昨日、上野の東京都美術館さんに行って参りました。
「ムンク展」が開催中ですが、お目当ては「第40回東京書作展」。
『東京新聞』さん主催の公募展です。
第3位に当たる東京都知事賞を、存じ上げない方ですが、中原麗祥さんという方が光太郎詩「冬」(昭和14年=1939)を書かれてご受賞。
11月14日(水)の『東京新聞』さんから。
東京書作展-第40回結果- 東京都知事賞 光太郎の世界観を表現 中原麗祥さん
このたびは、栄誉ある賞を賜り至福の極みと共に、身の引き締まる思いでいっぱいでございます。この場を借りて、諸先生方、書友、家族に感謝申し上げます。
ここ数年、淡墨の奥深い美の魅力に惹きつけられ、日々模索し作品づくりに努めてまいりました。今回の作品は、高村光太郎の世界観を、淡墨と紙質、筆でいかに響き合い、調和のある表現ができるかに力を注いできました。今後、この受賞に驕ることなく日々学ぶ姿勢を持ち続け、精進していく所存でございます。
◇六十三歳。養護教諭。過去、部門特別賞一回、特選一回、優秀賞一回、奨励賞三回、入選十回。
<評>「冬の詩人」と言われる高村光太郎の「冬」を題材とした作品。詩意を汲み取りそれに合った表現を追求した事であろう。丁寧に言葉を紡ぐかの様な書きぶりである。兎髭筆(としひつ)を使用と聞くが、この筆触が独特な線を生み、芯の強さを感じさせる。その細くも強靱な線と随所に置かれた墨の滲みとが共鳴し合い、視覚的効果を上げ、革新的な世界観を創り上げた。
歴史の浅い漢字かなまじり文の書において、その魅力を十分にアピールし得る作品である。 (今出搖泉)
冬![イメージ 1]()
新年が冬来るのはいい。
時間の切りかへは縦に空間を裂き
切面(せつめん)は硬金属のやうにぴかぴか冷い。
精神にたまる襤褸(らんる)をもう一度かき集め、
一切をアルカリ性の昨日に投げこむ。
わたしは又無一物の目あたらしさと
すべての初一歩(しよいつぽ)の放つ芳(かん)ばしさとに囲まれ、
雪と霙と氷と霜と、
かかる極寒の一族に滅菌され、
ねがはくは新しい世代といふに値する
清楚な風を天から吸はう。
最も低きに居て高きを見よう。
最も貧しきに居て足らざるなきを得よう。
ああしんしんと寒い空に新年は来るといふ。
時間の切りかへは縦に空間を裂き
切面(せつめん)は硬金属のやうにぴかぴか冷い。
精神にたまる襤褸(らんる)をもう一度かき集め、
一切をアルカリ性の昨日に投げこむ。
わたしは又無一物の目あたらしさと
すべての初一歩(しよいつぽ)の放つ芳(かん)ばしさとに囲まれ、
雪と霙と氷と霜と、
かかる極寒の一族に滅菌され、
ねがはくは新しい世代といふに値する
清楚な風を天から吸はう。
最も低きに居て高きを見よう。
最も貧しきに居て足らざるなきを得よう。
ああしんしんと寒い空に新年は来るといふ。
漢字仮名交じりの書でありながら、仮名の部分も非常に硬質な感じのする書です。光太郎が詩句で表現した「冬の硬質感」といったものも表現されているのではないでしょうか。
「兎髭筆」は読んで字の如し。毛筆としてはかなり古い時代から使用されていたものとのこと。
それから、今年の連翹忌に初めてご参加下さった方で
すが、今夏に開催された「第38回日本教育書道藝術院同人書作展」で、「智恵子抄」などの光太郎詩6篇を書かれ、最優秀にあたる「会長賞」を受賞なさった菊地雪渓氏。今回も光太郎詩で臨まれ、「特選」を受賞されました。
今回扱われたのは、「東北の秋」(昭和25年=1950)。花巻郊外太田村に蟄居中の作品です。
東北の秋
芭蕉もここまでは来なかつた
南部、津軽のうす暗い北限地帯の
大草原と鉱山(かなやま)つづきが
今では陸羽何々号の稲穂にかはり、
紅玉、国光のリンゴ畑にひらかれて、
明るい幾万町歩が見わたすかぎり、
わけても今年は豊年満作。
三陸沖から日本海まで
ずつとつづいた秋空が
いかにも緯度の高いやうに
少々硬質の透明な純コバルト性に晴れる。
東北の秋は晴れるとなると
ほんとに晴れてまぎれがない。
金(きん)の牛(べこ)こが坑(あな)の中から
地鳴りをさせて鳴くやうな
秋のひびきが天地にみちる。
南部、津軽のうす暗い北限地帯の
大草原と鉱山(かなやま)つづきが
今では陸羽何々号の稲穂にかはり、
紅玉、国光のリンゴ畑にひらかれて、
明るい幾万町歩が見わたすかぎり、
わけても今年は豊年満作。
三陸沖から日本海まで
ずつとつづいた秋空が
いかにも緯度の高いやうに
少々硬質の透明な純コバルト性に晴れる。
東北の秋は晴れるとなると
ほんとに晴れてまぎれがない。
金(きん)の牛(べこ)こが坑(あな)の中から
地鳴りをさせて鳴くやうな
秋のひびきが天地にみちる。
やはりさすが、という感じでした。
他にも、光太郎詩を取り上げて下さった方が複数いらっしゃいました。
畠山雪楊さんという方で、「あどけない話」(昭和3年=1928)。桜色の紙が使われています。
田平湖春さんという方が、「鉄を愛す」(大正12年=1923)。あまり有名な詩ではありませんが、よくぞ取り上げて下さいました。
その他、北原白秋や中原中也など、光太郎と交流のあった詩人の作も。特に中也の詩を扱った作が意外と多かったなと感じました。当会の祖・草野心平による「蛙語」の詩もぜひ取り上げていただきたいのですが、「ぎゃわろッ ぎゃわろろろろりッ」や「ケルルン クック」には書家の方々も触手を伸ばさないのでしょうか(笑)、あまりみかけません。
「第40回東京書作展」、12月2日(日)までの開催です。ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
それぞれの作に如何にも年齢そのものの匂がただよつてゐる事に興味がある。
散文「三上慶子著「照らす太陽」序」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳
三上慶子氏は作家・能楽評論家。まだご存命のようです。光太郎と交流があった父君でやはり作家の三上秀吉が、愛嬢の8歳から14歳までの詩文・素描を一冊にまとめ、光太郎に序文を依頼しました。おそらく光太郎が序跋文を書いてあげた最年少の相手でしょう。
「第40回東京書作展」を拝見し、「これは人生の年輪を重ねた人だろう」、「この作は若い人っぽい」などと勝手なことを考えながら拝見しました。どの程度当たっているか、何とも言えませんが(笑)。