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日本の名峰・絶景探訪 #58 「紅葉色めく湯の山 安達太良山」。

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テレビ放映情報です。 
BS-TBS 2014年11月1日(土) 21:00~21:54
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古くは「万葉集」に歌われ、高村光太郎の詩で「智恵子のほんとうの空」として広く日本人の心に響いた山、郷愁を誘う山となったのが安達太良山です。
 
単独峰ではなく、1700メートル級のピークのつらなりで、安達太良連峰とも呼ばれます。活発な火山活動によって生み出された頂きはそれぞれユニークです。中でも安達太良本峰と呼ばれる主峰は、山頂にドーム状の岩峰を突き出したシルエットから「乳首山(ちちくびやま)」とも呼ばれています。
 
今回安達太良山を登るのは、女優の春馬ゆかりさん。昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山です。山会は吹雪の中、白銀の頂を目指しましたが、今回は、錦絵のような見事な紅葉の安達太良山と出会います。
  
【ロケ日:10月6~9日】
 
出演される春馬さん、「昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山」とあるとおり、同じ番組の今年1月のオンエア、#32 「雪煙舞う厳冬の安達太良山」で、やはりご出演なさいました。
 
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番組冒頭近く、俳優・津嘉山正種さん(やはり福島を舞台にした昨年の大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・神保内蔵助役)による「安達太良連峰。その山の上に広がる空は、一つの詩によって、多くの日本人の心に刻みこまれた。」というナレーションのあと、「あどけない話」の後半部分が朗読され、智恵子生家裏の鞍石山に建つ「樹下の二人」詩碑から、春馬さんのレポートがありました。
 
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今回も上記内容説明に光太郎智恵子の名がありますので、少しでも紹介があるといいなと思います。ただ、基本、登山系の番組ですので、それほど深く突っ込まれないとは思いますが。前回は白銀の世界でしたが、今回は紅葉がメインのようです。
 
ちなみに(その1)、テレビといえば、NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア」で、来月26日に「ふたりの時よ 永遠に  愛の詩集「智恵子抄」」というサブタイトルで、光太郎智恵子がメインの回がある予定でした。しかし、さきごろ、台風の緊急報道があった影響で放送がずれ込み、さらに12月は真珠湾攻撃や忠臣蔵など、旬の内容を扱うそうでずらせず、延期になりました。「愛の詩集」ならバレンタインデー、とのことで、来年2月11日(再放送は18日)のオンエアだそうです。当方、ロケハンでディレクター氏を犬吠埼や九十九里にご案内したり、放映用に資料を提供したり致しましたので、ご連絡を頂きました。
 
過日、当方が刊行した『光太郎資料』第42集。全国の関係団体や個人の皆様にお送りしましたが、その添え状に「歴史秘話ヒストリア」の放映が11月26日、と書きました。しかし、そういうわけで延期です。添え状の内容、ガセネタではありませんのでよろしくお願い申し上げます。
 
話を安達太良山の紅葉に戻します。
 
過日、福島の相馬方面に行った際、道の駅で入手した無料の『福島県観光ガイドブック\秋・冬のふくしまを巡る!/』によれば、安達太良山の紅葉の見頃は今月中旬までとのこと。しかし、平地の二本松霞ヶ城あたりでは来月下旬までだそうです。菊人形もまだ開催中。
 
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ちなみに(その2)、二本松といえば、智恵子生家・記念館があります。
 
過日行われたレモン忌の際、智恵子の描いた明治44年(1911)、雑誌『少女世界』の口絵としてカラー印刷された「お人形」という作品があり、そのページだけ切り取った状態のものを入手したので、智恵子記念館で展示して下さいということで、寄贈して参りました。
 
同館学芸員の方から展示しました、ということでメールを戴きました。証拠として(笑)画像も添付されていました。
 
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順路のほぼ最後、矢張り智恵子の描いた油絵「ヒヤシンス」(こちらは肉筆です)の隣に展示していただきました。菊人形期間中は紙絵の実物の展示もありますので、ぜひ足をお運び下さい。
 
ちなみに(その3)、二本松といえば、智恵子の顕彰活動をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」さん。昨日、研修旅行で、成田からパリに向けてご出発なさいました。発会10周年ということで、豪勢に1週間近く、パリでの光太郎の足跡をたどるツアーだそうです。
 
成田空港は、当方自宅兼事務所からものの30分足らずの距離でして、お見送りに行って参りました。
 
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「智恵子抄」をはじめとする光太郎詩にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんもご参加。
 
1週間近くのご滞在で、途中、日本の味が恋しくなるだろうと思い、当方自宅兼事務所のある香取市名産のおせんべいを差し入れました。来週末には帰国早々のモモさんとまた一緒に仕事が入っていまして、その際には土産話と素敵なパリ土産が戴けるものと期待しております。エビでタイを釣る、とはこのことですね(笑)。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月28日
 
平成7年(1995)の今日、品川区立品川歴史館で、特別展「高村智恵子 紙絵とその生涯」が開幕しました。
 
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品川は智恵子終焉の地、ゼームス坂病院があったところです。同じ平成7年には病院跡地に智恵子の臨終を謳った光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が建立されています。

一人語り『智恵子とゐふ女』。

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朗読系の公演情報です。 
会    場  スペースじゃがいも村 東京都中野区鷺宮4-1-13 吉田ビルB1
期    日  2014年11月1日(土)~9日(日)
時    間  11/1~3、11/5、11/8、11/9 16:00から
         11/4、11/6、11/7       19:00から
上演時間   約1時間
出    演  麦人
 
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麦人さんサイトから。
 
高村光太郎の詩集「智恵子抄」は1941年に初出版された。
私は1944年生まれだが、
自分が生まれる三年も前にこの詩集は世に出ていたわけだ。
1941年は第二次世界大戦の中、
日本が米英などの連合国に宣戦布告し、
泥沼の太平洋戦争に突入していった年である。
そんな厳しく混沌とした日本社会の中で、
男女の個人的愛の姿を描いたこのような詩集が出版されたのは、 まことに驚きであり、稀有なことではなかったのか…。
これまでに「智恵子抄」は、
小説・評論、映画・TVドラマ・舞台と、多くの表現分野でとりあげられており、
その捉え方、描かれ方はさまざまである。
光太郎は彫刻家としてもすぐれた作品を多く残しており、
芸術分野で発揮したその才能は並々のものではない。
ゆえにあの当時としては数少ない女流洋画家であった智恵子は、 その自身の芸術への希求を、光太郎との生活のために放棄した犠牲者だと捉える人もいる。
いや、光太郎が純粋に妻へ捧げた
愛の詩だと捉える人もいる。
ま、さまざまな論はさておき、今回私が上演する台本は、
原作の詩を一語一句、
可能な限り間違えぬよう忠実に語りたい。
詩でなく、光太郎が智恵子について記した散文については、
光太郎自身の書いた「智恵子の半生」と、「智恵子の紙絵」から一部抜粋し、
一人語りにするため、私なりの手を入れた。
それでも内容的には
光太郎自身の書いたものにほぼそっている。
ともかくこの舞台で光太郎になりかわり語る私自身は、
「智恵子抄」の詩をメインに、古希を過ぎた今の私が感じるままの、一つの夫婦世界を、
可能な限り私自身の世界として、お客様にとどけられればよいと願っている。
そしてあわよくばお客様それぞれが、
お一人、お一人、独自に歩んでこられた人生と重ね、過去を思い、
未来を思ってくださるような舞台になれば幸いだと思うのである。

 
お申し込み、お問い合わせは麦人さんサイトをご参照下さい。
 
当方、11/5(水)の公演に参上します。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月29日イメージ 3
 
昭和22年(1947)の今日、草野心平の詩集『定本蛙』の題字を揮毫しました。
 
『定本蛙』は翌年11月8日、大地書房から刊行されました。
 
心平から光太郎に宛てた書簡が残っています。
 
それからぼくの『定本蛙』が大地書房といふところから出ます。『第百階級』と『蛙』からの抜萃とその後に出来たもののうちから十篇程、のものをひとまとめにしたものですが、またまた表紙の題字をお願ひいたしたいのですが、型は前の蛙のやうな大型のもの、
 
文面にある通り、光太郎はこれ以前にも心平の詩集や雑誌の題字を揮毫しています。
 
昭和6年(1931)には雑誌『弩』、同13年(1938)には詩集『蛙』、同18年(1943)には詩集『富士山』。
 
右は『定本蛙』の扉です。
 

京都知恩院 秋の紅葉ライトアップ2014。

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京都からの情報です。 
期間 : 2014年11月1日(土)~11月30日(日)
拝観時間 : 17時30分~21時30分(21時受付終了)
場所 : 浄土宗 総本山知恩院京都市東山区林下町400 ) 友禅苑、阿弥陀堂、黒門坂 
拝観料 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生) [団体割引]大人30名以上、1割引き
 
後援:京都府、京都市、(公社)京都府観光連盟、(公社)京都市観光協会、(公財)京都文化交流コンベンション  ビューロー、京都商工会議所
協賛:西日本旅客鉄道(株)京都支社、京阪電気鉄道(株)、古川町商店街振興組合、宮崎友禅翁顕彰会
 
~復興への祈り~
今年の知恩院ライトアップは友禅染の創始者宮崎友禅斎を祀る庭園「友禅苑」、阿弥陀如来坐像をお祀りする「阿弥陀堂」、紅葉の名勝である「黒門坂」をライトアップします。
また、災害復興のため阿弥陀堂前にて献灯ロウソクと三門前広場にて宮城「希望の環」による東北地方物産の直売(11月15日[土]〜24日[月])を実施いたします。
 
主な見どころ】
 友禅苑
友禅染の祖、宮崎友禅斎ゆかりの庭園。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池は高村光雲作の聖観音菩薩立像が佇んでいます。移ろう季節の中で、秋の趣を感じることが出来ます。
 
 阿弥陀堂
明治43(1910)年に再建。本尊は御身丈2.7mの阿弥陀如来坐像。様々な法要儀式を執り行う堂宇です。堂内に並べられている木魚は自由に叩いて頂けます。法然上人のみ教え「お念仏」に触れて下さい。
※法要儀式のため閉門する場合がございます。
 
 黒門坂
本年のライトアップが初公開となる黒門坂。徳川将軍家による寺領拡大と共に組まれた石垣と、桃山城より移設した城郭風の黒門が特徴で、現在では知恩院境内有数の紅葉の名勝となっており、背景に京の街並みを見渡すことができます。
 
