しめる。
 運行は午前8時30分~午後4時30分。料金は往復で中学生以上1700円(税込み)、4歳~小学生1300円(同)。ロープウエーの乗り場近くには昨年12月、日帰り温泉施設「あだたら山奥岳の湯」もオープンした。料金は中学生以上600円(税込み)、4歳~小学生400円(同)。営業時間は午前10時~午後5時。
 安達太良山は5月15日が山開きで、ロープウエーを利用すれば標高1700メートルの山頂までは約1時間30分。山開き前日の5月14日~6月5日は、スキー場のゲレンデにイルミネーションを施す「あだたらイルミネーション」が行われる。


単純に「ロープウェイが運行再開」でなく、光太郎・智恵子の名を出して下さり、ありがたいかぎりです。

「あだたら山ロープウェイ」さんのサイトはこちら。「光太郎と智恵子について」というリンクも作って下さっています。感謝。

記事にあるとおり、安達太良山ではイルミネーションが来月14日から、山開きが15日に行われますが、また近くなりましたら詳細をご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

われおろか春ゆくさきの野にまどふ路かへたまへ水はあふれぬ
明治34年(1901) 光太郎19歳

四月も末となり、春は往く、という感じになって参りました。

二本松の魅力語る 「さくら展」トークショー 。

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昨日は『福島民友』さんの記事「「ロープウェイ」運行開始 安達太良山の自然を満喫」をご紹介しましたが、今日は『福島民報』さんの記事から。

何度かご紹介した、二本松市大山忠作美術館さんの「二本松さくら展」に関してです。 

二本松の魅力語る 「さくら展」トークショー

 二本松市の大山忠作美術館特別企画展「イメージ 1二本松さくら展」のスペシャルトークショーは23日、女優の吉沢京子さんを迎え、同美術館が入る市民交流センターで開かれた。
 さくら展実行委員長を務める女優の大山采子(一色采子)さんとさくら展の見どころや二本松の魅力などをテーマに話した。
 吉沢さんは「会場いっぱいに桜のパワーがあふれている。名画を間近で見て、奥行きや空気感を実感した」と感想を語った。「二本松の桜の多さにも驚いた。霞ケ城公園の天守台からの眺めは素晴らしい。まさしく『ほんとの空』が広がっている」とも絶賛した。
 会場には400人以上が詰め掛け、華やかなトークに聞き入った。
(2016/04/24)


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一色さんと吉沢さん、昨年、同じ舞台で共演されていることから、今回のコラボが実現したのだと思われます。松竹創業120周年特別公演の「舞踊 錦絵 夏すがた」でした。

吉沢さんのブログを拝見しましたところ、『福島民報』さんの記事になっているトークショーの様子や、前日に智恵子の生家などを訪れられたことが書かれていました。ありがとうございます。

「二本松さくら展」は来月8日まで。期間中の土日、祝日(今週後半からゴールデンウィークですね)には、智恵子の生家で通常非公開の2階部分(智恵子の部屋を含む)の公開も行われています。くわしくはこちら

また、追ってご紹介しますが、安達太良山ではイルミネーションが来月14日から、山開きが15日に行われます。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

桜ちり木蘭おちて春は往(い)ぬ往ね往ね夏よ魂よみがへせ
明治37年(1904) 光太郎22歳

東北では春真っ盛りでしょうが、ゴールデンウィーク、というと、こちら南関東ではいよいよ「初夏」という感覚です。


『映画「高村光太郎」を提案します 映像化のための謎解き評伝』。

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注文しておいた新刊書籍が昨日届きました。昨日のうちに一気に読みました。 

映画「高村光太郎」を提案します 映像化のための謎解き評伝

2016/04/30 福井次郎著 言視舎 定価1,800円+税
 
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★今年は没後60年。人間・高村光太郎の数々のドラマを追うには、映画化が一番! 大正・昭和期の映画を徹底して研究してきた著者が、映像化のための企画書を内包した異色の評伝に挑む。
★なぜ智恵子は自殺しようとしたのか? なぜ「戦争協力詩」を書いたのか? 花巻への隠棲とは? 十和田湖「乙女の像」のモデルは? ……数多の謎を解き、光太郎研究に新視点をもたらす。
★『智恵子抄』の新しい読み方も提案。

★目次
 第一章 高村光太郎という迷宮
 第二章 ミステリー『智恵子抄」
 第三章 不可思議なる転向
 第四章 「乙女の像」の謎 ほか


著者の福井氏は、「映画評論家」という肩書きをお持ちの方です。そこで、光太郎の生涯を映画化できないか? という提言のために書かれた光太郎評伝です。このブログでも何度かご紹介した昨年公開の小栗康平監督映画「FOUJITA」にからめ、光太郎の生涯を追えば、もっと面白い作品が作れる、という提言。その通りだと思います。

著者のスタンスは、冒頭の「はじめに」に記されています。赤字の部分は、同書で太ゴシックで組まれている部分です。

本書は詩論や文芸評論の類いの本ではないことを断っておく。また光太郎の彫刻や油絵、書について論じた本でもない。本書の関心はあくまで人間「高村光太郎」にある。人間「高村光太郎」の映画化を提案することによって、彼の実像を明らかにすることを目的としている。

また、「光太郎が取った実際の行動から彼の人間像にアプローチするという方法を取っている」「光太郎が書いたものより周囲の証言に重点を置いている」とのことでした。

本文は4章に分かれ、光太郎の生涯を俯瞰。各章はいくつかの項から成り、それぞれの終末に「映画化のポイント」という稿が付されています。そちらは映画の企画書のような体裁。中々面白い手法だなと思いました。

全体に、光太郎に対する健全なリスペクトの念が感じられます。また、映画化という前提のもとにわかりやすく光太郎の生涯を俯瞰しようとする手法には、感心させられました。時に大きな矛盾を抱え、智恵子を犠牲にしたり、大政翼賛に与したりしながらも、「求道」の生涯を送った光太郎の姿が、鮮やかに描かれています。

エラいセンセイたちが研究機関の紀要等にノルマや〆切に追われて無理矢理書く「詩論」や「文芸評論」(とにかく対象を批判しなければ気が済まない)、在野の「自称研究者」が自己顕示のために書くわけのわからない独断
のような「イタさ」は感じません。

資料も豊富に読み込まれています。驚いたのは、前半部分を当方が執筆した『十和田湖乙女の像のものがたり』をだいぶ参考になさって下さっていること。感謝です。

ただ、固有名詞の誤りが少なからずあったり、年号や事実関係にも勘違いが見受けられたりするのが残念ですが、それを差し引いても優れた書籍です。

ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

まよひゆく花野のおくぞきはみなきいづこを果と此身は捨てむ
明治35年(1902) 光太郎20歳

光太郎の生涯、ということに思いを馳せると、この短歌が思い浮かびます。

「国際シンポジウムThe Study of Modern Japanese Sculpture」記録。

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昨年、イギリスのヘンリー・ムーア・インスティテュートさんと、武蔵イメージ 3野美術大学さんとの共同企画により、日英それぞれで「近代日本彫刻展(A Study of Modern Japanese Sculpture」が開催されました。

英国展は1月28日~4月19日、日本展は5月25日~8月16日。当方、日本展のみ拝見に行きました。

それぞれ光太郎の彫刻作品も展示されました。英国展では「手」(東京国立近代美術館蔵)、「白文鳥」。日本展ではそれにプラスして、朝倉彫塑館蔵の「手」も。2点の「手」は、ともに大正期に鋳造、台座の制作も光太郎自身と推定されるものです。

