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Channel: 高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ
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福島相双地域レポート(その3 いわき市)。

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11/13(日)、前日泊まった川内村をあとに、いわき市へ向かいました。この日行われた、当会の祖・草野心平を偲ぶ「没後29回忌「心平忌」 第23回心平を語る会」で、卓話(講話)を仰せつかっていました。

国道399号で1時間弱、目指すいわき市小川地区の草野心平生家に到着。

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標高も高くなく、海も遠くないので、川内村と比べるとまだ紅葉もそれほど進んでいませんでした。

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卓話のためにパソコンやプロジェクタ、スクリーンなどをセッティングした後、すぐ近くの常慶寺さんへ。心平やその関係者の墓参です。

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心平生家に戻り、ふるまわれたお粥(心平粥)とお餅(心平餅)を戴きました。

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お腹もふくれたところで、開会。主催者あいさつに続き、当方の卓話でした。

題して「草野心平と高村光太郎 魂の交流」。大正14年(1925)に、詩人・黄瀛の仲介で出会った二人は、忽ち意気投合、以来、光太郎が歿するまでの30年あまり、深い交流が続きました。さらに、光太郎歿後も、心平は自身が亡くなるまでのやはり30年あまり、当会の祖として、さまざまな光太郎顕彰に取り組みました。

そこには2人の天才の、お互いの芸術世界、そしてその人間性に対する深いリスペクトがあったと言えます。そのあたり、今週末に行われる第61回高村光太郎研究会でも発表いたします。それが終わりましてから、詳細をここに書きましょう。

さて、当方の卓話の後、地元小中生の皆さんによる「第8回 草野心平ふるさとの詩けるるんくっく発表会表彰式」。小学4年生と中学2年生を対象に広く募った自作の詩のコンクールです。

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心平をはじめ、実弟の草野天平、猪狩満直、三野混沌など、独特な詩人を輩出したいわき。その魂を受け継いでいって欲しいものですね。

終了後、このイベントの共催に名を連ねているいわき市立草野心平記念文学館さんへ。館長さんや学芸の方々とお話しさせていただき、さらに、開催中の企画展「寂聴 愛のことば展」を拝見しました。

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心平と瀬戸内寂聴さんは、いろいろなイメージ 13部分で交流がありましたが、2人をつないだキーパーソンの一人が、田村俊子です。俊子は智恵子と同じく初期『青鞜』メンバー。そして智恵子と最も親しかった人物です。

心平は戦時中に俊子と中国で出会っていますし(ことによると共通の友人であった光太郎智恵子の話題も出たかも知れません)、寂聴さんは評伝的小説『田村俊子』で昭和36年(1961)、第一回田村俊子賞を受賞しています。その賞状は心平が扇子に揮毫し、鎌倉東慶寺の俊子碑の前で、心平から贈呈されました。

そのあたりに関する展示も為されており、また、心平から寂聴さんに贈られた『実説智恵子抄』(昭和50年=1975)、それに対する寂聴さんから心平への礼状なども並んでいました。

また、東日本大震災直後に被災者の皆さんにあてたメッセージなども展示されており、それぞれ興味深く拝見しました。

今週末までの開催です。

そんなこんなで福島相双地域を後に、帰って参りました。

まだまだ震災からの復興の道のりは険しいと感じました。しかし、心平の詩に表された生命賛歌の精神や、光太郎詩に謳われた開拓の精神を一つの糧に、歩み続けていっていただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

くれなゐのさてはみどりの黄朽葉(きくちば)のつひに真白の我なり世なり
明治34年(1901) 光太郎19歳

東北から南関東に帰って参りましたら、こちらでも紅葉が進んでいました。じきに白い霜がおりるのでしょう。

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自宅兼事務所の裏山です。

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