 災害復興支援 献灯
ライトアップ期間中、知恩院の阿弥陀堂前で献灯ロウソクを行います。献灯台へ祈りの灯をお捧げください。
※献灯冥加は災害復興のため一部寄付いたします。
 
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寺の町だけあって、京都にも光雲の仏像がかなりあります。そのうち、知恩院さんの聖観音像が、紅葉を背景としたライトアップ。
 
近郊の方、あるいは紅葉を見に上洛される方、ぜひとも足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月30日
昭和42年(1967)の今日、二玄社から『高村光太郎全詩稿』が刊行されました。
 
光太郎の手元に残された大正5年(1916)から、昭和31年(1956)に歿するまでの詩稿、およそ850枚を写真製版し、北川太一先生が詳細な解説を加えた、上下二分冊の書籍です。
 
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昭和20年(1945)4月、空襲により駒込林町のアトリエは灰燼に帰しました。その際、光太郎はそれまでの詩稿を持ち出ましたが、行方不明となりました。
 
十和田湖畔の裸婦像制作のため、昭和27年(1952)に再び上京した光太郎の元に、詩稿の束が戻ってきました。それは炎上したアトリエの隣家、蔵石家で奇跡的に保管されていたのです。
 
 
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アトリエ炎上から岩手時代を経て、歿するまでの詩稿はそのまま光太郎の手元に蓄積され続け、戻ってきた古い詩稿と合わせ、その数およそ850枚。中には光太郎の単行詩集に収録されず、同人誌的なものに発表されただけで終わり、どんな詩だったのか不明のものも、数多く含まれていました。
 
のちの筑摩書房刊行『高村光太郎全集』編纂に大いに役立ったことは言うまでもありません。
 
その詩稿を写真製版し、刊行されたのが『高村光太郎全詩稿』です。
 
推敲の跡が生々しく残り、さらに雑誌等に発表した後、単行詩集に収録する際の改変の跡などもうかがえる詩もあります。何より、活字からは感じ取りにくい、光太郎の息づかい的なものが、肉筆の文字から伝わってきます。
 
難点は、B4サイズの大判で、コート紙を使用しているため、かなりの重量であること。当方手持ちのクロス貼り表紙のもの(革張り表紙の特製版もあります)の上巻は3.7㌔㌘、下巻は3.8㌔㌘でした(笑)。

「五木寛之「風のCafe」1周年記念スペシャル ゲスト:渡辺えり」。

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またまたテレビ放映情報です。 

五木寛之「風のCafe」1周年記念スペシャル ゲスト:渡辺えり

BSフジ 2014年11月 1日(土)17:30~18:30  再放送 11月15日(土)17:30~18:30
 
番組ホスト 五木寛之(作家)
番組アシスタント 冴木彩乃(出版プロデューサー)
ゲスト 渡辺えり(劇作家・演出家・女優) 
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 今回のゲストは、渡辺えり。そして、“もう一度聞きたい、あの話”をまじえての60分スペシャル!これまでCafeを訪れた各界の著名人、13人のゲストの名言を再びお届けする。
 五木から演劇界きっての歌唱力の持ち主と称賛される渡辺えりは、五木が作詞した歌を2曲もつ。その一つ「昼の花火」の歌詞は還暦を前にした渡辺にとって、今あらためて読むと泣きそうになるという。その歌詞のもつ意味は?
 戦時中、高村光太郎に心酔した父により、家に飾ってあった光太郎の写真をずっと自分の祖父だと思って育った渡辺。いじめられっ子だった小学校時代。そこから自信を持てるようになったきっかけ、そして山形から上京することになった理由の一つ、ジュリーこと沢田研二への憧れについて語る。
 そして、五木と渡辺のいくつもの接点。その一つが池袋の「舞台芸術学院」でのすれ違い。さらに、「ゲゲゲのげ」岸田國士賞受賞のきっかけをつくった「唐十郎」とのこと。唐は当時無名の渡辺の初期作品を候補作と間違えて読み、その実力を看破したという。また、美輪明宏にこの授賞式の衣装を買ってもらった話や、同時受賞した野田秀樹などの不思議な縁を話す。
 劇団「3○○」や演劇活動のかたわら、テレビにも出演。庶民的で可笑しなキャラクターを演じ人気を博している“国民的女優渡辺えり”。しかし、映像で見るイメージとは違い、劇作家渡辺えりの描く芝居はシュールなものだ。そのギャップが違いすぎて、お客さんが戸惑い理解されない、という悩みも打ち明ける。今度の舞台「天使猫」は東日本大震災の後、はじめて書き下ろした作品だ。被災地に思いを馳せ、復興未だ叶わぬ現地でもテントで上演される。そのきっかけは、共演する宇梶剛士と地元の人たちの「ここでやりたい、やってくれ」という言葉だった。
 渡辺えりは様々な顔をみせる。プロデューサー、脚本家、作家、評論家、タレント、そして俳優・・・あらゆる役割をこなす渡辺えりを、五木は「百姓」という言葉で例える。「百姓」という言葉には、元々「様々な職業」という意味があるのだ。五木は彼女に100歳までの舞台を期待する!
 
 
生前の光太郎と面識のあったお父様の影響で、光太郎を主人公とした演劇「月にぬれた手」を作られた渡辺えりさんがゲストです。
 
お父様と光太郎にまつわるエピソードは、かつての連翹忌、一昨年5月9日の「徹子の部屋」、昨年5月15日の花巻光太郎祭での講演などでご披露されました。
 
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今回もそのあたりのお話が聴けるのではないでしょうか。
 
また、現在、渡辺さんは宮沢賢治を主人公とした舞台「天使猫」の全国ツアー中。そのあたりも内容説明に入っています。
 
ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月31日
 
昭和43年(1968)の今日、中央公論美術出版から、光太郎の弟・高村豊周著『自画像』が刊行されました。
 
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基本、鋳金の人間国宝として活躍した豊周の自伝ですが、随所で光太郎智恵子、光雲についても語られており、貴重な記録です。

「第三回金子大蔵書展-近代詩文書の可能性を探る(高村光太郎の詩を書く)」レポート。

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昨日は上京して参りました。
 
目的は二つ。
 
 
先に伺ったのは中村屋さんなのですが、こちらは会期が長いので、後ほどレポートいたします。金子大蔵氏の書の展覧会は明後日までということで、こちらを先にレポートいたします。
 
会場は東京芸術劇場5階のギャラリー1。池袋駅の西口を出てすぐです。
 
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昨日から開始ということで、関係者とおぼしき人も多く、後に詳述しますが、金子氏ご本人もいらっしゃいました。
 
会場に入ってまずドーンと、「道程」。高さは天井まで、横幅は10㍍ではきかないでしょう。
 
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骨太の光太郎の詩句に呼応する、力強い書です。まずこれで圧倒されました。
 
その後も約40点、光太郎の詩句をモチーフにした書が並んでいます。
 
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題材は様々な詩から採られており、詩の全文を書いたものもあれば、一言だけを取り出したものもあり、大幅もあれば、色紙大の小品もあり、バリエーションに富んでいます。
 
モチーフに使われている詩は、最初は「道程」でしたが、その他は「鐵を愛す」、「花のひらくやうに」、「最低にして最高の道」、「火星が出てゐる」など、むしろ光太郎詩の中ではあまり有名でないものがほとんどでした。「あどけない話」、「レモン哀歌」、「ぼろぼろな駝鳥」などのメジャーどころはありません。
 
ミュージシャンのベストアルバム的な選び方でなく、あまり知られていない詩でも、いい言葉はいい、と、そういう採択の仕方に好感が持てました。
 
図録から画像を拝借します。やはり力強い筆致のものが多いのですが、逆に薄い墨で流れるように書かれたものも。それぞれに詩句の内容を意識して、いろいろ書き分けられているようです。
 
観ている方々の中から、「これ、ほしいな」という声が聞こえました。
 
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ひととおり観たあと、金子氏とお話しさせていただきました。長身のイケメンでした(笑)。
 
昔から光太郎詩が好きだったとのこと、光太郎詩を題材にすればいくらでも書ける、的なことをおっしゃっていました。光太郎の詩句には、ご自分が年齢を重ねることで(といっても氏は昭和48年(1973)のお生まれなので、まだ40代はじめですが)、解釈が変わってくるとも。
 
やはり光太郎作品は、いろいろな分野の表現者の表現意欲を刺激するのだな、と、改めて感じました。
 
ちなみにこの書展、『毎日新聞』さんで取り上げられ、「書の可能性を探ろうとするさまざまな試みに書人の真摯(しんし)な思いが感じ られるだろう。」との評でした。
 
非常に残念なのですが、会期は明後日までです。もっと長期間にして、多くの皆さんに観ていただきたいのですが……。
 
入場は無料。図録は700円也、です。
 
ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月1日
 
昭和25年(1950)の今日、山形の料亭野々村で開催された山形新聞社主催の美術講演会で、「日本に於ける美の源泉」と題して講演を行いました。
 
翌日は山形市教育会館美術ホールで講演しています。
 
昨日もご紹介した女優の渡辺えりさんのお父様、渡辺正治氏は、このどちらかの講演を、交際中だったえりさんのお母様と一緒に聴きたくて、鼻の手術で入院中だったお母様の病室に窓から忍び込み、無理矢理連れ出し、顔に包帯を巻いた寝間着姿のお母様と並んで聴かれたそうです。

第4回天山・心平の会「かえる忌」。

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新宿中村屋サロン美術館の開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」をレポートしようと思いましたが、明日にします。開催間近のイベントの情報を先に書きます。 

第4回天山・心平の会「かえる忌」。

主 催 : 天山・心平の会
日 時 : 2014年11月8日(土) 午後3時より6時まで
場 所 : 福島県双葉郡川内村上川内町分211 小松屋旅館 「蕎麦酒房天山」
会 費 : 2,500円 (食事付)
連絡先: 天山・心平の会代表 井出茂 0240-38-2033
 
2,008年7月12日から8月31日まで川内村阿武隈民芸館で開催された「高村規写真展-草野心平没後20年記念」をご記憶の方も多いと思います。その写真家で高村光太郎記念会理事長の高村規(ただし)さんが、今年8月13日に心不全のため81歳で死去されました。
第4回「かえる忌」では、高村規さんを偲んで、光太郎・智恵子と宮沢賢治・草野心平を語る会にしたいと思います。講話は、連翹忌運営委員会代表小山弘明氏、前かわうち草野心平記念館長晒名昇氏、歴程の詩人伊武トーマ氏を予定しています。
万障繰り合わせてお集まり下さいますよう、ご案内申し上げます。
 