関連行事として、昨年の7月17、18の2日間、「国際シンポジウム The Study of Modern Japanese Sculpture」が、武蔵野美術大さんで開催されました。日英、さらに米韓の研究者も参加しての、内容の濃いものでした。こちらは存じませんでした。

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その全ての発表、発言を記録した冊子が先月作成されたということで、当方、武蔵野美術大さんから戴いてしまいました。以前に同展の図録をお送りいただいていましたので、住所等ご存じだったようです。

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一昨日届きまして、一気に読みました。そして、刮目しました。日本近代彫刻の特異性(西洋のそれと比較しての)、その中で光雲・光太郎の系譜が果たした役割などについて、一つの解答が提示されているように感じました。

江戸時代までの仏像彫刻、置物などから、維新後の文明開化の中で、どのように西洋彫刻の概念が取り入れられて行ったのか、そして変容した点としなかった点、さらにロダニズム的なものの受容、そうした中で特異な様相を示した日本近代彫刻。結局、「彫刻とは何か」という根源的な問いにまで遡る必要性があると結ばれ、まだまだ研究の余地はたくさんありそうですが、今後の研究の方向性に大きく啓示を与えるものだと感じました。

冊子は約150ページ、図版も豊富です。市販されず、研究室のプリンタと簡易製本機による制作だそうですが、それではもったいない気がしました。そこで礼状にはぜひ市販する方向でご検討下さい、的なことを書いておきました。

実現して欲しいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

野がくれの葉かげの寂し小花(をばな)にも厳たり神の威は漏らす無き
明治37年(1904) 光太郎22歳

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自宅兼事務所の庭、シロツメクサです。刈っても刈っても繁茂する旺盛な生命力には驚かされます。

第62回安達太良山山開き ほんとの空がここにある。

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智恵子の故郷、福島は二本松からのイベント情報です。 

第62回 安達太良山 山開き

2016年5月15日(日)

今年はふくしまアフターDCの中で迎える第62回安達太良山の山開き!
山頂での行事に加え、ふくしまアフターDC記念としての企画もございますので、皆さんお誘い合わせの上、お越しください! 

【お問い合わせ】  安達太良連盟事務局(二本松観光協会)TEL:0243-55-5122

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◆山頂イベント◆
 10:00~ ふくしまアフターDC記念山開き参加ペナント配布(先着3,000名)
 11:00~ 安全祈願祭
 11:20~ Ms.あだたらコンテスト(ミズ1名、準ミズ1名、入賞6名)
  (未婚、既婚は問いません。入賞者には記念品を贈呈します。)

 ※山頂の天候次第で、途中で中止となったり、予定していた時間も変更となる場合があります。
 ※雨天の場合は、山頂イベントは中止し、奥岳登山口入口にて8時からペナント配布、
  奥岳登山口(レストラン「ランデブー」)で10時から安全祈願祭を行います。

◆あだたら山ロープウェイ運行時間・料金◆  
 《運行時間》   始発 7:00(山開き当日のみ。通常は8:30)    下り最終 16:30    
 《料金》      大人片道:950円(小人700円)/大人往復1,650円(小人1,250円)


◆バスでおいでの方へ◆  
 ▼当日のシャトルバス等についてはこちらをご覧ください。

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毎年第3日曜日、だそうで、今年は花巻での高村祭と重なってしまいました。智恵子の生誕祭と重なった年もあり、行こう行こうと思いつつ、中々行けないでいますが、いずれ、と考えています。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

水清き赤城の山に秣(まぐさ)刈る少女(をとめ)うつくし絵をねだりける
明治37年(1904) 光太郎22歳

光太郎は安達太良山には登ったことはないようです。よく登ったのが群馬の赤城山。そちらでの作です。

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画像は昭和初期、光太郎もよく泊まった赤城山の猪谷旅館(スキーの猪谷六合雄・千春選手親子の実家)が発行したものです。



「あだたらイルミネーション」。

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昨日に引き続き、智恵子の故郷、福島は二本松からのイベント情報です。 

あだたらイルミネーション

平成28年5月14日(土)~6月5日(日)の期間、イルミネーションが煌めく「あだたらイルミネーション」を開催します。 天の川をモチーフにしたゲレンデいっぱいに広がるイルミネーションがロマンチックな光景を生み出します。

期  間 : 2016年5月14日(土)~6月5日(日)
場  所 : あだたら高原スキー場 アンドロメダコース内
入 場 料 : 無料
内  容 :  高速6人乗り「あだたら山ロープウェイ」から眺めるイルミネーションです。
         LEDが奏でる幻想的な夏の風景をお楽しみください。
そ の 他 :  無料駐車場があります。
 
期間中ロープウェイ運行
運行時間  19:00~21:00(上り最終 20:30/下り最終 20:50)
 ロープウェイ特別料金(往復)   大人(中学生以上)1,200円 小人(4歳~小学生迄)700円
天候状況により、安全のため運休する場合があります。

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通常、イルミネーションというと冬場のものですが、ここ、安達太良山ではこの時期に開催されます。

昼間は「ほんとの空」、夜はイルミネーション。さらに昨年暮れ、日帰り温泉入浴施設「あだたら山 奥岳の湯」もオープンしました。

これはぜひ期間中に一度行かなければ、と思っております。皆様もどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

牛五百山崕(やまそば)かげに我とありわがごと痩せず眼うるまず
明治37年(1904) 光太郎22歳

こちらも昨日に引き続き、安達太良山ならぬ上州赤城山での作です。

「わがごと」は「わがごとく」=「私のように」。「眼」は「まなこ」と読むべきでしょう。

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こちらも昨日同様、昭和初期の絵葉書です。

高村智恵子生誕130年記念事業「智恵子生誕祭」/道の駅「安達」智恵子の里下り線「情報コーナー 『高村智恵子』紹介コーナー」。

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このところ、智恵子の故郷・二本松ネタばかりですが、もう1日、おつきあい下さい。 

高村智恵子生誕130年記念事業「智恵子生誕祭」。

智恵子が少女時代に親しんだ琴の音色が奏でる生誕祭。
お茶を飲みながら庭園を眺めると、まるで智恵子がそこにいるようです。

期  日 : 2016年5月20日(金)~22日(日)
場  所 : 高村智恵子生家 智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
時  間 : 午前の部 10時00分~12時00分  午前の部 13時00分~15時00分
内  容 : 琴の生演奏と呈茶のふるまい
※入館料が必要です。お茶は別料金となります。また、期間中は奇跡といわれる「紙絵」の“実物”展示をしますので、併せてご覧ください。

問い合わせ 智恵子記念館 電話:0243-22-6151 文化課文化振興係 電話:0243-55-5154

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昨年までは、市としては智恵子生誕記念のイベントは行われていなかったようですが、今年は生誕130年の節目ということもあるのでしょう、市が主催でイベントが行われます。先月の「広報にほんまつ」では、「生誕祭」という名称にもなっていませんでしたが、こうした方がすっきりしますね。

