智恵子の故郷、福島県二本松市さんの広報誌『広報にほんまつ』。5月19日に開催された「第65回安達太良山山開き ほんとの空の下 心の晴れ渡る、感動深呼吸」について大きく取り上げています(6月号には間に合わなかったようで)。
まちの話題 山開き 安達太良山 標高1,700m
5月19日、約9,000人の登山者が山頂を目指しました。頂上付近では 風が吹き、雲がかかるなど絶好の登山日和とはなりませんでしたが、日本100名山の安達太良山登山を楽しみました。
山開きに合わせて、安達太良連盟は「ビューティ安達太良」を歌う郡山市出身の俳優斉藤暁さんとタレントのなすびさんに安達太良山観光大使を委嘱し、山のPRを託しました。
山頂では、ミズあだたらコンテストが行われ、ミズに桑折町の菅野恵梨華さん、準ミズに鏡石町の鈴木紗英ちゃんが選ばれました。
今年初めて当方も山開きに行って参りまして、これまで以上に安達太良山に親近感といいますか、リスペクトといいますか、そういったものを感じて居る次第です。
三保二本松市長やタレントのなすびさん、それから俳優の斎藤暁さんも登られていたそうですが、当方、登頂記念のペナント配布後に行われたさまざまなイベントはパスして下山しましたので、気づきませんでした。
それから、先月21日、テレビ東京系で放映された「たけしのニッポンのミカタ! 老若男女がなぜ登る?山に魅せられたニッポン人」も拝見。MCの国分太一さんなど、「9,000人も登るんですか !?」と驚かれていましたが、9,000分の1が私です(笑)。
こちらは残念ながら安達太良山と光太郎智恵子との絡み、「ほんとの空」的な紹介は為されませんでした。代わって「古くは『万葉集』にも詠まれた山」という説明。新元号「令和」の出典が『万葉集』ということで、『万葉集』がちょっとしたブームとなっています。強力なライバル出現、と焦っております(笑)。これからは「高村光太郎の『智恵子抄』に謳われた山」でなく、「古くは『万葉集』にも詠まれた山」の方がメインになってしまうのでは、と。
ちなみに『万葉集』では、安達太良山は次の通り。
安達太良の嶺(ね)に伏す鹿猪(しし)のあり つつも吾は至らむ寝処な去りそね
「安達太良山の峰に伏す鹿猪よ(=わが愛する娘よ)、そのままいつもの寝場所に居て下さい、私はいつものようにお前のところへ行こうと思っているのだから」といった訳になりましょうか。けっこう生々しい相聞歌です。
陸奥(みちのく)の安達太良真弓(まゆみ)はじき置きて反(せ)らしめきなば弦はかめかも
「陸奥の安達太良山の真弓(まゆみ)で作った弓を放っておいたら、すぐには弦をかけて引くことができないように、急に私の気を引こうとしても無理なのですよ」。これも相聞歌です。
よく似た歌がもう一首。
陸奥の安達太良真弓弦(つら)着(は)けて引かばか人の我(わ)を言(こと)なさむ
「陸奥の安達太良山産の真弓に弦(つる)を張り引くように、私があなたの気を引けば、人の噂になるかしら」的な。
そこで張り合っても仕方がないので、TV関係などの皆さん、今後は「『万葉集』や『智恵子抄』に詠まれた山」でお願いします(笑)。
【折々のことば・光太郎】
ゴヤのマハ。この顔は若太夫にも似て居り、又この眼をすこしまろくすれば、智恵子にも似て居る。
アンケート「私の好きな顔 古今東西の美術品の中より」全文
昭和25年(1950) 光太郎68歳
ゴヤのマハ、いくつかのヴァリエーションがありますが、最も有名なのは「着衣のマハ」でしょうか。たしかにどことなく智恵子にも似ていますね。
「若太夫」は、明治末、光太郎が入れあげた吉原河内楼の娼妓。モナ・リザにも似ていたといいます。
ちなみに『リーチ先生』の原田マハさん、ゴヤのマハからペンネームを採られたそうです。