なお、11月9日(日)、いわき市上小川・常慶寺の草野心平墓参、心平生家で開催される第21回「心平を語る会」(無限夢想の会主催)に参加出来れば幸いです。
 
東京方面から参加の方へ 小松屋旅館1泊の方は各自予約願います。電話番号は連絡先と同じ。
JR東京駅発10:00東北新幹線やまびこ133号 郡山駅着11:19 郡山駅西口出口発川内村行バス11:35 川内村阿武隈民芸館入口着13:00
 
11月9日(日)川内村発自家用車相乗り9:00 常慶寺墓参11:10 心平生家の第21回「心平を語る会」参加11:30~13:30 JR常磐線いわき駅始発14:16特急スーパーひたち号 上野駅着16:36


 
光太郎と親交の深かった詩人、草野心平を偲ぶ「かえる忌」です。場所はモリアオガエルが縁で、心平が愛した川内村。当方、一昨年昨年と参加させていただきました。昨年は講演もおおせつかり、「高村光太郎と草野心平の交流」という題でお話しさせていただきました。
 
昨年の様子は、その後BS朝日さんで放映された「にほん風景物語 福島 川内村・いわき小川郷 ~詩人・草野心平が詠んだ日本の原風景~」で、その模様が紹介されました。
 
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今年は、講演というほどではありませんが、講話ということで、20分ぐらい話せ、と指示が出ました。しゃべってきます。
 
川内村は福島第一原発に近く、まだまだ復興途上の区域です。訪れるだけでも復興支援です。興味のある方、足をお運び下さい。
 
ところでテレビというと、昨日は珍しく、2つの番組で光太郎が少しずつ紹介されました。
 
 
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ゲストの渡辺えりさんが、生前の光太郎と交流があったお父様・正治氏のエピソードを披露されました。
 
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戦時中、武蔵野の中島飛行機の工場に動員されていた正治氏が、空襲による死の恐怖を、光太郎の詩をそらんじることで克服したというお話。残念ながら時間の都合でしょうか、実際に駒込林町のアトリエに会いに行ったお話、山形での講演会でのお話などはありませんでした。
 
 
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今年1月の同じ番組でも扱って下さいましたが、やはり光太郎の「あどけない話」を使って下さいました。
 
ありがたいことです。
 
安達太良山といえば、今日発行の『読売新聞』さんの日曜版に、安達太良山、智恵子の生家がドーンと紹介されています。購読されていない方も、コンビニ等で購入出来ますのでぜひお買い求め下さい。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月2日
 
大正元年(1912)の今日、日本橋三州屋で催された画家、石井柏亭帰国歓迎会に出席しました。

新宿中村屋サロン美術館の開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」レポート。

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新宿駅の東口を出て、すぐ、新装なった新宿中村屋ビルの3階です。
 
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中村屋さんと縁の深かった荻原守衛の関係で、「中村屋サロン」が形成され、光太郎もこの場所に足繁く通っていたと思うと、感慨ひとしおでした。
 
その守衛や光太郎をはじめ、「中村屋サロン」の芸術家たちの作品が約50点、展示されていました。
 
光太郎の作品は、事前に展示の目玉の一つとして宣伝されていた油絵の「自画像」、それからブロンズの「手」、さらに同じくブロンズの「裸婦坐像」も並んでいました。
 
「裸婦坐像」が出ているのは存じませんで、ちょっと驚きました。信州安曇野の碌山美術館さんで持っているもので、昨年亡くなった鋳金の人間国宝にして、光太郎の実弟・豊周の弟子、故・齋藤明氏の鋳造になるものです。したがって、非常に美しく鋳造されています(全国にいくつかあるこの「裸婦坐像」、残念ながらあまりよい鋳造ではないものも展示されています)。
 
ちなみに碌山美術館さんでは、このほど光太郎の「十和田湖畔の裸婦群像」(通称「乙女の像」)の小型試作を購入されたそうです。同館ではもともと同じ像の中型試作を所蔵されていますが、今度は小型。さらに展示が充実しますね。
 
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閑話休題。出品目録を見ると、他にも碌山美術館さん所蔵のものが全体の3分の1ぐらいを占めており、全面的にご協力なさっているのがよく判りました。
 
図録にも同館学芸員の武井敏氏の執筆した箇所がありました。
 
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守衛の彫刻は2点。石膏原型が重要文化財に指定されている代表作「女」、そして守衛パリ留学時代の作品「坑夫」。
 
「坑夫」は、光太郎とも縁の深い作品です。明治40年(1907)、当時ロンドンに居住していた光太郎が、パリの守衛の元に行った際、まだ粘土の状態だったこの「坑夫」を観て感心し、ぜひ石膏に取って日本に持ち帰るよう進言しました。
 
また、碌山美術館に隣接する穂高東中学校さんの前庭に、この「坑夫」が立っていますが、その題字は昭和30年(1955)に光太郎が揮毫しています。
 
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その他、「中村屋サロン」のメンバーだった柳敬助、中原悌二郎、戸張孤雁、会津八一、中村彝、斎藤与里、中村不折など、光太郎智恵子ともいろいろな縁のある作家の作品がずらり。中村屋さん所蔵のものにも優品が多いなと感じました。
 
帰りがけに、図録と、グッズを購入しました。
 
油絵「自画像」のポストカード。
 
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やはり「自画像」、それから「坑夫」も入った4枚組のしおり。
 
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さらにB1階の直営店ボンナさんで、和菓子の「自慢詰合わせ」。
 
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「碌山」というクルミを使ったまんじゅうがありますが、守衛の号の「碌山」から採った名でしょう。当方、子供の頃はそんな事も知らずに食べていました(笑)。
 
会期は来年2月15日(日)までです。ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月3日
 
昭和18年(1943)の今日、武蔵書房から年少者のための詩集『をぢさんの詩』を刊行しました。
 
単行書としては、光太郎唯一のジュブナイルです。初版と重版は武蔵書房、第三版は同じ紙型を使って、太陽出版社に書肆が替わっています。
 
今日閉幕する「ヨコハマトリエンナーレ2014」で展示されていた『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『記録』(同19年=1944)同様、戦時中ということで、ある意味読むに堪えない残念な作品も多い、いわば「負の遺産」です。

秀明大学飛翔祭「宮沢賢治展 新発見自筆資料と「春と修羅」ブロンズ本」。

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千葉県八千代市からのイベント情報です。 
日 時 : 2014年11月8日(土)10:00~17:00・9日(日)10:00~17:00
場 所 : 秀明大学 1201・1202・1205教室 千葉県八千代市大学町1-1
 
詩や童話を中心に、数々の名作を世に残した日本近代文学を代表する作家、宮沢賢治。
今回の展覧会では、たくさんの人々に愛されている賢治の自筆書簡をはじめ、貴重な初出資料を一般公開します。詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』が刊行されて90年。この展覧会を通して賢治の世界観に触れ、賢治の魅力を感じてください。
会場には喫茶コーナーやグッズ販売もございます。
 
主な展示品
・宮沢賢治新発見自筆資料
・宮沢賢治新発見スナップ写真
・『春と修羅』ブロンズ本/『注文の多い料理店』署名本
・宮沢賢治生前初出雑誌
・「雨ニモマケズ」棟方志功自刻版画
・宮沢賢治とゆかりの詩人・歌人の稀覯本
  石川啄木『一握の砂』尾崎行雄宛署名本 高村光太郎『道程』特装本 
  萩原朔太郎『月に吠える』無削除版 草野心平『第百階級』著者校正本 
  中原中也『山羊の歌』三好達治宛署名本 など
 
関連行事
 講演「祖父・清六から聞いた宮澤賢治」 宮澤和樹氏(林風舎代表取締役)
 11月9日(日) 13:00~14:00
 
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秀明大学さんの学園祭・「飛翔祭」中のイベントです。
 
学長の川島幸希氏は、稀覯本コレクターとして有名な方で、当方も購読している『日本古書通信』というマニアックな雑誌に「懐かしき古本屋への讃歌」という連載をお持ちです。以前は同誌で「私がこだわった初版本」という連載もされていました。
 
目玉は賢治の新出資料です。今年9月にその発見が報じられています。
 
 作家で詩人の宮沢賢治(1896~1933年)が友人に宛てた書簡などの未発表資料11点が見つかった。古書収集家の川島幸希秀明大学長が24日発表した。大妻女子大の杉浦静教授は「賢治が宗教に傾倒するなど大きな転機を迎えた1918年前後の消息を示す貴重な資料」と話している。
 発見されたのは、盛岡高等農林学校の同級生だった成瀬金太郎氏に16~20年にかけて送ったはがきや在学中のスナップ写真など。昨年、東京都内の古書店で入手した。
 19年9月21日付のはがきでは、南洋ポナペ島(現ミクロネシア連邦ポンペイ島)在住の成瀬氏に、半紙刷50枚の宗教童話の頒布を依頼。法華経に傾倒し始めた当時の信仰心の強さが読み取れる。
 一方、18年4月18日付の封筒には「(同封の絵はがきを)途中デヌスムモノガアッタラヒドイメニアワセテヤリマシャウ」と記し、「聖人君子のイメージが強い賢治の、おちゃめな一面ががうかがえる」(杉浦教授)。
 このほか、背表紙を自ら塗りつぶしたとみられる「春と修羅」の単行本も発見された。同書を「心象スケッチ」と称した賢治は、背表紙に詩集と記されたことが不満で、ブロンズの粉で文字を消したと別の友人に伝えていた。発見された本は書名や著者名まで粉が塗られ、川島学長は「それだけ否定したい気持ちが強かったのでは」としている。
 資料は11月8、9日に秀明大学(千葉県八千代市)で開かれる宮沢賢治展で一般公開される。(2014/09/24-20:00 時事ドットコム)
 
おまけで(笑)、光太郎や草野心平ら、賢治ゆかりの文学者の稀覯本が展示されます。光太郎は『道程』の特装本。おそらく、先にご紹介した『日本古書通信』の、一昨年4月号で、川島氏が紹介なさっていた、光太郎の識語署名三カ所、三方金、桐箱入(箱書・佐藤春夫)の小数部作られた私家版? だと思われます。
 