合わせて智恵子記念館さんでは、智恵子作の紙絵の実物展示が行われています(通常は複製)。5月24日(火)までだそうです。


さらに国道4号線沿いの「道の駅「安達」智恵子の里下り線」では、「情報コーナー 『高村智恵子』紹介コーナー」が設置されているとのことです。 

情報コーナー 『高村智恵子』紹介コーナー設置

今月5月は道の駅「安達」智恵子の里 のサブネームでもある、
『高村智恵子』さんの生誕月です。
そこで、今月は智恵子さんを多くの方々に知っていただきたい!!との思いから紹介コーナーを設置いたしました(#^.^#) 智恵子記念館とも連携しております。。。
是非、この機会に『高村智恵子』を深く知ってください❤



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下記は、今月号の「広報にほんまつ」に載った広告。

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同じく今月号の「広報にほんまつ」には、二本松駅前の大山忠作美術館さんでの「二本松さくら展」についてもまた記事が載りました。

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こちらの会期は、5月8日(日)までです。

いろいろご紹介しましたが、よろしくお願いします。


【折々の歌と句・光太郎】

聖院の屋根に日のさす暮の春             明治42年(1909) 光太郎27歳

「春の暮」でなく、「暮の春」。いかにも晩春の風景画のようですね。 

第59回花巻高村祭。

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昭和20年(1945)、空襲で東京のアトリエを失った光太郎が、岩手花巻への疎開のため東京を発った5月15日、例年、花巻で「高村祭」が行われています。今年で59回目となります。今月号の『広報はなまき』から。 

第59回高村祭

期  日 : 2016年5月15日(日)
会  場 : 高村山荘詩碑前広場 岩手県花巻市太田3-85

光太郎が花巻に疎開してきた5月15日に毎年開かれる「高村祭」。光太郎が暮らした高村山荘にある「雪白く積めり」の詩碑の前では、地元の小・中学生や高校生、花巻高等看護専門学校生による合唱や楽器の演奏、詩の朗読などが行われます。

高村祭特別講演を開催
 高村光太郎と金谷一族について-高村光太郎のいにしえの姿-
【時間】午前11時~正午
【講師】加藤 千晴さん
【内容】講師の祖母、金谷ふゆは、高村光太郎のいとこで幼なじみでした。祖母ふゆから受け継いだ仏像と光太郎が持っていた仏像のつながりをはじめ、祖母から聞いた光太郎の姿を紹介します。

【駐車場のご案内】当日はスポーツキャンプむら「メイングラウンド側」駐車場をご利用ください。雨天時は「屋内運動場側」駐車場は利用できません。
【無料臨時バスを運行】往路…花巻駅西口発9時半、復路…高村山荘発15時
【問い合わせ】(一財)花巻高村光太郎記念会事務局(平日電話29-4681)

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毎年、地元小中高生、看護学校生による光太郎詩の朗読、音楽演奏が行われ、さらに記念講演があります(昨年は当方が仰せつかりました)。

今年の講演は、盛岡在住の加藤千晴氏。光太郎の血縁の方です。明治の高村家は、養子縁組等で若干、家系が複雑です。光太郎の父・光雲が徴兵を逃れるため師匠・高村東雲の姉・悦の養子となり、光太郎の母・わかも若くして父を亡くして東雲の妹・きせの養女となりました。きせの実子がふゆ。年齢的には光太郎に近く、幼馴染み的な関係だったので、混乱が生じているようです。光太郎のいとこにあたるのは、ふゆの子の照。その照の子息が加藤千晴氏です。ちなみに照さんは100歳近いということですが、まだご存命です。この方も、戦後に花巻郊外太田村の光太郎の元を訪れています。

昨年暮れに、当方、花巻に参りまして、加藤氏の手記のコピーを戴きました。手記はふゆ・照母子と光雲・光太郎との関わりなどが詳細に記されており、非常に貴重なものでした。今回の講演でも、一般に知られていないエピソードなどが聴けることと思われます。

ぜひ足をお運びください。

前日の5月14日には、光太郎が旧太田村の山小屋に入る前に1ヶ月暮らした、花巻市街の佐藤隆房邸の公開もあります。当方、ここからお邪魔いたします。


【折々の歌と句・光太郎】

米無くばじやがたらいもをわが喰はむみどりの風に身を養はむ
制作時期不詳

昭和4年(1929)刊行の『現代日本文学全集第三十八編 現代短歌集 現代俳句集』に載った作品です。おそらくあまりさかのぼらない時期の制作とは推定できます。

5月となりました。しかも今日は八十八夜だそうです。「みどりの風」が心地よい季節になって参りました。




『長崎新聞』「水や空」。

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昨日の『長崎新聞』さんの一面コラムです。 

水や空 2016年5月1日 きょうから5月

きょうから5月。〈五月の日輪はゆたかにかがやき/五月の雨はみどりに降りそそいで/野に/まんまんたる気迫はこもる〉-高村光太郎の「五月の土壌」は、この季節が感じさせる大地の生命力を力強くうたいあげた一編だ▲ところで、この詩人は"土との格闘"をつづった「開墾」という題名の随筆も残している。自然の強さや厳しさを愛し称賛した作者には不似合いな弱気な姿勢が興味深い▲〈猫の額ほどの地面を掘り起こして去年はジヤガイモを植ゑた〉〈...自分の体力と時間とに相当したことだけを今後もやつてゆくつもり...〉〈...分相応よりも少し内輪なくらゐに始めるのがいいのだと信じている〉▲と、控えめに始めた農作業だったが、それでも手に血まめをこしらえてしまい、傷跡が化膿したのか、夜も眠れぬ痛みに襲われる。1カ月ほどの病院通いを余儀なくされ、戻ってみると、せっかくの畑は台無しに▲当世風のブログならば文末に(泣)とでも書き加えたくなりそうな顛末(てんまつ)だ。自虐めいたユーモラスな筆致が親近感を誘う▲ともあれ、桜の花に彩られて始まった新生活や新しい環境が一段落して、緊張感の反動が少し心配なこの時期に、新緑のみずみずしさと爽やかに吹く風が人々を癒やす。日本の「1年」は、つくづく絶妙にできている。(智)

引用されている「五月の土壌」は、大正3年(1914)5月の作。雑誌『詩歌』に発表され、この年に編まれた第一詩集『道程』にも収められました。


   五月の土壌イメージ 1

 五月の日輪はゆたかにかがやき
 五月の雨はみどりに降りそそいで
 野に
 まんまんたる気魄はこもる

 肉体のやうな土壌は
 あたたかに、ふくよかに
 まろく、うづたかく、ひろびろと
 無限の重量を泡だたせて
 盛り上り、もり上り
 遠く地平に波をうねらす

 あらゆる種子をつつみはぐくみ
 蟲けらを呼びさまし
 悪きものよきものの差別をたち
 天然の律にしたがつて
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 地中の本能にいきづき
 生くるものの為には滋味と塒とを与へ
 朽ち去るものの為には再生の隠忍を教へ
 永劫に
 無窮の沈黙を守つて
 がつしりと横はり
 且つ堅実の微笑を見する土壌よ
 ああ、五月の土壌よ

 土壌は汚れたものを恐れず
 土壌はあらゆるものを浄め
 土壌は刹那の力をつくして進展する
 見よ
 八反の麦は白緑にそよぎ
 三反の大根は既に分列式の儀容をなし
 其処此処に萌え出る無数の微物は
 青空を見はる嬰児の眼をしてゐる
 ああ、そして
 一面に沸き立つ生物の匂よ
 入り乱れて響く呼吸の音よ
 無邪気な生育の争闘よ

