昨日、拝見して参りました。
−オリジナルプリント展− Life 命の輝き -Portraits-
期 日 : 2018年5月8日(火)~6月8日(金)
会 場 : 日本大学藝術学部芸術資料館 東京都練馬区旭丘2-42-1
時 間 : 9:30〜16:30《土曜は12:00 まで》
料 金 : 無料
休 館 日 : 日曜日
休 館 日 : 日曜日
「Life 命の輝き」をテーマに国内外の写真家による⼈物の写真を集めました。いわゆるポートレートから街⾓でのスナップ写真まで多様な写真表現によるイメージを通して、様々な環境のもとで⽣活している⼈々の⽣き⽣きとした⽣命の輝きを感じていただければ幸いです。
もう少し早く行くつもりが、いろいろあって昨日になってしまいました。
西武新宿線江古田駅で降り、ほぼ駅前の同大藝術学部江古田校舎。
受付で入館証を受け取り、警備員の方が入り口まで案内して下さいました。資料館といっても独立した建物でなく、普通の校舎の3階にあります。
すべてモノクロの作品で、世界各国の写真家約50名のプリントおよそ100点が展示されていました。当方も存じていたところでは、ユージン・スミス(米)、ウジェーヌ・アジェ(仏)、大石芳野など。このうち、ウジェーヌ・アジェは、光太郎と同じ時期に、光太郎のアトリエがあったパリのカンパーニュ・プルミエール街17番地に居住していて、交流はなかったようですが、面識程度はあったかも知れません。
古いもので、19世紀の写真から、'90年代の比較的新しいものまで、題材としては基本的に全て人物写真ですが、有名人から市井の人々まで、いわゆる肖像写真的なものから、日常のスナップ的なものまで、さまざまで飽きさせませんでした。モノクロ写真のもつ独特の迫力、一種の抽象性など、たしかに芸術の名を冠されるにふさわしいと感じます。
有名人のポートレートとしては、海外ではチャップリン、オーソン・ウェルズ、ピカソなど。国内では、林忠彦撮影の太宰治、坂口安吾など。
そして、光太郎。![イメージ 6]()
日藝さんで開催と聞き、光太郎令甥の故・村規氏がそちらの卒業生なので、規氏の作品かな、と思っておりましたが、さにあらず。肖像写真家として活躍していた、故・吉川富三氏の右の作品でした。
撮影場所は光太郎が蟄居生活を送っていた、花巻郊外太田村の山小屋内部です。キャプションでは昭和24年(1949)となっています。
光太郎の日記によると、同23年(1948)9月に吉川が来訪しています。おそらくその時の写真で、発表されたのが翌年ということなのではないかと思われますが、翌年の日記の大部分が欠けているので、不詳です。
吉川来訪の記述がこちら。まず8月22日。
吉川富三といふ人より写真アルバムを小包書留にて送り来る。来月余の写真撮影に来たしとの事。文化人多くの写真(署名入)あり。預かりもの。(郁文帖)
そして9月10日。
午前九時盛岡よりとて写真家吉川富三氏同業(盛岡)の唐健吉といふ人と来訪。高橋正亮さんが案内してくる。ズボンの尻の修繕をしてゐたところ。修繕を終りてよりあふ。午后二時頃まで撮影さまざま。「郁文集」を返却す。揮毫してくれとて紙を置いてゆく。同氏の器械は普通の三脚附器械。 そのうち細川書店の岡本氏といふ人来訪。東京より来たりし由。吉川氏等一行大澤温泉泊りの由にて辞去後、岡本氏と談話。(略)弘さんからもらつた大西瓜を割つて一同に御馳走せり。吉川氏より食パン、チース(小箱)(ソーセージ)をもらふ。
『郁文集』は、武者小路実篤の題字、志賀直哉の序文で昭和37年(1962)に出版された吉川の作品集。もうこの頃には既に原型が出来上がっていたのですね。
さらに9月30日。
吉川富三氏より先日撮影の写真の内4葉送つてくる。随分老人らしくなれり。
笑えます。光太郎は写真嫌いで有名でした。9月12日に、詩人の宮崎丈二に送ったはがきにこんな一節があります。
昨日は東京の吉川富三氏といふ写真家が来て弱りました。
その後、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、昭和27年(1952)に帰京した後も、吉川は中野のアトリエを3回ほど訪れてやはり写真を撮影しているようです。
はがきといえば、光太郎が吉川に送ったはがきも一通、確認されています。昭和25年(1950)のものです。
おハガキと「文化人プロフイル」と忝なくいただきました、豪華な写真帖なのでびつくりしました。多くの知人がゐるのでなつかしく飽かず見入つてゐます、畑の仕事が中々いそがしくなりました、今日は雨で静かですが、みどりの美しさ限りなしです、
『文化人プロフイル』は、『郁文集』に先だって、吉川単独でなく数人の写真家の作品を収めた写真集です。
写真に限らず、どういった造形芸術でも、或いは文筆作品などでも、作品は作品としてのみ見るべきと、よく言われますが、こうした背景を知って見るのも大事なのではないかと思いました。
というわけで、日藝さんの「−オリジナルプリント展− Life 命の輝き -Portraits-」、以上の背景を踏まえて御覧いただければと存じます。
【折々のことば・光太郎】
私は今迄に経験した事の無い淋しい鋭い苦痛の感情をしみじみと感じた。動乱と静粛と入りまざつた心の幾日かを空しく過した。さうしてロダンが立派にやり遂げるだけの事をやり遂げて、其の私的存在をかき消してしまつた事を思ふと、不思議な伝説的の偉大さを感じる。ロダンの生きてゐた時代に自分も生きてゐたといふ事がまるで歴史のやうに意味深く、又貴く感ぜられる。
散文「ロダンの死を聞いて」より 大正7年(1918) 光太郎36歳
吉川富三の写真を見、山小屋来訪の話に触れ、つくづく光太郎の生きていた時代に自分も生きていたかったと思いました。