心平の『第百階級』(昭和3年=1928)は光太郎が序文を書いていますし、中也の『山羊の歌』(昭和9年=1934)は光太郎の装幀、題字揮毫です。
 
賢治の弟で、光太郎・心平ともども、賢治作品を後世に伝える大きな役割を果たした故・宮澤清六氏の令孫に当たる和樹氏のご講演も貴重な機会です。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月4日
 
昭和30年(1955)の今日、筑摩書房版『宮澤賢治全集』の装幀を終えました。
 
先述の『山羊の歌』など、文学史に残るさまざまな書物の装幀を手がけた光太郎の、最後の装幀作品です。
 
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詳細な指示書も残っています。
 
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「賢さ」は岩手の方言で「賢さん」。光太郎の、岩手で足かけ8年暮らした体験が生きています。ちなみに表紙に「空押し」という技法で陰刻されています。
 
刊行は翌昭和31年(1956)4月25日から32年(1957)にかけて。光太郎没後のことです。巻数の漢数字は、「六」まで光太郎が書いておきましたが、同全集、全十一巻です。では、「七」以降はどうしたのか、というと、草野心平が光太郎の筆跡を真似て書きました。
 
この一事をとっても、光太郎、心平、賢治、三人の深い絆が見て取れますね。

花巻高村光太郎記念館・高村山荘/十和田湖ぷらっと 冬期閉鎖のお知らせ。

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当方の住む関東南部は秋たけなわ。紅葉もこれから見頃です。
 
しかし、北東北はもう冬支度が始まっていることと思います。
 
そういうわけで、岩手花巻の高村光太郎記念館・高村山荘と、青森十和田湖の観光交流センター(愛称「ぷらっと」)が、今月いっぱいで冬期閉鎖に入ります。
 
この冬、花巻や十和田にお越しの皆様、ご注意願います。
 
花巻の記念館の方は、冬期というより、グランドオープンのための改修工事という事情ですが、やはり秋の観光シーズンを終え、冬期をねらったという側面もあるのでしょう。
 
以下、同館サイトからのコピペです。
 

高村光太郎記念館 リニューアル工事に伴う閉館について

高村光太郎記念館は、光太郎生誕130 年に当たる平成25 年の5 月15 日に旧花巻歴史民俗資料館を活用して暫定的に開館しました。
 
また、平成25 年度に行われた展示設計に基づき、同館では本年度、旧資料庫を含めた建物全体を改修し、より魅力的な展示とするためリニューアルすることとしています。
 
平成26 年12 月1 日より平成27 年4 月中旬まで、記念館は閉館します。      
 
本年12 月より工事を行う予定です。資料等の入れ替えのための期間を含め、本年12月1 日より来年4 月中旬(予定)までの間、高村光太郎記念館は臨時閉館いたします。

大変ご不便をお掛けしますが、ご理解のほどよろしくお願いします。なお、隣接する高村山荘も同期間、冬季閉鎖いたします。
 
閉館中は、まなび学園(生涯学園都市会館)において資料の展示を行います。  
 
高村光太郎記念館の閉館中、まなび学園において同館収蔵資料の一部を展示します。
 
会期は本年12 月上旬からを予定しておりますが、内容や期間など、詳しいことは決まり次第お知らせします。
 
 
来春にはグランドオープンということで、改修計画が進んでいます。より一層充実した施設となることを願ってやみません。
 
 
また、先月、十和田湖畔にオープンした十和田市観光交流センター「ぷらっと」も、11月30日をもって、冬期閉鎖に入ります。
 
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再オープンはやはり来春4月と聞いていますが、こちらはネット上に日時の情報が見つかりません。上記は『広報とわだ』の今月号、オープンの記事です。
 
それぞれ情報が入りましたら、またお知らせします。
 
ちなみに十和田湖といえば、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんで、十和田湖畔の裸婦像(通称・乙女の像)の建立60周年にあたり、記念誌的な書籍の刊行を進めています(当方も一部執筆させていただきました)。同会のサイトで、昨日、その話題がアップされています。ご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月5日
 
昭和27年(1952)の今日、龍星閣『智恵子抄』特装版の製本が完了しました。
 
『智恵子抄』特装版。十和田湖畔の裸婦像制作のため光太郎が帰京した記念、ということで刊行されました。
 
外函のラベルによれば、「最上羊皮丸革朱赤染表装・紺染布函入」、「限定貳百冊」、「但限定貳百冊印刷之内百七十冊製本、参十冊廃棄」、「昭和二十七年十一月五日製本出来」だそうです。
 
こちらが外函。
 
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ぱかっと開けると中函が出てきます。
 
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さらにそれを開けると本体。
 
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表紙に羊の皮を使っているそうです。昔、この手の皮装本が流行った時期がありました。
 
ところが、奥付を見ると「九月三十日発行」となっています。
 
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一般に、奥付の発行日と、実際に刊行された日が一致しないことは往々にしてありますが、1ヶ月以上もずれているとは、少し不思議です。
 
通常、図書館等のデータは、奥付の日付を公式な発行日とします。しかし、この場合、外函には「十一月五日正本」と明記されています。何だかなー、という感じですね。
 
ちなみに龍星閣さんでは、昭和34年(1959)4月10日には、「皇太子殿下(現・今上天皇)ご成婚記念」で、『智恵子抄』の「紅白版」なるものも出しています。表紙に紅白の布を使っている、というだけですが(笑)。

一人語り『智恵子とゐふ女』レポート。

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昨日も上京して参りました。まず午前中から国会図書館へ。開催中の「国立国会図書館平成26年度企画展示 あの人の直筆」を拝観、さらにいろいろと調べ物をして参りました(明日、レポートします)。
 
夕方から中野の鷺ノ宮にて、「語り同人《じゃがいも》」主宰の麦人氏による「一人語り『智恵子とゐふ女』 」を観せていただきました。
 
会場は西武新宿線鷺ノ宮駅近くの「じゃがいも村」。30席ほどのアングラスペースでした。看板に気づかず、一度、前を通り過ぎてしまいました(笑)。狭い空間で、舞台と客席の距離も非常に近く、一体感のある作りでした。
 
午後4時開演。いったん、客席を含め全ての照明が暗転し、再び点いた時には舞台中央、踏み台に腰かけた麦人氏。丸眼鏡をかけ、襟なしのバンドカラーシャツに半纏、晩年の花巻郊外太田村時代の光太郎を意識したであろういでたちです。
 
「亡き人に」をはじめ、次々と光太郎詩を語られていきます。台本を手に読むわけではないので、「朗読」というわけではなく、
舞台上を大きく動き回りもされないので、「芝居」とも言えず、「語り」と分類するしかない、一風変わったジャンルでした。
 
 
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扱われた詩は、『智恵子抄』、『智恵子抄その後』を中心におよそ20篇。全篇、台本を見ずほぼ正確に語られ、感心しました。合間に状況を説明するため、やはり光太郎の散文「智恵子の半生」や「智恵子の切抜絵」、「九十九里浜の初夏」などから、こちらは換骨奪胎ですが、それでも長い語りが入りました。詩にしても説明の部分にしても、まるで光太郎自身が語っているような雰囲気が醸し出されていました。
 
当方、今までに、女性による「智恵子抄」の朗読は何度も聴いてきましたが、男性の、しかもこの年代(麦人氏は古稀)の方の「智恵子抄」を聴くのは初めてでした。女性の澄んだ美しい声による朗読もいいものですが、ある意味無骨な麦人氏の「語り」も、実にリアルに感じました。客席で、当方の前に座られていた女性客、お二人ばかりはハンカチで涙を拭いながら聴かれていました。
 
こちらの公演、9日(日)までです。この種のものとしてはロングランですね。まだ空席があるかも知れません。麦人氏サイトに申し込み方等が記載されていますので、ご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月6日
 
明治30年(1897)の今日、光雲が古社寺保存会委員に任ぜられました。

国立国会図書館企画展示「あの人の直筆」レポート。

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一昨日、中野鷺ノ宮で、「語り同人《じゃがいも》」主宰の麦人氏による「一人語り『智恵子とゐふ女』」に行く前、午前中から国立国会図書館に行っておりました。
 
調べ物が主目的でしたが、現在、企画展示「あの人の直筆」が開催されていますので、まずそちらを拝観しました。
 
会場が新館一階とのことで、いつものように本館2階の入り口から入り、新館へ。階段で一階に下りました。しかし、会場に繋がるはずの通路が「関係者以外他通行禁止」になっていました。職員の方に訊いたところ、一度、二階の新館出口を出ないと会場に入れないとのことでした。
 
考えて見れば、企画展示だけ見に来る方のためにそうしているのでしょう。通常の利用で館内に入るには、入館証が必要で、最初に入館証を発行してもらうには面倒な手続きが必要になりますので。
 
下記は簡易図録。A5判15頁で、ありがたいことに無料でした(入場も無料です)。ネットで公開されているよりも詳細な出品目録ももらえます。
 
さて、会場へ。
 
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最初に特別展示ということで、細川ガラシャの書簡。下記は図録から採りましたが、現在は別の書簡が並んでいます。
 
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その後、おおむね時代順にいろいろな「直筆」が展示されていました。事前の告知で目玉として紹介されていた坂本龍馬や中岡晋太郎、高杉晋作などの前には結構人だかりができていました。
 
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時間があればじっくり観たのですが、あくまで調べ物がメインですので、ほとんど横目で見ながら、事前の告知で、光太郎の名があった、ほぼ最後の「署名」コーナーへ。
 
光太郎の「署名」は、昭和17年(1942)刊行の詩集『大いなる日に』でした。見返しに「美は力なり 高村光太郎 昭和十七年七月」と毛筆で識語署名。落款も押してあります。
 
署名として同館が集めたものではなく、たまたま所蔵しているものに署名が入っている、という感じのようです。実際、展示品の多くが、他の通常の所蔵品同様の扱いで、館内のPCを使ってデジタルデータとして見られます。そうなると、真贋の鑑定はどうなっているのかと少し心配になりましたが、大きなお世話でしょうか。
 
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その後、主目的の調べ物。
 
光太郎作品の集成-『高村光太郎全集』に漏れている作品の発掘が、当方の研究のメインです。一昨日は、新聞記事の中で、短い談話を二つ見つけて参りました。いずれ公にします。
 
一つは戦時中のもので、ヘイトスピーチ大好きな右翼(一昨日も議事堂周辺でマイクを持って演説していました。足を止める人もいませんでしたが)が泣いて喜びそうな内容です。こうした「負の遺産」もなかったことにせず、正しく集成せねばなりません。
 