 わが足に通(かよ)つて来る土壌の熱に
 我は烈しく人間の力を思ふ


画像は自宅兼事務所の裏山の竹林です。タケノコがすごいことになっています。「五月の土壌」のパワーですね(笑)。

さらにコラムにある「開墾」という散文は、昭和22年(1947)、岩手花巻郊外太田村の山小屋での作です。『北方風物』という雑誌のために書かれましたが、同誌が発表前に廃刊となり、いったんお蔵入りになりましたが、その後『智恵子抄その後』に収められ、『高村光太郎全集』で読むことが出来ます。

「風薫る」と称される五月。暑くもなく寒くもなく、緑の美しい季節です。「日本の「1年」は、つくづく絶妙にできている。」そのとおりですね。


【折々の歌と句・光太郎】

青葉若葉巴里の町の狭さかな             明治42年(1909) 光太郎27歳

欧米留学中の作。パリにいても、遠い日本の「風薫る」風景も思い起こしていたのではないでしょうか。

神奈川近代文学館特別展「100年目に出会う 夏目漱石」。

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先週の土曜日、横浜神奈川近代文学館に行って参りました。

閲覧室での調べ物が主目的でしたが、開催中の特別展「100年目に出会う 夏目漱石」、招待券を戴いていたので拝見してきました。 

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」

「吾輩は猫である」「坊っちやん」「三四郎」「それから」「心」そして「明暗」…人間の心の孤独とあやうさを描いた夏目漱石の作品は、私たちの生き方へ多くの問題を投げかけ、その一方で、夢や謎、笑いに彩られたイメージの宝庫としても読者を魅了して来ました。
作家としての一歩を踏み出した1906年(明治39)、漱石は「余は吾文を以て百代の後に伝へんと欲するの野心家なり」と述べています。そしてこの言葉の通り、漱石が世を去ってから100年という長い歳月の中で、多くの人びとが作品を繰り返し読み、その魅力は、今日に至ってもなお語り尽くされることはありません。漱石文学は読者にとってまさに「飲んでも飲んでもまだある、一生枯れない泉」(奥泉光)なのです。
没後100年を記念して開催する本展は、こうした作品世界と、英文学者から作家に転身しわずか10数年の創作活動のなかで、数々の名作を書き上げた苦闘の生涯を紹介します。漱石と深いゆかりを持つ岩波書店、東北大学附属図書館の所蔵資料、そして、夏目家寄贈資料を中心とした当館所蔵の漱石コレクションをはじめ、数々の貴重資料により展覧。作品・人間へのアプローチを通し、漱石と現代の読者の新たな出会いの場の実現を目指します。
【会   期】  2016年(平成28年)3月26日(土)~5月22日(日) 休館日は月曜日(5月2日は開館)
【開館時間】  午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
【会   場】  神奈川近代文学館第1・2・3展示室
【観 覧 料 】  一般700円(500円) 65歳以上/20歳未満,学生300円(200円) 高校生100円 中学生以下無料      
         *( )内は20名以上の団体料金 東日本大震災の罹災証明書、被災証明書等の提示で無料
【編集委員】  奥泉光
【主催】     県立神奈川近代文学館・公益財団法人神奈川文学振興会、朝日新聞社
【特別協力】  岩波書店
【協力】     東北大学附属図書館
【後援】     NHK横浜放送局、FMヨコハマ、神奈川新聞社、tvk(テレビ神奈川)
【協賛】     集英社 京浜急行電鉄 相模鉄道 東京急行電鉄 神奈川近代文学館を支援(サポート)する会
【広報協力】  KAAT 神奈川芸術劇場
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漱石と光太郎には美術を通して接点がありました。大正元年(1912)、漱石の書いた美術評論を光太郎が批判したというものです。当時光太郎は数え30歳。留学から帰って、父・光雲を頂点とする旧態依然の日本彫刻界と縁を切り、ヒユウザン会に加盟、油絵の制作に力点を置いていた時期でした。

漱石はそうした美術界の新機軸に一定の理解を示していました。一つには漱石山房に出入りしていた画家の津田青楓の影響があったと思われます。津田は後に漱石の著書の装幀を多く手がけます。

光太郎の方は、漱石や森鷗外といった権威的な存在には噛みつかずにはいられない、という感じでした。津田とは欧米留学中に親しくつきあっていましたが、お互いの帰朝後は、漱石にかわいがられた津田と、権威的なものに反抗する光太郎とで、自然と疎遠になったようです。

ちなみに光太郎がまだ東京美術学校に在学中で、本郷Ⅸ駒込林町155番地の実家に住んでいた頃、漱石は明治36年(1903)から約3年間、本郷Ⅸ千駄木町57番地(いわゆる「猫の家」)に住んでおり、近所といえば近所でした。

さて、「100年目に出会う 夏目漱石」。当然ですが文学関連が中心の展示で、漱石の自筆資料等もふんだんに出品されており、息遣いが聞こえてくるようでした。

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美術関連では、ヒユウザン会がらみの展示はありませんでしたが、漱石自身の絵画がまとめて展示されていました。ただ、津田青楓などは自身で絵の手ほどきをしながら、その方面での漱石の才能がないことを、敬愛を込めながらも揶揄しています。

 津田が自分の仕事の段落のついた或る日行つてみると、先生は独りでかかれた二、三枚の油絵を出し、抛げるやうな口吻で「駄目だよ、油絵なんて七面倒臭いもの、俺は日本画の方が面白いよ。」さう云つて、半紙ぐらいの厚ぼつたい紙に塗りたくつた妙な画を出して見せられた。
 南画とも水彩画ともつかない画だ。柳の並木の下に白い鬚を生やした爺さんが、柳の幹にもたれて休息してゐる。そのまへに一匹の馬がある。先づ馬と仮説するだけなんだが、四ツ足動物で豚でもなければ山羊でもなく、先づ馬に近い――その馬が前脚を一つ折つて、これから草の上で休まうとするやうにも、又これから立ち上がらうとするやうにも見える。馬といひ、人といひ、まるで小学校の生徒の画のやうだ。柳は無風状態で重々しくたれ下つてゐる。全体が濁つた緑でぬりつぶされてゐる。柳の下にはフンドシを干したやうに、一条の川が流れてゐる。その川と柳の幹だけが白くひかつて、あとは濁つた緑。下手な子供くさい画と云つても片付けられる。又鈍重な中に、不可思議な空気が発散する詩人の夢の表現と、云つてもみられる。先生はリヤルよりもアイデアルを表現したのだ。「盾のまぼろし」「夢十夜」あんな作を絵筆で出さうとしてゐられる。
 漱石先生が「どうだ、見てくれ」と云つて出された二、三の日本画は、まことにへんちくりんなもので、津田は挨拶の代りに大きな口をあいて、
「ワハヽヽヽヽヽ」
 先づ笑つた。
(『漱石と十弟子』)


漱石といえば、文豪中の文豪ですが、こういう人間くさいエピソードには、親しみを感じます。並んでいた絵を見て、クスリとしてしまいました。

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」、今月22日までです。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

人あり薫風に似て来り坐す               昭和20年(1945) 光太郎63歳

春の叙勲 富司純子さん/北島三郎さん。

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先週、各界で功績のあった人をたたえる2016年春の叙勲受章者が発表されました。

主に政治家や民間人対象の「旭日章」、主として元公務員に贈られる「瑞宝章」、それぞれ「大綬章」「重光章」「中綬章」「小綬章」に分かれ、4,000人あまりが受章対象ということで発表されました。

