昨日は都内で2箇所、企画展示を見て回りました。
まず、文京区さん主催の「平成28年度文京区企画展「賢治と光太郎――文の京で交錯する二人」。
会場は、文京シビックセンターさん。東京メトロ後楽園駅の目の前です。区役所や音楽ホール、展望ラウンジまで入っている施設です。
1階に、アートサロンという展示スペースがあり、そちらが会場でした。
入ろうとしたところで、現・村家ご当主で、写真家の達氏、お姉様の朋美さんとお会いしました。お二人のお父様で光太郎の令甥・規氏亡き後、こうした企画にご理解を示され、ご協力を惜しまれていません。
お二人とお別れし、受付でパンフレット2種類を拝受。入場無料ですし、パンフレットももちろん無料です。
下記はカラーA3判二つ折りのメインのパンフレット。
もう一つ、今回の企画展を含む、「文の京ゆかりの文化人顕彰事業」としてのパンフレット。こちらはA4判三つ折りです。
見開きの面に、今回の展示に関しての記載。賢治と光太郎智恵子の紹介です。
さて、展示は、4章に分け、それぞれ10枚ほどのパネルが掲げられています。「もの」としての展示は、ブロンズの「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」中型試作が一体、光太郎詩稿複製が2点、『宮沢賢治全集』と『高村光太郎全集』のみ。基本的にはパネル展示です。ただ、パネルに画像が多用され、光太郎智恵子と賢治の生涯などが俯瞰できるようになっています。
第1章が「少年賢治と青年光太郎(1883年~1914年)」。形成期の光太郎・賢治が語られます。第2章は「文京の地で(1915年~1922年)」。千駄木林町での光太郎智恵子の生活、さらに賢治も本郷菊坂に暮らしていた時期があり、そこにスポットが当たります。
第3章に「交錯する賢治と光太郎(1923年~1933年)」。二人が唯一会った大正15年(1926)前後。智恵子と賢治の死……。第4章には「光太郎と宮沢家(1934年~1956年)」。賢治歿後の宮沢家と光太郎の結びつき、岩手花巻への疎開、「乙女の像」制作と進んでいきます。
合間に光太郎・賢治と関わった文京区ゆかりの文人の紹介も。夏目漱石、森鷗外、佐藤春夫、大町桂月等。
光太郎・賢治の関係年譜も。
パネルの解説文、なかなかよくまとまっていました。
しかし、惜しむらくは会期が短いこと。昨日始まって、14日の月曜までです。それが終わると、力作のパネルなどはどうするのだろうと思いました。どこかにスペースを設け、常設展示でもいいかと思えるようなものです。
このあたり、ゆかりの文人を多数抱える文京区さんならではの課題ですね。
さて、会期は短いのですが、ぜひ足をお運びください。
【折々の歌と句・光太郎】
皿にもりしもつさう飯をもくふものか鏡にうつるおのが顔見つつ
大正13年(1924) 光太郎42歳
「もつさう飯」は「物相飯」。茶の湯の点心などで饗される、花などの型にはめてかたどったかわいらしいものを指すこともありますが、全く逆に、牢屋敷で囚人に与えたものを指す場合もあります。
おのが貧しさを自虐的に詠っている連作の一首ですので、後者の意味でしょう。