また、当方の刊行している冊子『光太郎資料』執筆のための情報収集も行って参りました。こちらも主に戦時中で、光太郎の詩の中には、数は少ないのですが、歌曲の歌詞として作られたものがあり、それらがどのような経緯で作曲され、公にされたかといった部分が十分に解明されていません。こちらも「負の遺産」的な側面が強いのですが、そのあたりに光を当てることも重要だと考えています。
 
今、調べているのは昭和16年(1941)に作られた「新穀感謝の歌」。信時潔の作曲で独唱歌曲や合唱曲になったり、能の二世観世喜之が謡曲として節附をしたりしています。そのあたりの事情もだいぶわかってきました。こちらもいずれ公にします。
 
さて、企画展示「あの人の直筆」。今月18日までです。ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月7日
 
大正14年(1925)の今日、宮城県志田郡荒雄村(現・大崎市)で、光雲の代作「青沼彦治銅像」の落成式が行われました。
 
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像自体は戦時中の金属供出で現存しません。現在は台座と、除幕当時の石の銘板、戦後新たに作られたレリーフが残っています。
 
高さ八尺。これほどの大作は光太郎にしては稀有で、この後、これに近いサイズで作られたのは、四半世紀を経た戦後の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」です。

あだたら恋カレー。

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福島は二本松からローカルニュースです。 

二本松・東和にご当地グルメ「あだたら恋カレー」誕生

イメージ 1 二本松市の道の駅ふくしま東和は2日、同市東和地区の新たなご当地グルメ「あだたら恋カレー」のお披露目会を開き、同日から販売を開始した。
 「あだたら恋カレー」は、詩集「智恵子抄」で知られる同市出身の高村智恵子・光太郎夫妻の結婚100周年などにちなみ考案。安達太良山の形をかたどったご飯に二本松産の野菜をふんだんに使い、智恵子抄をもじった洋風七味「智恵こしょう」を振り掛けた味もスパイスも「濃い」カレーに仕上げた。1杯680円(税込み)。
 お披露目会は1、2の両日、道の駅ふくしま東和で開かれた収穫祭に合わせて行われた。本県で活動しているお笑いコンビ「ぺんぎんナッツ」の司会で無料試食会が開かれ、来場者が新グルメを堪能した。
 このほか収穫祭では、新米試食体験や青空フリーマーケット、こども広場などが開かれ、大勢の来場者でにぎわった。
 
福島民友新聞 11月3日(月)
 
 
このニュースでほっこりさせていただきました。
 
同じ二本松にある道の駅「安達」智恵子の里さんでは、安達太良山の「乳首山」という別称から商品化された「おっ!PAIぷりーん」を販売していますが、どちらも二本松名物となってほしいものです。
 
愚妻曰く「レトルトはないの?」。 なるほど、千葉県我孫子市の「白樺派のカレー」のように、ぜひ開発してほしいものですね。
 
十和田からもほっこりするニュースが入っていますが、のちほどご紹介します。
 
ところで二本松といえば菊人形が開催中。今日の地上波フジテレビさんで、菊人形が取り上げられます。といっても、5分間番組ですが(笑)。 
地上波フジテレビ 2014年11月8日(土)  11時40分~11時45分
 
元気いっぱい魅力あふれる福島の地元の人々だけが知る楽しみ方を伝授します。毎週、地元の名産や街を紹介し、それにまつわる方への取材を交えて放送。ガイドブックには載らない“通"の福島歩き。あなたも、明日、出かけてみませんか?
 
魅力あふれる福島をぶらり散歩。二本松市のランドマーク「霞ヶ城公園」を散策。城内のマニアックな楽しみ方のほか、名物の菊人形も紹介します!
 
出演 宮澤智(フジテレビアナウンサー)
 
放送終了後、次回の放送までの間に、インターネットに動画としてアップロードされるようです。ぜひご覧下さい。
光太郎智恵子の人形、会場の霞ヶ城にある光太郎詩碑智恵子の藤棚なども紹介していただきたいものです。
 
当方、今日は同じ福島の川内村で行われる、草野心平忌日の集い、 「第4回天山・心平の会「かえる忌」」に参加して参ります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月8日
 
大正3年(1914)の今日、日光に2泊3日の写生旅行に出かけました。
 
平成12年(2000)、この時描かれた油絵が発見され、大きく報道されました。
 
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ちょうど100年前です。
 

第4回天山・心平の会「かえる忌」レポート。

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昨日は福島の双葉郡川内村にて行われた草野心平忌日の集い、第4回天山・心平の会「かえる忌」に行って参りました。
 
開会が午後3時ということで、いわき市の上小川地区にある、心平の生家とお墓に寄り道をしました。
 
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その後、川内村へ。途中の峠道、それから川内村でも紅葉が実に見事でした。
 
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天山・心平の会の井出氏のごあいさつ、遠藤川内村長の音頭で献杯。
 
前かわうち草野心平記念館長・晒名昇氏、歴程同人・伊武トーマ氏、それから当方も講話。当方は故・高村規氏
の葬儀についてレポートせよとの指令でしたので、その件と、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんから頂いた、十和田湖畔の裸婦像除幕式の動画に心平が写っていたので、そちらを披露しました。
 
その後は懇親会。
 
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参加者お一人ずつスピーチをなさいました。洋行帰りのモンデンモモさん、いわき賢治の会の小野氏などなど。
遠くからご参会の方も多く、それぞれに川内村を愛する心が伝わってきました。
 
「かえる忌」、末永く続いてほしいものです。
 
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月9日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山小屋を、佐久間晟・すゑ子夫妻が訪問しました。
 
佐久間氏は、仙台市ご在住。警察にお勤めのかたわら、前田夕暮門下の歌人でもあり、その後、宮城県歌人協会の会長も務められました。すゑ子夫人も歌人。お二人とも歌誌「地中海」同人です。
 
当方、ご夫妻と知遇を得、山小屋訪問についての貴重なお話を伺い、光太郎と一緒に撮った写真、光太郎からのハガキのコピーを戴きました。
 
その聞き書きは平成19年(2007)、高村光太郎研究会刊行の雑誌『高村光太郎研究(28)』に掲載していただきました。ご入用の方、コピーでよろしければこちらまで。
 

秀明大学飛翔祭「宮沢賢治展 新発見自筆資料と「春と修羅」ブロンズ本」レポート。

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昨日は、千葉県の八千代市、秀明大学飛翔祭「宮沢賢治展 新発見自筆資料と「春と修羅」ブロンズ本」に行って参りました。
 
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稀覯本コレクターでもある同大学学長・川島幸希氏の集めた貴重資料が惜しげもなく並んでいました。また、ありがたいことに写真撮影可でした。
 
大きな教室を3つ使い、第一室には、宮澤賢治関連。今年9月に報じられた盛岡高等農林学校の同級生だった成瀬金太郎に送ったはがきや在学中のスナップ写真、背表紙に詩集と記されたことが不満で、自らブロンズの粉で文字を消したという『春と修羅』、自筆署名入りの『注文の多い料理店』、などなど。
 
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賢治作品の載った書籍、初出雑誌なども。
 
左は文圃堂版『宮沢賢治全集』。昭和9年(1934)から翌年にかけての刊行で、全三巻。光太郎も編者に名を連ね、装幀、題字、装画も光太郎が手がけています。
 
その内容見本に書いた光太郎の「宮澤賢治に就いて」の書き出しは以下の通りです。
 
 宮澤賢治の全貌がだんだんはつきり分つて来てみると、日本の文学家の中で、彼ほど独逸語で謂ふ所の「詩人(デヒテル)」といふ風格を多分に持つた者は少いやうに思はれる。往年草野心平君の注意によつて彼の詩集「春と修羅」一巻を読み、その詩魂の厖大で親密で源泉的で、まつたく、わきめもふらぬ一宇宙的存在である事を知つて驚いたのであるが、彼の死後、いろいろの詩稿を目にし、又その日常の行蔵を耳にすると、その詩篇の由来する所が遙かに遠く深い事を痛感する。
(略)
彼こそ、僅かにポエムを書く故にポエトである類の詩人ではない。そして斯かる人種をこそ、われわれは長い間日本から生れる事を望んでゐたのである。
 
 最も早い時期に賢治を世に紹介した文章の一つです。
 
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こちらは草野心平が編集・刊行していた雑誌『銅鑼』(昭和2年=1927)。賢治の「イーハトヴの氷霧」が掲載されています。光太郎の作品も。三者の絆を示す象徴的な一冊ですね。
 
第二室は賢治ゆかりの文学者の著書など。当方としてはこちらの方に興味をそそられていました。
 
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光太郎の『道程』私家版。天・地・前、三方の小口に金押しが施されています。さらに遊び紙がたくさん入っており、そこに上の画像の「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 光」、「道程 高村光太郎」×2の3箇所の識語署名。桐箱が附いており、箱書きは佐藤春夫だそうです。
 
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たまたまこれを見ている時に、川島学長が会場にいらしていて、ガラスケースから出して下さり、展示で開かれている以外のページも見せて下さいました。
 
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説明される川島氏。青いジャケットの方です。
 
通常の『道程』も並んでいました。ただし、カバー附きです。カバー附きは3~4冊残っているかいないか、というものですし(当方もカバーなしは持っていますが)、しかもそのカバーも非常に状態がよいもので、「現存する中で最も状態のよい一冊」というキャプションも大げさではありません。
 
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その他、光太郎とも関連するもの。
 
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萩原朔太郎『月に吠える』。与謝野晶子宛署名入り。
 
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草野心平『第百階級』。光太郎が序文を書いています。
 
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中原中也『山羊の歌』。光太郎が装幀、題字を手がけました。何冊か並んでいて、三好達治宛署名入りもありました。
 
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午後一時からは、賢治の実弟で、賢治作品の紹介に尽力した清六の令孫・宮澤和樹氏の講演、「祖父・清六から聞いた宮澤賢治」。二百人近く聴衆が集まったのではないでしょうか。
 
 
親族という立場からの賢治ということで、非常に分かりやすく、また、興味深いお話でした。特にありがたかったのは、光太郎についてかなり言及して下さったことです。
 
たしかに賢治作品には他に類例が無く、一種独特の世界を形成していますが、賢治ファンの中には、とにかく賢治一本槍で、その周辺には眼を向けない方が多いように感じます。ところが昨日の和樹氏は、そうした世界を広めるために光太郎が果たした役割は非常にありがたかった的なお話をなさり、こちらとしてもありがいかぎりでした。
 