報道では、いわゆる著名人ということで、それぞれ旭日小綬章に選ばれた、女優の富司純子さんと歌手の北島三郎さんが大きく取り上げられました。

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お二人とも、「智恵子抄」との縁がおありです。

まず富司さん。

昭和43年(1968)、大阪梅田コマ・スタジアムで開催された「名作劇場第三作 智恵子抄」で、智恵子役を演じられました。光太郎役は高島忠夫さんでした。

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脚本は北条秀司。同じシナリオで、初代水谷八重子さんや、有馬稲子さんも智恵子役を演じられています。


続いて北島さん。

昭和39年(1964)、五月みどりさんとのデュエットで、シングル「新民謡 九十九里音頭」をリリース。

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三番の歌詞に、九十九里浜片貝海岸の「千鳥と遊ぶ智恵子」詩碑がうたわれています。

昭和8年(1933)、心を病んだ智恵子がこの地で療養したことにちなみ、同36年(1961)に建立された碑です。

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ただし、「千恵子抄」というよくある誤植をやらかしていますが(笑)。

「東洋のマイアミ」というのも、わかるようなわからないような(笑)。突っ込みどころ満載です。


お二人とも、今後もお元気で、さらなるご活躍を期待します。


【折々の歌と句・光太郎】

新緑のみどりのいろの流れ入る画室の中に君と語りき
大正9年(1920) 光太郎38歳

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今日は「みどりの日」。自宅兼事務所裏山の緑も、だいぶ濃くなってきました。

ドキュメンタリー映画「サンマとカタール~女川つながる人々」。

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映画の公開情報です。

昭和6年(1931)、光太郎が訪れて紀行文「三陸廻り」を残したことを記念し、かつて巨大な「高村光太郎文学碑」が建てられ、以来、あの東日本大震災で碑は倒壊しながらも、「女川光太郎祭」が連綿と続けられている、宮城県女川町が舞台です。

まずは、仙台に本社を置く『河北新報』さんで、今年2月に掲載された記事から。 

女川復興の軌跡描く 苦悩追う映画先行試写会

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町イメージ 1の復興の軌跡を描いたドキュメンタリー映画「サンマとカタール~女川つながる人々」の先行試写会が21日、町まちなか交流館であった。実行委員会が主催。町民ら約150人が鑑賞した。
 タイトルは港町・女川を代表するサンマと、水産業の中核施設の大型冷蔵庫「マスカー」の建設を支援した中東のカタールから。再起に懸ける水産関係者や大切な人を失った住民の苦悩、まちづくりの様子や国境を越えた支援などを2年間にわたって追い、約1時間10分の作品に仕上げた。
 町民約30人が登場。映画の中で、マスカー建設に奔走した石森洋悦さん(59)は「町民に前を向いてほしかった」と明かし、復興イベント「復幸祭」実行委員長の阿部淳さん(41)は「『人が死んでいるのにお祭りか』などと非難も浴びたが、やり遂げた事実は残る」と思いを語った。
 阿部由理さん(55)は津波で自宅を失い、2012年に復興に尽力した町職員の夫を亡くした。上映後のあいさつで「主人のような人間がいたことを思い出してもらえたらいい」と語り掛けた。乾弘明監督(52)は「まちづくりの大変さや皆さんの苦労を肌で感じ、女川に力をもらった」と謝辞を述べた。
 映画は5月7日から東京都のヒューマントラストシネマ有楽町など全国で公開。県内では翌8日から仙台市青葉区の桜井薬局セントラルホールで上映される。


というわけで、明後日から、全国各地で順次公開が始まります。

サンマとカタール~女川つながる人々


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あまりにも多くを失ったマイナスからのスター
カタールの援助が灯となった復興をゆだねられたのは若者達
泣いた、怒った、そして笑った!
荒れ野に芽吹いた小さな草が蕾をつけ
今、花開こうとしている
女川は流されたんじゃない
海の見える景色を残したまま新しい女川が誕生する!
女川復興の軌跡に迫る

宮城県女川町は牡鹿半島の付け根にある水産業の町。サンマの水揚げで有名だ。
石巻線の終着駅で、古くから天然の良港として栄えた美しい港町だった。

「あの日」までは…

この町の人々は、「あの日」2011年3月11日を何十年も何百年も語り継いでいくことになるだろう。住民の1割近くが犠牲となり、8割以上が住まいを失った。被災した全ての市町村の中でも、人口比では最も激烈な被害を蒙った町である。町の中心部は根こそぎ津波にのまれ、失うものは何もなくなった。

そんな絶望から、人はどうやって立ち上がるのだろう…。

最初の希望は、中東の国カタールによってもたらされた。古くは漁業で栄えたカタールは、震災直後に基金を設置し津波対応を施した冷凍冷蔵施設「マスカー」を建設。そして、小さな町だからできる独創的な発想と素早い行動、5年たった今でも寝る間を惜しんで復興にかける若きリーダーたち、その仲間が生み出す波及効果。人々の輪は町を飛び越え広がっていく。

女川は今、復興のトップランナーと呼ばれる。
震災前よりレベルアップした町づくり、そこに至る苦悩と喜びを見つめていく。

 青森 シネマディクト ルアール/ルージュ    6/25(土)~7/1(金)
 宮城 桜井薬局セントラルホール         5/8(日)~5/20(金)
 東京 ヒューマントラストシネマ有楽町      5/7(土)~5/20(金)
 千葉 シネマイクスピアリ              6/23(木)
 愛知 名演小劇場                   5/14(土)~5/27(金)
 岐阜  大垣コロナシネマワールド         5/21(土)~6/3(金)
 大阪 シネ・リーブル梅田              5/21(土)~6/3(金)
 岡山 岡山メルパ                    6/11(土)~6/24(金)
 広島 福山駅前シネマモード             6/11(土)
 岐阜 こくふ交流センター               10/30(日)
 兵庫 神戸アートビレッジセンター                 6/12(日)
 広島 広島国際会議場 大会議室ダリア     5/26(木)




予告編の動画を拝見、見知った顔もあり、これは是非観に行かなければ、と思いました。

限られた会場での公開ですが、皆様も是非どうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

摘むに花くむに泉のあまからむ男の子世にゆく道たかうあれ
明治34年(1901) 光太郎19歳

今日は5月5日。端午の節句です。

明治34年(1901)、数え19歳の光太郎は東京美術学校彫刻科在学中。さらに前年から与謝野鉄幹の新詩社に加わり、未来への夢をふくらませている時期でした。

宮内庁三の丸尚蔵館「古典再生―作家たちの挑戦(後期)」。

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現在、皇居東御苑内の三の丸尚蔵館さんで開催中の展覧会です。

今月末から展示替えに伴い、光太郎の父・光雲作の木彫が2点、展示されます。 

第72回展覧会 古典再生―作家たちの挑戦

会 期  : 平成28年3月25日(金)~6月19日(日)
         前期:3月25日~4月24日 中期:4月29日~5月22日 後期:5月28日(土)~6月19日(日)
休館日 : 毎週月・金曜日
時 間  : 午前9時~午後4時45分(入館は午後4時30分まで)
料 金  : 無料

