本日も新刊情報です。
NHKカルチャーラジオ 文学の世界 詩と出会う 詩と生きる
2018年1月1日 若松栄輔著 NHK出版 税込定価977円
喪失、苦しみ、悲しみに、語りの名手が、あなたの詩心を呼び覚ます!
「詩」に込められた切実な想いから、私達は何を得ることができるのか? 「詩」を身近に感じ、味わい、それと共に生きる豊かさを探る。
目次
はじめに
第1回 詩を感じるには ── 岡倉天心と内なる詩人
第2回 かなしみの詩 ── 中原中也が詠う「おもい」
第3回 和歌という「詩」 ── 亡き人のための挽歌
第4回 俳句という「詩」 ── 正岡子規が求めた言葉
第5回 つながりの詩 ── 吉野秀雄が感じた存在
第6回 「さびしみ」の詩 ── 宮澤賢治が信じた世界
第7回 心を見つめる詩 ── 八木重吉が届けた声
第8回 「いのち」の詩 ── 岩崎航がつかんだ人生の光
第9回 生きがいの詩 ── 神谷美恵子が背負った生きる意味
第10回 語りえない詩 ── 須賀敦子が描いた言葉の厚み
第11回 今を生きる詩 ── 高村光太郎と柳宗悦のまなざし
第12回 言葉を贈る詩 ── リルケが見た「見えない世界」
第13回 自分だけの詩 ── 大手拓次が刻んだ詩の扉162
詩と出会うためのブックガイド
第1回 詩を感じるには ── 岡倉天心と内なる詩人
第2回 かなしみの詩 ── 中原中也が詠う「おもい」
第3回 和歌という「詩」 ── 亡き人のための挽歌
第4回 俳句という「詩」 ── 正岡子規が求めた言葉
第5回 つながりの詩 ── 吉野秀雄が感じた存在
第6回 「さびしみ」の詩 ── 宮澤賢治が信じた世界
第7回 心を見つめる詩 ── 八木重吉が届けた声
第8回 「いのち」の詩 ── 岩崎航がつかんだ人生の光
第9回 生きがいの詩 ── 神谷美恵子が背負った生きる意味
第10回 語りえない詩 ── 須賀敦子が描いた言葉の厚み
第11回 今を生きる詩 ── 高村光太郎と柳宗悦のまなざし
第12回 言葉を贈る詩 ── リルケが見た「見えない世界」
第13回 自分だけの詩 ── 大手拓次が刻んだ詩の扉162
詩と出会うためのブックガイド
NHKラジオ第2放送さんで、毎週木曜日の午後8:30~9:00(再放送は翌週木曜の午前10:00~10:30)に放送されている「NHKカルチャーラジオ 文学の世界」のテキストです。
今月から3月にかけ、全13回で、批評家・随筆家の若松栄輔氏による「詩と出会う 詩と生きる」。毎回一つのテーマで近現代の「詩人」の作品を取り上げ、その背景に迫ります。「詩人」とカギカッコをつけたのは、若松氏の言によると、以下の通りです。
「詩」は、必ずしも詩人と名乗る人々によって作られているとは限りません。この講座における「詩人」は、広い意味での「詩」の作品を残している人々を指します。ですから世にいう詩人以外の人たちが作った詩歌にもふれていきます。(「第1回 詩を感じるには ── 岡倉天心と内なる詩人」より)
いきなり初回に取り上げられる岡倉天心がそうですし、光太郎の回にセットになっている柳宗悦などもそうですね。広い意味では、彫刻を本業としていた光太郎もあてはまるかも知れません。
光太郎の回は3月15日(木)のオンエア。再放送が翌週22日にあります。「人間の捉えがたい「気」」、「詩はどんな矛盾も受け入れる」、「ふれ得ないものにふれる」という章立てで、主に「智恵子抄」所収の詩にスポットが当てられています。
ぜひお買い求めの上、ラジオ放送もお聞き下さい。
【折々のことば・光太郎】
彫刻は仮象の現象なのだから、芸術品としてみてくれないといけない。一つの銅像の中にその人の凡ゆる時代をもつこともあるのだから。
談話筆記「彫刻鑑賞の蒙を啓く――憲政三偉人の銅像に就て――」より
昭和13年(1938) 光太郎56歳
この年、国会議事堂の中央大広間に設置された憲政史上大きな功績のあった三人、板垣退助、伊藤博文、大隈重信の銅像についての談話の一節です。
三体それぞれ作者が異なり、板垣退助像は北村西望、伊藤博文像で建畠大夢、大隈重信像が朝倉文夫の作です。設置当初から、「ポケットに手を突っ込んでいるとは何ごとか」、「室内の様子なのか、屋外の姿なのか判然としない」、「ステッキは左手で持つ物ではない」などといった批判が起こったそうです。そこで、美術雑誌『アトリヱ』の記者が光太郎の意見を求め、その答として掲載されました。
北村、建畠、朝倉、それぞれ光太郎はあまり高く評価しなかった彫刻家です。文展(文部省美術展覧会)などへの出品作はけちょんけちょんにけなしてもいます。しかし、ここでは擁護に廻っています。まぁ、擁護というよりは、一般の人々に、肖像彫刻とはこういうものだという啓蒙を意図したとすべきでしょうか。
ところで、議事堂の銅像。台座は四体分ありながら、実際に作られたのは三体のみで、未だに空いている台座が一つ残っています。四人目を人選できず持ち越されたという説、政治に完成はないので未完の象徴という意味もあるという説があります。まさか、自分が四人目となって銅像を作ってもらうつもりでいるような、愚かな政治家などいませんよね、まさか。