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以前にも書きましたが、逆に光太郎が「雨ニモマケズ」を改変したという、いわれのない都市伝説的な記述も見かけます。そういうことはありませんので、よろしくお願い申し上げます。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月10日
 
昭和19年(1944)の今日、小山書店から「天平彫刻」が刊行されました。
 
光太郎を含む16人の共著で、光太郎は「天平彫刻の技法について」を執筆しています。
 
編集に当たった美術史家、奥平英雄の回想『忘れ得ぬ人々』(平成5年=1993、瑠璃書房)によれば、
 
このとき製本所から小山書店に届けられたのはごく一部(部数は不詳)で、大半は十一月二十四日の空襲で製本所に在庫のまま灰燼に帰してしまった。マリアナ基地を飛び立ったB29約七十機が東京を初爆撃、神田錦町、鎌倉町一帯を爆撃した際、製本所も災害を被ったからである。こうして苦心の末出来上った『天平彫イメージ 20刻』も少数を残したまま烏有に帰したのである。したがって僅かに残った初版本は幻の書ともいうべき稀覯本となった。
 
とあります。
 
確かに今、サイト「日本の古本屋」で調べても、昭和23年(1948)と同29年(1954)の復刻はヒットしますが、19年の初版は登録されていません。
 
しかし、実際のところ、「幻の書」と呼べるかどうか、と感じています。
 
というのは、当方、三回、この本を手にしたからです。
 
まず、カバーなしの状態で購入しました。その後、カバー附きが売りに出ていたのでそれも購入(右の画像)。カバーなしは神奈川近代文学館に寄贈しました。さらにその後、たまたま訪れた名古屋の古書店でも初版を見かけました。また、国会図書館にも所蔵があるようです。
 
どうにも判断が付きかねるところです。情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただければ幸いです。
 
 
 
 

唐津市近代図書館比田井天来門下四書家の足跡を辿る-四神の書-上田桑鳩・手島右卿・金子鴎亭・桑原翠邦/シャンデリア朗読会。

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佐賀県唐津からの情報です。
 
ネットで調査中、まず、朗読のイベントを見つけました。 
夜がだんだんと長くなってきました。素敵なシャンデリアの下で、ゆったり朗読を聞きませんか?

特別展「四神の書」の出品作品に書かれている詩や、唐津ゆかりの作家・北方謙三氏著「望郷の道」などを
NHK佐賀放送局の武藤友樹アナウンサーと野方美郷キャスターに朗読していただきます。

【 と き 】   平成26年11月15日(土曜日)
【 ところ 】  
唐津市近代図書館(佐賀県唐津市新興町23番地(JR唐津駅南口すぐ) 1階エントランスホール
【 時 間 】  午後6時30分開演 (午後6時15分開場)
【 出 演 】  NHK佐賀放送局 武藤友樹アナウンサー/野方美郷キャスター
【 内 容 】  
  第1部 企画展「四神の書」コラボ朗読
    ・山村慕鳥 詩 「風景-純銀もざいく(いちめんのなのはな)」
    
高村光太郎 詩「金秤」
    ・川端文学集燦文集「雪国」より
    ・萩原朔太郎 詩「竹」
  第2部 私の好きな詩
    ・吉野 弘「祝婚歌」 「夕焼け」
  第3部 唐津ゆかりの作家から
    ・北方 謙三「望郷の道」下から
【 入場料 】  入場料は無料ですが、事前の申し込みが必要です。
【 申し込み方法 】
  近代図書館までお電話(0955-72-3467)もしくは、近代図書館 3階事務室までお問い合わせください。
  ご家族は連名で申し込みができます。対象は小学生以上です。
【 主 催 】   NHK佐賀放送局・唐津市近代図書館
【 問い合わせ 】  唐津市近代図書館 電話 0955-72-3467
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少し前に、このイベントの情報を見つけたとき、最初は単に朗読のイベントと思っていました。「金秤」(「きんばかり」と読みます)、明治44年の『スバル』に発表され、詩集『道程』にも載った詩ですが、光太郎の詩の中ではマイナーなものです。何でこんなマイナーな詩を……と思っていました。
 
で、よく読んでみると、「特別展「四神の書」の出品作品に書かれている詩や」とあるので、その展覧会を検索してみました。 
期 間  2014年10月18日(土)~11月23日(日)
場 所  唐津市近代図書館 美術ホール
時 間  午前10時-午後6時 ※ 入場は午後5時30分まで
主 催  唐津市近代図書館・四神の書展実行委員会
 
上田桑鳩(1899-1968/兵庫県出身)・手島右卿(1901-1987/高知県出身)金子鴎亭(1906-2001/北海道出身)、桑原翠邦(1906-1995/北海道出身)は、いずれも現代書の父と称される比田井天来(1872-1939/長野県出身)のもとで古典の書を中心に幅広く学び、独自の境地を切り拓きました。

桑鳩は斬新な書の美を追求した前衛書を、右卿は造形性と象徴性を結晶させた象書を、鴎亭は現代にふさわしい書を探求した近代詩文書を、翠邦は古典の書法を踏まえた漢字をと、各ジャンルにおいて名作を残し、一家を成しています。
 
本展では、それぞれの書風を、「鮮烈の桑鳩」「清新の右卿」「躍動の鴎亭」「品格の翠邦」と位置づけ、代表作や臨書により、豊かな個性の源泉や書風の変遷、それぞれの歩みを辿ります。
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「金子鴎亭」の名前が、当方のアンテナに引っかかりました。「この人は、光太郎の詩をモチーフにしている作品を書いている書家だったな」と。
 
さらに、「そういえば、あの本に紹介されていたような……」と、書架から引っぱり出したのがこちら。
 
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石川九楊著『書とはどういう芸術か 筆蝕の美学』、平成6年(1994)、中央公論社(中公新書)。
 
光太郎の書について言及されているので購入したものですが、光太郎の詩をモチーフにした金子氏の書についても紹介されていたような……。ありました。
 
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ずばり、「金秤」。ただし、石川氏は否定的に紹介しています。
 
調べてみると、この書は昭和51年(1976)の毎日書道展出品作でした。そして、他の方のブログで、これが今回の「四神の書」に出品されていることもわかりました。
 
というわけで、「シャンデリア朗読会」で「金秤」なのですね。
 
ところで、「四神の書」。全国巡回で、今年5月から6月には釧路市立美術館、8月から先月まで愛知の文化フォーラム春日井ですでに開催されていました。その時点でこの「金秤」出品の情報を得られて居らず、紹介出来ませんでした。当方の情報収集力も、まだまだです。
 
で、現在開催中の佐賀唐津展も、先月からということで、関連行事のいくつかは終了してしまいました。まだ今後開催されるものだけでもご紹介しておきます。
 
●「書の話を聞こう!」-地元書家によるトーク
11月16日(日) 力武宇山氏(佐賀県書作家協会顧問)
テーマ:「四神の書」がめざしたもの
午後2時から(30分程度) ※ 申し込みは不要ですが、当日の入場券が必要です。
●ギャラリートーク
11月22日(土)・23日(日)
各日午後2時から(30分程度) ※ 申し込みは不要ですが、当日の入場券が必要です。
●高校生による「書道パフォーマンス」
佐賀県立唐津東高等学校・佐賀県立唐津西高等学校の書道部生徒による合同パフォーマンスです。どなたでも自由にご覧いただけます。
日時:11月15日(土) 午後3時から(30分程度)
場所:近代図書館前の広場のステージ
 
さらに来月から来年2月にかけ、広島の安芸市立書道美術館に巡回だそうです。近くなりましたらまたご紹介します。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月11日
 
平成17年(2005)の今日、テレビ東京系「開運! なんでも鑑定団」で、光雲の彫刻「朝日に虎」が鑑定されました。
 
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依頼人は、タレントの山口もえさん。
 
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鑑定金額は……
 
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350万円。本物でした。ただし、表面のひび割れを補修したやり方がよくなく、マイナスの評価。それでも350万です。
 
ここで、光雲の令孫、故・高村規氏がご登場。背景には光太郎の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作が写っています。
 
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規氏、何度か高村家がらみの出品物の際に、この番組に出演されていました。そのため、今年8月のご葬儀の際には「テレビ東京 開運!なんでも鑑定団」として供花がなされていました。
 
ちなみに、これがこの番組で光雲作の本物が出てきた最初の例でした。その後、「衣通姫」が出てきた回もありました。
 
ところで、なぜ山口さんが光雲の木彫を持っているかというと、彼女の実家が翠雲堂という浅草の老舗仏具店だからでした。

第59 回高村光太郎研究会。

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来週末、文京区大塚にて、「第59回高村光太郎研究会」が開催されます。 

第59回高村光太郎研究会

日 時  2014年11月22日(土)
場 所  アカデミー音羽 3階学習室A 文京区大塚5-40-15 東京メトロ有楽町線護国寺駅から徒歩2分
 
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参加費  500円
 
<研究発表>
「高村光太郎の詩 「N-女史に」の背景-智恵子と寺田三郎-」 大島裕子氏(名古屋・高村光太郎談話会
「高村光太郎と雑誌『創作』-自選短歌作品を中心に-」山田吉郎氏(鶴見大学短期大学部教授)
 
研究発表会後、懇親会あり
 
この会、元々は昭和38年に、光太郎と親交のあった詩人の故・風間光作氏が始めた「高村光太郎詩の会」に端を発します。その後、明治大学や東邦大学などで講師を務められた故・請川利夫氏に運営が移り、「高村光太郎研究会」と改称、年に一度、研究発表会を行っています。現在の主宰は都立高校教諭の野末明氏。
 
ほぼ毎年、この世界の第一人者、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生もご参加下さっていて、貴重なお話を聞ける良い機会です。しかし、そのわりに、参加者が少なく、淋しい限りです。
 
当方、昨年は同じ日に愛知碧南で開催されていた「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の関連行事、神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏のご講演を聴きに行き、欠席しました。今年は参加します。
 
事前の参加申し込み等必要ありません。直接会場にいらしていただければ結構です。ぜひ足をお運び下さい。
 
研究会に入会せず、発表のみ聴くことも可能です。会に入ると、年会費3,000円ですが、年刊機関誌『高村光太郎研究』が送付されますし、そちらへの寄稿が可能です。当方、こちイメージ 2らに『高村光太郎全集』補遺作品を紹介する「光太郎遺珠」という連載を持っております。その他、北川太一先生をはじめ、様々な方の論考等を目にする事ができます。
 