明治維新後,近代国家としての自立を目指した日本は,急速に西欧化を推し進めていきました。しかし,その影響下で廃仏毀釈による古器旧物の破壊や,美術工芸品の国外流出が相次いだこともあり,明治十年代半ば頃から日本古来の伝統を保護しようとする機運が高まりを見せます。江戸時代後期に興った復古思想とも重なりながら,絵画や工芸の分野では,モチーフや形状,表現技法などの面で近世以前の古美術を古典として意識した作品が数多く作られるようになりました。それらは古典の単なる焼き直しに終わる作品も少なくありませんでしたが,徐々にその中から古典を表面的に模倣するのではなく,その本質を捉えた上で作家の個性や近代的な進取の精神とを融合した,新味あふれる作品が登場しました。大正時代以降も作家たちは真摯に古典と向き合い,その中にそれぞれが自分なりの美を発見し,新機軸となる作品を生み出していきました。このように古典を昇華して生み出された作品は,伝統保護の重要性を認識していた皇室,宮内省からも高く評価されて展覧会などで買い上げられ,また,皇室への献上を目的に制作された作品にも注目すべきものが多くあります。
本展では,古典に範を取りながらも,明らかな近代的感覚を抱かせる,不思議な魅力をもった近代美術の作品を紹介します。それらを通して明治,大正,昭和,それぞれの時代の作家にとって常に創作の源泉となり得た,日本美術という土壌の豊かさを再認識していただく機会となれば幸いです。

見出された宝物
 蓬莱雲鶴蒔絵書棚     六角紫水ほか    一基     大正6年
 瑞鳥霊獣文蒔絵手箱   六角紫水       一合     昭和3年
東洋の美、新たなる挑戦
 秋爽              小坂芝田       十曲一隻  大正元年
 春庭・秋圃          小室翠雲       対幅    大正8年
受け継がれるやまとのこころ
 渓澗              宇田荻邨       二曲一隻  昭和2年
 秋草流水蒔絵螺鈿棚    川之邊一朝ほか  一基     明治28年
 菊蒔絵硯箱                 赤塚自得       一合     昭和3年
 猿置物            高村光雲       一点     大正12年
近代における神と仏
 養蚕天女          高村光雲       一点     大正13年
 肇国創業絵巻       安田靫彦ほか    二巻のうち 昭和14年
墨の彩り
 唐崎老松図         野村文挙       一面     明治30年頃
 月夜帰牧之図       木島桜谷       一幅     大正3年
 雪渓遊猿之図        山元春挙       一幅     大正4年
 秩父霊峯春暁        横山大観      一幅     昭和3年

上記が後期の出品作品です。

光雲の「猿置物」は別名「猿・三番叟」。

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平成25年(2013)、京都国立近代美術館で開催中された「皇室の名品-近代日本美術の粋」展にも出品されました。今年は申年と云うこともあり、同一題の純金製複製なども販売されています。

「養蚕天女」はその名の通り、養蚕の守護神です。

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帝室技芸員だった光雲の作は、宮内庁にかなり現存します。当方が把イメージ 3握しているだけでも十数点。

「養蚕天女」も二種類所蔵されており、今回展示される大正13年(1924)のものは、高さ48㌢の比較的大きなものですが、昭和3年(1928)作のものは、約半分の高さ25㌢。

平成23年(2011)、眞子内親王殿下ご成年の際に公開された写真に、そちらが写っています。

皇室と養蚕の関連は深く、今も皇后陛下は明治以来続いている「皇后御親蚕」をされているそうです。


三の丸尚蔵館さんでは、昨年も「第68回展覧会 鳥の楽園―多彩、多様な美の表現」で、光雲木彫を展示して下さいました。今後も続けていただきたいものです。何と言っても入場無料ですし(笑)。


【折々の歌と句・光太郎】

春風や運動会の吹流し                  明治33年(1900) 光太郎18歳

最近は5月に運動会をやってしまうという学校も多いようです。考えてみれば、秋に運動会、というのも昭和39年(1964)の東京オリンピックで開会式が行われた10月10日を体育の日、と定めて以来なのかも知れません。

明治期にも5月に運動会というのは一般的だったのでしょうか。それともこの「吹流し」は、鯉のぼりとは無関係のものなのでしょうか。詳細が不明です。

「十和田湖乙女の像のものがたり」朗読劇DVD。

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先月16、17日に青森県十和田市で公演があった、劇団エムズ・パーティーさんによる朗読劇「乙女の像のものがたり」。2日分の公演を撮影したDVD、ブルーレイディスクが届きました。十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会の方が送って下さいました。感謝。

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さっそく拝見。

まず1日目、会場は十和田湖畔の観光交流センター「ぷらっと」。

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基本、動きはなく、スクリーンにスライドショーを投影しながらセリフやト書きを朗読するという形です。

総勢10名以上の方がご出演。登場人物が多いので、お一人で2役、3役こなされた方もいらっしゃいました。原作は当方ですが、上演されることを前提には書かなかったので、キャラが多くなってしまいました。「史実」という制約があると、尚更です。「史実」を大胆に改変していいのであれば、明治末の「パンの会」の場面前後にだけ登場した北原白秋柳敬助夫妻を、全体の狂言回しに使った草野心平や、後半に登場する佐藤春夫夫妻に替えてしまったりした方が、ストーリー的にはすっきりするな、と感じました。

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左が智恵子役の仲島みちるさん、右が光太郎役の子午線馬ノ助こと植田祐介さん。お二人とも、さらに他の皆さんも、まさしく「熱演」でした。

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エンドロールには、当方の名も出して下さいました。

2日目は、十和田市街の市民交流プラザ「トワーレ」。こちらは市街ということもあり、予定を大幅に上回るお客さんの入りだったそうです。

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2回目ということもあり、キャストの皆さんも、さらに熱の入ったパフォーマンスでした。

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エンドロールのバックに、テーマソング的に佐藤春夫作詞の「湖畔の乙女」を流したところ、前日の「ぷらっと」での公演でもそうでしたが、観客席の皆さんも自然と大合唱。

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小山田十和田市長のごあいさつ。市としても後援に入って下さっていて、ありがたいですね。

今後、市の助成を受け、DVD化して学校さんなどでの上映も検討されているとのこと。是非とも実現してほしいと思います。さらには機会があれば、再演も。


そして観光客や、原作本の売り上げも増加してほしいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

やせこけしかの母の手を取りもちてこの世の底は見るべかりけり
昭和2年(1927) 光太郎45歳

明日は「母の日」。

光太郎の母・わかは、大正14年(1925)に亡くなりました。その三回忌を前に作った作です。

安曇野市ふるさと観光大使 新宿中村屋 × 近畿日本ツーリスト コラボレーション企画 新緑の安曇野と碌山美術館を楽しむ旅。

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新宿中村屋サロン美術館さん発のイベント情報です。

5月29日(日)  旅行代金(おひとり様)9,800円 ※大人・子ども同額

新緑と水が煌めき、雪解けの山が美しく映える5月の安曇野。パワースポットの穂高神社で安曇野の歴史に触れ、新宿中村屋ゆかりの彫刻家 荻原守衛(碌山)の作品を展示する碌山美術館で、芸術と自然を堪能するバスツアーです。

芸術と自然に囲まれた、豊かな時間を過ごしませんか?

特典付きで大満足!
・碌山美術館学芸員によるミニレクチャー付!
・荻原家ご当主のご案内による碌山の墓参付!(希望者)
・安曇野市と中村屋から素敵なプレゼント付!

