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高知新聞『小社会』/静岡県立美術館「彫刻を撮る:ロダン、ブランクーシの彫刻写真」。

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地方紙・高知新聞さんの一面コラム「小社会」。先週、歿後100年のロダンに絡め、光太郎に触れて下さいました。

小社会 2017.11.17

 美術の教科書に載っている著名な作品の本物に出合うと、心の内でガッツポーズをしたくなる。だから印象が強く残っているはずなのに、「いつ、どこで」が定かでない作品が少なからずある。

 フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンの「考える人」もその一つ。東京・上野の国立西洋美術館の前庭にある大きな像は何度も見ているが、原型の小さな像との初対面は思い出そうとしても出てこない。

 40年余り前に、高知市で開かれた同美術館所蔵の「松方コレクション展」で見たという県民は多いだろう。実業家の松方幸次郎が1910年代から欧州で収集し、59年にフランス政府から日本に寄贈返還された絵画や彫刻のコレクションだ。

 中でも、ロダンの彫刻は世界でも有数の規模を誇るという。「考える人」のほか、「青銅時代」「地獄の門」「バルザック」といった代表的な作品が網羅されている。日本にロダンのファンが多いとされるのは、松方のおかげといえるかもしれない。

 美術学校生の時に雑誌でロダンに出合った高村光太郎は、のどが詰まりそうな気がしたという。当時の西洋の彫刻家とはまるで異なり、日本人の作家に近いと感じたようだ。ロダンは日本の職人かたぎに感心し、「あれでなくては芸術はできない」と述べたと光太郎が書き残している。

 近代彫刻に新たな生命を吹き込んだロダンが77歳で没して、きょうでちょうど100年になる。


というわけで、光太郎が敬愛し、確かに日本にもファンの多いロダン。公開中のフランス映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」(次の日曜に観て参ります)、上野の国立西洋美術館さんで開催中の「《地獄の門》への道―ロダン素描集『アルバム・フナイユ』」展など、好評のようです。


もともとロダン作品を多数所蔵されている静岡県立美術館さんでは、以下の企画展が開催中です。

彫刻を撮る:ロダン、ブランクーシの彫刻写真

期    日 : 2017年11月14日(火)~12月17日(日)
会    場 : 静岡県立美術館 静岡市駿河区谷田53-2
時    間 : 10:00~17:30
料    金 : 一般:300円(200円)/大学生以下・70歳以上:無料 ( )内は20名以上の団体料金
休  館  日 : 毎週月曜日

2017年は、彫刻家オーギュスト・ロダン(1840〜1917年)の没後100年にあたります。
これを記念し、日本でも有数のロダン・コレクションを誇る当館は、「ロダン没後100年に寄せて」という総称のもと、彫刻家ロダンと写真との関係に着目した3つの小企画展を連続で開催します。
写真術が誕生したのは19世紀。
多数の芸術家がこのメディアを積極的に活用しました。
ロダンも例外ではなく、自作の彫刻を写真家に撮影させ、1890年代以降、それらの写真を作品として展覧会に出品しました。
本企画は、当館所蔵品を中心に、ロダンと写真との関係性を直接に物語る作品のみならず、ロダンとほぼ同時代の彫刻家ブランクーシの自撮による彫刻写真や、さらにはロダンの彫刻を現代の写真家が撮影したものなど、複数の作品/テーマを組み合わせることによって、ロダンの芸術観や写真観を多方面から再考する試みです。
ロダンの新たな一面をご紹介する本企画。
ご鑑賞の後は、ロダン館へも足をお運びいただき、新たな視点でロダン芸術を丸ごと味わってください。

写真を積極的に活用したものの、決して自ら撮影は行わなかったロダン。 ロダンと交流のあった彫刻家ブランクーシは、彼とは異なり、第三者に作品の撮影を任せず、自らアトリエの演出・照明・撮影の全てを行いました。ロダンおよびブランクーシの彫刻・アトリエや肖像を撮影した写真を展示し、その相違や、彫刻家と写真との関係について再考します。


イメージ 2

イメージ 1
第1,2は紹介しませんでしたが、「ロダン歿後100年に寄せて」の総題で9月から始まっている企画展示の第3弾です。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

一年の目方がひどく重く身にこたえ、 一年の味がひどく辛く舌にしみる。

詩「開びゃく以来の新年」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳

翌年の『中部日本新聞』他の元日号のために書かれた詩の冒頭部分です。草稿に残されたメモによれば、制作の日付は12月5日。光太郎、余命4ヶ月足らずです。その自覚も既にあったと思われます。

この年4月には宿痾の肺結核による大量の血痰。7月まで赤坂山王病院に入院。退院し、中野のアトリエに戻りましたが、もはや手の施しようがないという意味での退院でした。それでも岩波文庫版『高村光太郎詩集』の校閲をしたり、筑摩書房版『宮沢賢治全集』の題字揮毫、装幀を行うなど、その歩みを止めることはありませんでした。

10月にはラジオ放送のための対談を草野心平と行い、その音源はNHKさんに残っています。最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」に関する部分は、先月、十和田市で講演させていただいた際に聴衆の皆さんに聴いていただきました。

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