ご質問等あれば、はこちらまで。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月12日
 
平成12年(2000)の今日、静岡アートギャラリーで開催されていた「高村光太郎の書 智恵子の紙絵展」が閉幕しました。
 
光太郎作品は54点。彫刻は2点のみで、あとは書簡、草稿、色紙、掛け軸などの肉筆もの、そして装幀や題字を手がけた書籍など、「書」にこだわった珍しい展覧会でした。
 
智恵子作品は52点。書簡1通と油絵「ヒヤシンス」の他、紙絵の実物が50点並びました。

「第8回 明星研究会 シンポジウム 巴里との邂逅、そののち~晶子・寛・荷風・光太郎」。

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昨日、文京区大塚の「第59回高村光太郎研究会」をご紹介しましたが、同じ日に別の学会が開催されす。  

第8回 明星研究会 シンポジウム 巴里との邂逅、そののち~晶子・寛・荷風・光太郎

<主催> 明星研究会 <世話人>
<後援> 文化学院・毎日新聞社・国際啄木学会・堺市
<協賛> 与謝野晶子倶楽部・与謝野晶子文芸館
 
 明治から昭和初期に至る近代と呼ばれた時代、日本はフランスから詩・小説、絵画・彫刻を中心に多くの刺戟を受けてきました。首都パリにはフランスに憧れる芸術家・文学者が集まり、ひとつのコミュニティを作ってもいます。
 今回は、明治年間にパリを訪れたこうした人々のうち、小説「ふらんす物語」で知られる永井荷風、ロダンに私淑した高村光太郎、そして与謝野寛・晶子夫妻に焦点を当ててみます。20世紀初頭のパリが彼らの価値観をどう揺さぶり、何を発見させ、ときに挫折感を味わわせたか。そして帰国後の彼らはそれぞれの体験を消化しつつ、どういった進展を見せて行くか。
 パリとの邂逅は、日本人にとって今なお魅了される新鮮なテーマです。多くの皆さまのご参加を期待しております。
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●日時● 2014年11月22(土)14時00分~16時30分 (13時30分開場)
●場所●
日比谷コンベンションホール注・前年までと会場が変わりました)
    (千代田区日比谷公園1番4号【旧・都立日比谷図書館】)
●会費● 2,000円(資料代含む) 学生1,000円(学生証提示)
●定員●200人
●内容●
    Ⅰ 14:00  開会挨拶  西川恵(毎日新聞社客員編集委員)
    Ⅱ 14:05 ~14:50
      第1部 対談「寛と晶子の歩いたパリ」
        永岡健右(日本大学講師) 米川千嘉子(歌人)
    Ⅲ 14:50 ~15:05 休憩
    Ⅳ 15:05 ~16:25
      第2部 鼎談「パリの果実は甘かったか?~晶子・荷風・光太郎」
        今橋映子(東京大学教授) 内藤明(歌人・早稲田大学教授)
        松平盟子(歌人)
    Ⅴ 16:25 閉会挨拶 平出 洸(平出修研究会主宰)
                    総合司会:古川玲子
●申し込み●「明星研究会」事務局あて。
 ネット上での受付は11月21日(金)まで(先着順)。
 宛先メールアドレスはapply(at)myojo-k.netです。
 申し込みの送信をされる際には、
  (イ)上記アドレスの(at)を半角の @ に変えてください。
  (ロ)メールの件名は、「明星研究会申し込み」とご記入いただき、
  (ハ)メールの本文に、お名前と連絡先住所、電話番号をご記入ください。
  (二)ご家族同伴の場合はご本人を含めた全体の人数も添えてください。
 なお、当日は空席次第で会場でも直接受け付けます。
●終了後懇親会●4,000円(場所は当日お知らせいたします)
 
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要項にあるお名前のうち、「世話人」の平出 洸氏は『明星』に拠った歌人、平出修の令孫。
 
第2部の鼎談の東京大学教授・今橋映子氏には『異都憧憬 日本人のパリ』(柏書房・平成5年=1993)というご著書があります。この中に、「第2部 憧憬のゆくえ―近代日本人作家のパリ体験」という項があり、第1章が「乖離の様相―高村光太郎」となっています。だいぶ前ですが、読んでみて「ほう」と思つた記憶があります。
 
体が二つあれば参加したいのですが……。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月13日
 
大正元年(1912)の今日、『読売新聞』に連載中の『西洋画所見』の中で、夏目漱石に噛みつきました

テレビ放映情報。

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3件ご紹介します。 

アートシーン 中村屋サロン美術館開館記念特別展 中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―イメージ 5

NHKEテレ 2014年11月16日(日)  9:時45分~10時00分
         再放送20時45分~21時00分
 
司会 井浦新,伊東敏恵
 
今回のメインは、多くの芸術家たちが集った中村屋サロンの展覧会。明治の終わり、パン屋として開業した新宿のレストランに、彫刻家の荻原守衛や高村光太郎、画家の中村彝など、若き才能が集い、切磋琢磨(せっさたくま)しながら数々の傑作を生み出しました。そのほかにも話題の展覧会をピックアップ。お楽しみに。
 
「日曜美術館」とセットの15分間番組です。過日レポートした新宿中村屋サロン美術館開館記念特別展がメインで扱われます。16日(日)、朝と夜、2回放送です。
 
 

五木寛之「風のCafe」1周年記念スペシャル ゲスト:渡辺えり

BSフジ 2014年 11月15日(土)17:30~18:30
 
番組ホスト 五木寛之(作家)
番組アシスタント 冴木彩乃(出版プロデューサー)
ゲスト 渡辺えり(劇作家・演出家・女優) 
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 今回のゲストは、渡辺えり。そして、“もう一度聞きたい、あの話”をまじえての60分スペシャル!これまでCafeを訪れた各界の著名人、13人のゲストの名言を再びお届けする。
 五木から演劇界きっての歌唱力の持ち主と称賛される渡辺えりは、五木が作詞した歌を2曲もつ。その一つ「昼の花火」の歌詞は還暦を前にした渡辺にとって、今あらためて読むと泣きそうになるという。その歌詞のもつ意味は?
 戦時中、高村光太郎に心酔した父により、家に飾ってあった光太郎の写真をずっと自分の祖父だと思って育った渡辺。いじめられっ子だった小学校時代。そこから自信を持てるようになったきっかけ、そして山形から上京することになった理由の一つ、ジュリーこと沢田研二への憧れについて語る。
 そして、五木と渡辺のいくつもの接点。その一つが池袋の「舞台芸術学院」でのすれ違い。さらに、「ゲゲゲのげ」岸田國士賞受賞のきっかけをつくった「唐十郎」とのこと。唐は当時無名の渡辺の初期作品を候補作と間違えて読み、その実力を看破したという。また、美輪明宏にこの授賞式の衣装を買ってもらった話や、同時受賞した野田秀樹などの不思議な縁を話す。
 劇団「3○○」や演劇活動のかたわら、テレビにも出演。庶民的で可笑しなキャラクターを演じ人気を博している“国民的女優渡辺えり”。しかし、映像で見るイメージとは違い、劇作家渡辺えりの描く芝居はシュールなものだ。そのギャップが違いすぎて、お客さんが戸惑い理解されない、という悩みも打ち明ける。今度の舞台「天使猫」は東日本大震災の後、はじめて書き下ろした作品だ。被災地に思いを馳せ、復興未だ叶わぬ現地でもテントで上演される。そのきっかけは、共演する宇梶剛士と地元の人たちの「ここでやりたい、やってくれ」という言葉だった。
 渡辺えりは様々な顔をみせる。プロデューサー、脚本家、作家、評論家、タレント、そして俳優・・・あらゆる役割をこなす渡辺えりを、五木は「百姓」という言葉で例える。「百姓」という言葉には、元々「様々な職業」という意味があるのだ。五木は彼女に100歳までの舞台を期待する!
 
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11月1日に放映されたものの再放送です。「父の戦争体験と詩人・高村光太郎」ということで、お父様と光太郎のつながりについてのお話があります。
 
現在、全国ツアー中の、宮澤賢治を主人公とした舞台「天使猫」についてのお話も。
 
1日の本放送を見逃した方、どうぞ。
 
 

土曜スペシャル「秋の東北 激走1200km“滝&紅葉スポット”制覇旅2」

 テレビ東京 2014年11月15日(土)  18時30分~20時54分
 
東北ぐるり1200km “滝&紅葉”めぐり旅2

錦秋に染まる日本列島…
そこで今回は、東北にある滝をめぐって「滝と紅葉」をカメラにおさめ、紅葉写真のベストショットを競い合う!
 
盛岡をスタートし岩手・青森県をめぐるチームと秋田県をめぐるチームに分かれ目指すは青森・弘前城!3日間の移動距離は2チーム合わせて1200km!

 落差100メートル・東北屈指の大きさを誇る安の滝、海に落ちるマニア垂涎の珍しい滝、弥勒菩薩を祀ったソーメン滝、青森を代表する景勝地・奥入瀬渓流が誇る銚子大滝など東北地方の名瀑をめぐる。道中では、田沢湖、十和田湖などの紅葉スポットに、絶品ご当地料理をはじめ今が旬の秋の味覚を味わい、さらに紅葉を愛でながら浸かる絶景の露天風呂なども堪能!

 果たして、紅葉写真のベストショットに選ばれるのはどっちのチームなのか!?  錦秋に染まる名瀑をご覧あれ!
 