新宿(8:00)=大王わさび農場(昼食・買い物・見学)=安曇野着 穂高神社参拝(解説付)=碌山美術館(ミニレクチャー・見学)=現ご当主のご案内による碌山の墓参(希望者)=新宿(20:00予定)
※行程は道路状況等により、入れ替わる可能性がございます

添乗員:同行  受付最少人数:1名 最少催行人員:30名 バスガイド:なし 食事:1回昼食
※5月9日までに最少催行人員に達しない場合は中止とさせていただきますこと、ご了承ください
※詳しい旅行条件説明書面をお渡しいたしますので、事前にご確認の上、お申し込みください

お問い合わせ・お申し込みは
近畿日本ツーリスト個人旅行株式会社
東京都新宿区新宿3-26-13 新宿中村屋ビル3階 03-3354-4021 受付時間11:00~19:00 (土日祝18:30)

旅行企画・実施
近畿日本ツーリスト個人旅行株式会社 新宿プレミアム旅行サロン 東京都新宿区新宿3-26-13

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お申込期限はまだ先でしょうが、明日までに30名に達しないと催行中止だそうで、とりあえず早めにご紹介しておきますが、それが杞憂に終わることを祈念いたします。

中村屋サロン美術館さん、昨年も同様の企画を開催されました。おそらくそれが好評だったので、二匹目のドジョウでと思われます(笑)。こういう場合には、バスツアーというのは非常に楽ですね。しかもいろいろお土産もあるようですし(笑)。

碌山美術館さんは、光太郎の親友だった碌山荻原守衛の個人美術館ですが、光太郎をはじめ、碌山と縁の深かった作家の作品も収蔵、光太郎ブロンズ作品も多数お持ちです。複数の光太郎彫刻を一度に見られるのは、こちらと花巻高村光太郎記念館だけです。

7月から8月にかけては、当方も関わる企画展「光太郎没後60周年記念 高村光太郎-彫刻と詩-展」が開催されます。そちらはそちらとして、こちらにもぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

たらちねの母は死ねども死にまさずそこにもをるよかしこにも居るよ
昭和2年(1927) 光太郎45歳

昨日からの続きで、「母の日」がらみで。

母・わかの三回忌を前に作られました。昨日ご紹介した短歌と共に、雑誌『炬火』に発表した詩「母をおもふ」に反歌のように添えられたものです。

   母をおもふ

夜中に目をさましてかじりついた
あのむつとするふところの中のお乳。
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「阿父(おとう)さんと阿母(おかあ)さんとどつちが好き」と
夕暮の背中の上でよくきかれたあの路次口。

鑿(のみ)で怪我をしたおれのうしろから
切火(きりび)をうつて学校へ出してくれたあの朝。

酔ひしれて帰つて来たアトリヱに
金釘流(かなくぎりう)のあの手紙が待つてゐた巴里の一夜。

立身出世しないおれをいつまでも信じきり、
自分の一生の望もすてたあの凹んだ眼。

やつとおれのうちの上り段をあがり、
おれの太い腕に抱かれたがつたあの小さなからだ。

さうして今死なうといふ時の
あの思ひがけない権威ある変貌。

母を思ひ出すとおれは愚にかへり、
人生の底がぬけて
怖いものがなくなる。
どんな事があらうともみんな
死んだ母が知つてるやうな気がする。


「死ねども死にまさず」、「そこにもをる」「かしこにも居る」。後に妻・智恵子が亡くなった後にも、智恵子は元素となって私の周りに常に居る、と光太郎は繰り返し発言しています。そうした考えの源流がここにありそうです。

合唱団CANTUS ANIMAE The 20th Concert つながる魂のうた 「智恵子の手紙」レポート。

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昨日は、東京・晴海に行っておりました。第一生命ホールさんで開催された、合唱団CANTUS ANIMAE(カントゥス・アニメ)さんの第20回演奏会「つながる魂のうた」を拝聴して参りました。

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故・三善晃氏の作品を軸に、それプラス3名の若手女性作曲家さんたちの、それぞれ委託初演作品等というプログラムでした。

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委託初演作品の中で、安藤寛子さんという方の「智恵子の手紙」という作品。智恵子が母・センに宛てて書いた手紙をテキストに使用する、というので非常に興味深く思っておりました。

1曲目は、谷川俊太郎氏作詞、三善晃氏作曲の「鳥」。ア・カペラ(無伴奏)の曲で、三善作品の中では定番の「地球へのバラード」という曲集の一曲です。ア・カペラの曲はごまかしがききにくいのですが、さすがにコンクール全国大会ご常連の団、その表現力には早くも引き込まれました。三善作品は、一つ一つのフレーズや、さらに細かく云えば音符や休符の一つ一つに作曲者の思い入れ、特別なニュアンスが込められており(いわゆる「三善アクセント」など)、「何げなく歌う」ことは許されません。そういう意味では、本当に徹頭徹尾、緊張感を持続して歌わなければならないのですが、そうかといって、聴く方に緊張感を強いる演奏もよくありません。歌う方はさまざまな工夫を凝らしながらも、聴衆には、そうした点で作為を感じさせず、自然に、心地よく届く音楽、というのが理想だと思います。

その点、CANTUS ANIMAEさんの演奏は、三善作品以外の最終ステージ最後の曲まで、そうした部分が具現されていたように感じました。人数も多く、厚味のある合唱でした。

さて、「鳥」が終わり、配布されたパンフレットを見ると、連続して「智恵子の手紙」ですが、一旦、合唱団の皆さんは袖に引っ込み、指揮で音楽監督の雨森文也氏のMC。三善氏への思い、それから委託初演3曲の解説などでした。

MCが終わり、ここで舞台の照明は半分くらいに落として、演奏者入場というのが一般的です。ところが、ほぼ完全に暗転。「あ、こりゃ何かやるな」と思いました。「何か」というのは「演出」という意味です。

案の定、袖に通じる扉が開き(第一生命ホールさん、最近流行のサイドの反響板に扉がついているスタイルです)、袖から通奏低音的に、女声のハミング(ないしはヴォカリーズ)で、唸るような低いD音(当方、絶対音感が無いので違っていたらすみません)が聞こえてきます。

その音に乗って、60名程の団員の皆さんがゆっくりゆっくり入場。まだ舞台は暗転のままです。さらに驚いたのは、団員の皆さん、客席に向かって背を向ける形で整列したこと。さすがに背を向けていたのは最初だけでしたが、皆さん、上下とも黒の服装でしたので(男声は上着を着ずに黒シャツ)、葬列のような印象を受けました。

やがて、女声の方がお一人、舞台中央前方に歩み出て、オペラのアリアのようにソロで歌い始めました。オペラといえば、この曲全体が、合唱というより、オペラの一幕のようでした。ア・カペラだったのですが、オペラの一幕という印象。矛盾していますが、それだけ迫力に満ちた演奏だったということです。ある意味、柴田南雄氏作曲の「宇宙について」や、オルフの「カルミナ・ブラーナ」を連想しました。ぶっとび方はそれらの比ではありませんが(ほめています、念のため)。

テキストは、以前このブログでご紹介した、智恵子の心の病が誰の目にも明らかになった時期、昭和6年(1931)のものを中心に、その前後の、全て母・センに宛てた手紙から採られていました。

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そうした智恵子の不安定な内面を表すように、不安をかき立てるような半音進行、不協和音、さらにはクラスター唱法的な手法も用いられていました。そうかと思えば比較的単純で美しいメロディーの部分もあり、終末近くでは完全な無音の状態が約30秒。最後はまた、最初とは異なる女声の方が前に出て、「それではまた」と繰り返すアリア。まさしくドラマチックでした。時計を見るのも忘れ、引き込まれていたのでよく分かりませんが、15分程の演奏時間だったでしょうか。

「厚味」のある演奏が求められるので、少人数のアンサンブル的な合唱団さんでは不可能。たとえ人数が多くても、技術が伴わなければ不可能。これをしっかりと歌い上げたCANTUS ANIMAEさんには脱帽でした。そう考えると、なかなか広まりにくいとは思われますが、初演のみでお蔵入り、ということにならないことを祈念いたします。

また、こうした音楽で、「智恵子」という人間を鮮やかに描いた、作曲の安藤さんにも敬意を表します。勝手ながら、パンフレットからお言葉を載せさせていただきます。

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一般に、「智恵子抄」というと「純愛の詩集」。当方も制作のお手伝いをし、昨年オンエアされたNHKさんの「歴史秘話ヒストリア」にしても、サブタイトルは「ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」でした。しかし、その裏側には、智恵子という一人の人間の、焦燥感、光太郎や家族への愛憎(「憎」の部分も見逃せません)、無謀ともいえるやる気、空回り、そして絶望感などが、どろどろと渦巻いていました(「ヒストリア」でも、そうした部分はしっかり描いて下さいましたが)。光太郎もそうした部分はある程度理解していたはずですが、完全には理解しきれず、それが大きな悲劇につながります。しかし、光太郎もある程度理解していたというのが理解されていなかった時代には、かの吉本隆明ですら「高村のひとり角力(ずもう)」と断じていました。

そうした単純な賞賛や批判に対し、当会顧問の北川太一先生(亡くなった吉本の盟友でもありました)は、次にようにおっしゃっています。

はじめこの詩集(注・智恵子抄)は光太郎の一方的な思いこみにすぎず、光太郎の声だけしか聞こえない単なる幻想の産物だと批判した者もあった。しかし智恵子に関する資料が徐々に発掘され、智恵子が肉声で語り始めるにつれて、その生の軌跡はますますリアリティを加え、文学としての評論、創作はもとより、ドラマ、オペラ、歌曲、舞踊、邦楽等々芸術のあらゆる分野の作者、演技者を動かし、そぞれぞれがそれぞれの思いを込めて、その問いかけに答えようとする。遙かな未来を指さすその現象は、むしろ壮観と言っていい。
(『芸術…夢紀行 高村光太郎智恵子抄アルバム』 芳賀書店 平成7年=1995


ここでまた、合唱曲「智恵子の手紙」が加わったことを喜びたいと思います。

その後の演奏も素晴らしいもので(詳述する余裕がありませんが)、大満足の演奏会でした。CANTUS ANIMAEさん、安藤さん、今後のさらなるご活躍を期待いたします。


【折々の歌と句・光太郎】

いちめんに松の花粉は浜をとび智恵子尾長のともがらとなる
昭和13年(1938)頃 光太郎56歳頃

昭和9年(1934)5月7日、光太郎は心の病の昂進した智恵子を、「空がない」と言った東京から離れた大自然の中で療養させようと、妹・セツが暮らし、母・センも同居していた九十九里浜に転地させました。

のちにその頃を回想して作られた短歌で、さらに昭和16年(1941)、最初の『智恵子抄』刊行の際、「うた六首」としてこの作品も掲載しました。

六首をまとめ、古くは故・清水脩氏により合唱曲(男声/混声)に、新しくは野村朗氏により独唱歌曲に作曲されています。

サザンクス筑後ぱふぉーまんす集団センゲキ第16回公演「ELEGANCE FIGHT~元始、女性は太陽であった~」。

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九州・福岡から演劇の公演情報です。気がつくのが遅れ、ご紹介が遅くなってしまいました。申し訳ありません。 

サザンクス筑後ぱふぉーまんす集団センゲキ第16回公演「ELEGANCE FIGHT~元始、女性は太陽であった~」

期日 :  2016年5月15日(日)
時間  : 14時開演(13時30分開場)
会場  : サザンクス筑後 小ホール  福岡県筑後市大字若菜1104
料金  : 一般1,000円 / 小・中・高校生500円  全席自由 未就学児入場不可
主催 : (公財)筑後市文化振興公社
後援 : 筑後市、筑後市教育委員会

原典 : 宮本研・作『ブルーストッキングな女たち』
脚本・脚色・演出 : 久保田りき
キャスト サザンクス筑後専属劇団“ぱふぉーまんす集団SENGEKI

 平塚らいてう/富安美沙子 荒木郁子/久間明日香 神近市子/古賀美紅
 保持研子/角有紗 伊藤野枝/松本渚 尾竹紅吉/後藤杏奈 掘保子/藤木菜穂
 松井須磨子/後藤奈津実 辻三津・市川房枝/澁江綾香 高村智恵子・与謝野晶子/河口智美

西暦1911年(明治44年)「青鞜(せいとう)」という女性文芸雑誌が発刊されました。編集していたのは女性たち。その中心となった人物は「平塚らいてう(らいちょう)」。彼女のもとに個性豊かな女性たちが集い「青鞜」は生まれたのです。その翌年、明治天皇が崩御し元号は大正となります。時代が移り変わるように、女性たちも「人として生きる道」を探り、戦い、実践した時代。この「青鞜」に関わった女性たちの生き様には『優美』かつ『激闘』という言葉がふさわしいと思い、このタイトルとしました。100年も昔…、いいえ、その時から100年しか経っていないのです。現代に通じる何かを探しながら、ぜひご覧下さい。
作品のベースとさせていただいたのは、宮本研・作「ブルーストッキングの女たち」。ぱふぉーまんす集団センゲキの10人の女性たちに合わせ脚色させていただきました。女性の恋愛を描くには、当然の如く男性キャストが必要です。しかし、現在センゲキは女性ばかり。あえず男性を登場させず女性たちだけで描く内容に挑みました。解釈の違い等もあり、フィクション・ノンフィクション入り混じった構成でありますが、センゲキの描く「青鞜」を…。「女性たち」をお楽しみいただければ幸いです。ご来場心よりお待ちしています。

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youtubeに、プロモーションビデオも公開されていました。かつて『青鞜』メンバーは、光太郎曰く「女水滸伝」と言われていたとのこと。しかし、キャストの皆さん、かわいらしい女性ばかりです(笑)。


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というわけで、日本女子大学校で智恵子と同じ家政科の一級上だった平塚らいてうを主人公とし、『青鞜』の旗の下に集まった女性たちを描く舞台、ということです。智恵子も登場します。ありがたいです。

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その他、日本女子大学校出身の『青鞜』メンバーについてはこちら

ところで、PVの冒頭にあったのですが、九州では今、熊本を中心とする震災により大変な状況です。しかし、彼女たち、今、自分たちでできることを精一杯やることで、復興支援に繋げたいとの思いから、一時は自粛も検討したものの、予定通り公演を実施するとのこと。さらに収入の一部は、被災地に寄付なさるそうです。それでいいと思います。

是非、観に行きたいのですが、残念ながら花巻高村祭と同一の日程のため、行けません。残念です。遠くみちのくから九州に思いを馳せることと致します。お近くの方は是非どうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

口紅の女も買ふや夏蜜柑                明治42年(1907) 光太郎27歳

欧米留学末期、スイス経由イタリア旅行中の作です。「夏蜜柑」というよりオレンジ的なものなのでしょう。石畳のイタリアマルシェ、小太りの陽気なヒゲの店主が「お嬢さん、一つどうだ?」……勝手な想像ですが(笑)。

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