【出演者】  金山一彦、マルシア、福井仁美、金子昇、秋野暢子、相沢まき
 
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十和田湖ということで、乙女の像がぜひ写ってほしいものです。
 
 
ところで、以前にも書きましたがもう一度。
 
NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア」で、今月26日に「ふたりの時よ 永遠に  愛の詩集「智恵子抄」」というサブタイトルで、光太郎智恵子がメインの回がある予定でした。しかし、さきごろ、台風の緊急報道があった影響で放送がずれ込み、さらに12月は真珠湾攻撃や忠臣蔵など、旬の内容を扱うそうでずらせず、延期になりました。「愛の詩集」ならバレンタインデー、とのことで、来年2月11日(再放送は18日)のオンエアだそうです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月14日
昭和5年(1930)の今日、光太郎の木彫「栄螺」が出品された、大阪の高島屋長堀店で開催されていた「木耀会木彫展覧会」が閉幕しました。
 
木彫「栄螺」。即売会を兼ねたこの展覧会で買い手が付き、以後、行方が判らなくなっていましたが、平成15年(2003)、70余年を経て再び世に出て来ました。
 
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現在は愛知県小牧市のメナード美術館さんに所蔵されています。

いわき市立美術館「藝大に学んだ巨匠たち──東京藝術大学大学美術館所蔵作品を中心に」。

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福島から展覧会情報です。 

藝大に学んだ巨匠たち──東京藝術大学大学美術館所蔵作品を中心に

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会   期    2014年11月15日(土曜日)~12月14日(日曜日)
休  館  日  月曜日(11月24日は開館、翌25日は休館)
開館時間    午前9時30分から午後5時(入場は午後4時30分まで)
会       場     いわき市立美術館 2階企画展示室
主       催     いわき市立美術館、東京藝術大学美術学部、東京藝術大学大学美術館後援福島県
観  覧  料     一般 1,000円(800円) 高・高専・大生 500円(400円) 小・中生 300円(240円)
                  ※( )内は20名以上の団体割引料金
                   観覧料が無料になる場合
                   1 いわき市在住の65歳以上の方
                   2 身体障がい者手帳、療育手帳、精神障がい者保険福祉手帳のいずれかをお持ちの方
                   3 市内の小・中・高・専修・高専生(ただし、土曜日と日曜日のみ)
                     (注)身分を証明する手帳等をご提示下さい。
また、平日に「いわき市内の小・中・高・専修・高専生」が、学校の教育活動の一環として利用する場合も、企画展・常設展が無料になります。
 
会期中の催し
1) 記念講演会1
  「藝大コレクションを語る」
   日時 平成26年11月16日(日)14:00~15:00
  会場 3階セミナー室
   講師 古田亮(東京藝術大学大学美術館准教授)
   参加費 無料
 
2)記念講演会2
  「横山大観と東京美術学校」
  日時 平成26年11月23日(日)14:00~15:00
  会場 3階セミナー室
  講師 小泉晋弥(茨城大学教授)
  参加費 無料
 
3)記念講演会3(都合により中止となりました。ご了承ください。)
   「藝大コレクションと私」
  日時 平成26年11月24日(月)14:00~15:00
  会場 3階セミナー室
   講師 田口安男(東京藝術大学名誉教授、いわき市立美術館名誉館長)
  参加費 無料
     
4)アーティスト・トーク1
  日時 平成26年12月7日(日)14:00~15:00
  会場 企画展示室
  講師 中村一美(藝大大学院油画修了、多摩美術大学教授)
  参加費 企画展入場券半券が必要
 
5)アーティスト・トーク2 
  日時 平成26年12月14日(日)14:00~15:00
  会場 企画展示室
  講師 山本伸樹(藝大大学院壁画修了、美術家)
  参加費 企画展入場券半券が必要
 
【同時開催】
1.藝大Am+いわき   高校生クロッキーワークショップの作品展示  会場:美術館1階ロビー(入場無料)
2.藝大Am+いわき   いわきから藝大へ 明日の巨匠たち  会場:いわきアリオス(入場無料)
 
東京藝術大学は、前身の東京美術学校と東京音楽学校が明治20年に設立され、その後昭和24年の学制改革による両校統合により現在に至っていますが、我が国最初の官立の総合的な芸術教育と研究の専門機関として発足以来、数多くの優れた人材を育成し、近現代の美術と音楽の動向に大きな影響を及ぼしてきました。

またこの間、教育研究資料として国宝、重文を含む古美術、楽器、絵画・彫刻・工芸品、建築・デザイン図面など約28,500件の芸術資料の収集を通して、日本の近現代美術の調査研究において欠くことのできない国内有数の質と量を誇るコレクションを形成し、今日、極めて高い評価を得ています。

本展は、この素晴らしい藝大コレクションのなかから、東京美術学校(東京藝術大学)が輩出してきた明治・大正・昭和初期を代表する作家たちの教官・学生時代に制作した貴重な絵画や彫刻作品をとりあげ、さらに同時代性をもった戦後の良質な美術作品といわきの美術を収集方針に掲げる当館コレクションを一部加え、戦後美術の動向に多大な影響を与えてきた藝大関連作家と、当地の美術界に大きな足跡を残してきた藝大に学んだいわきの作家たちの作品を紹介します。

本展が、明治期に設立されて以降、常に中央及び地方の美術界に主導的な人材、作家を送り続けてきた教育研究機関としての藝大の果たしてきた役割を再考する機会となることを期待するとともに、若き日の巨匠たちが制作した貴重な逸品の数々を、ご高覧いただきたいと思います。
 
主な出品作家 : 高橋由一、横山大観、下村観山、菱田春草、黒田清輝、藤島武二、岡田三郎助、青木繁、佐伯祐三、高村光太郎、小磯良平、杉山寧、高山辰雄、加山又造、平山郁夫、浜田知明、駒井哲郎、杉全直、山口長男
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というわけで、今日から開催です。展示される光太郎の作品は「獅子吼」。明治35年(1902)の作で、東京美術学校の卒業制作として作ったものです。
 
モチーフは日蓮。経巻を投げ捨て、憤然として立つ姿を表しているそうです。
 
ネット上に出品目録が出ていないのですが、チラシを見ると、その他、高橋由一の「鮭」(重要文化財)、横山大観の「村童観猿翁」、長沼守敬の「老夫」など、名品がもりだくさんです。
 
お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月15日
 
昭和30年(1955)の今日、中野のアトリエで、作家の高見順と対談「わが生涯」を行いました。
 
翌31年(1956)1月には雑誌『文芸』に、さらに光太郎没後の同32年(1957)には、中央公論社刊『対談原題文壇史』に掲載されました。『高村光太郎全集』第11巻にも収録されています。

正津勉『山に遊ぶ 山を想う』。

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芸術の秋、文化の秋、ということで、このところ光太郎に関連するイベントが盛りだくさんです。このブログ、それらの紹介と、足を運んでのレポートで、かなりネタを稼がせていただきました。今月に限っても、まだ三つ四つ、把握しているイベントがあるのですが、一旦そちらから離れます。
 
予定では今日から4回、新刊書籍をご紹介します。イベントの記事と比べると、速報性の意味であまり重要でないかなと思い、後回しにしていましたが、いつまでも紹介しないと「新刊」と言えなくなりますし、「こういう本が出ているのに気づいていないのか」と思われるのも癪ですので。 

山に遊ぶ 山を思う

正津勉著  2014/9/30 茗渓堂  定価 1,800円+税
 
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著者の正津氏は詩人。山岳愛好家でもあります。その正津氏がこの十年ほどの間に歩いた全国の山々の紀行です。基本、白山書房刊行の雑誌『山の本』に「山の声」の題で連載されていたものに加筆訂正を加えたものだそうです。
 
単なる山岳紀行ではなく、それぞれの山と縁の深い文学者のエピソード、作品を紹介しながらというスタイルです。
 
さて、光太郎。
 
第12章の「詩人逍遥 赤城山――萩原朔太郎・高村光太郎」で扱われています。
 
光太郎は赤城山を非常に愛し、生涯に何度も訪れています。明治37年(1904)には、5月から6月にかけてと、7月から8月にかけての2回、計40日ほどを赤城に過ごしており、あとから合流した与謝野鉄幹ら新詩社同人のガイド役も買って出ています。また、昭和4年(1929)にも、草野心平らを引き連れて登っています。この時同行した詩人の岡本潤の回想に拠れば、光太郎は下駄履きで登っていったとのこと。ちなみに前橋駅で落ち合った朔太郎は登らなかったそうです。
 
こうしたエピソードや、赤城山に関わる光太郎の短歌などが紹介されています。
 
他にも宮澤賢治、更科源蔵、川路柳虹、竹内てるよ、大町桂月、尾崎喜八、風間光作、真壁仁といった、光太郎と縁の深い文学者のエピソードが盛りだくさんです。
 
先頃、『日刊ゲンダイ』さんに書評が載りました。
 
 北は北海道の離島に位置する利尻山から、南は薩摩半島の南端の開聞岳まで、日本全国30カ所の山々を歩いた詩人による山岳紀行。スポーツとしての登山ではなく、都会の喧騒から離れることで俗世間の煩わしさを忘れ、自然の中で心を豊かに遊ばせる山行きの楽しさを感じさせてくれる。
  特筆すべきなのは、それぞれの山にちなんだ詩歌や言葉など、先人の文学をあらかじめ下調べした上で山に向かっている点。たとえば、津軽富士と呼ばれる岩木山の章では、太宰治の「津軽」や河東碧梧桐の「三千里」、今官一の「岩木山」などの一節が紹介されているほか、地元詩人の方言詩などにも触れていく。
  群馬県の赤城山の章では、萩原朔太郎の「月に吠える」「蝶を夢む」「青猫」や、高村光太郎の「明星」、さらに草野心平や金子光晴の名も登場。自らの山行きを悠久の時を超えた先人の言葉と重ね合わせながら、より深く楽しんでいる姿が何とも味わい深い。

 
「高村光太郎の「明星」」には「おいおい!」と思いましたが、よく書けています。
 
ちなみに著者の正津氏には、他にも光太郎にふれたご著書がありますので、紹介しておきます。
 
人はなぜ山を詠うのか
 
平成16年 アーツアンドクラフツ 定価2,000円+税  版元サイトはこちら
 
こちらも山と文学者の関わりについて述べたもの。第一章が「私は山だ……高村光太郎」。こちらでは上高地、安達太良山、磐梯山、そして花巻郊外太田村の山口山といった、光太郎が足を運んだり、作品でふれたりした山を追っています。
 
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小説尾形亀之助 窮死詩人伝
 
平成19年(2007) 河出書房新社 定価2,200円+税   版元サイトはこちら
 
光太郎と交流のあったマイナー詩人・尾形亀之助の評伝です。光太郎も登場します。帯には光太郎の亀之助評も。

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合わせてお読み下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月16日
 
昭和20年(1945)の今日、光太郎の住む花巻郊外太田村の山小屋を、編集者の鎌田敬止が訪れました。
 
鎌田は岩波書店を振り出しに、北原白秋の弟・鉄雄が経営していたアルス、平凡社など、光太郎とも縁のある出版社を渡り歩き、昭和14年(1939)には八雲書林を創立しました。八雲書林は、戦時中に他の出版社と統合して青磁社となり、この時は青磁社の所属でした。さらに同24年(1949)頃に白玉書房を設立。休業中の龍星閣に代わって、『智恵子抄』を復刊しました。
 
 
 
 
 
 
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