Quantcast
Channel: 高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2242

第60回連翹忌にていただきもの。

$
0
0
過日、日比谷松本楼さんで執り行った第60回光太郎忌日・連翹忌の集いに、全国から約80名の方がご参集下さいました。

参会の皆さんに、ということで資料をお持ち下さった方も多く、また、運営委員会代表の当方に、ということでいただきものもしてしまいました。

チラシなどに書かれていた情報(ソフト)的な部分は順次ご紹介しますが、もの(ハード)としていただいたものの中からいくつかご紹介します。



作曲家・野村朗氏から、今年1月に名古屋で行われたコンサート「Gruppo Giglio Vol.8」の模様を撮影したDVD。参会者全員分用意して下さいました。

イメージ 1

野村氏作曲、第60回連翹忌で演奏をご披露下さった森山孝光・康子ご夫妻の演奏による連作歌曲「智恵子抄巻末の短歌六編より」が収録されています。

コンサート当日は当方、他の用事のため足を運べなかったもので、ありがたく存じました。


冊子『高村光太郎入村70年記念 ~思い出記録集~ 大地麗』。

イメージ 2

花巻市太田地区振興会さんの発行で、同会の佐藤定氏が当方に、ということでお持ち下さいました。

昨年10月、花巻郊外太田村時代(昭和20年=1945~同27年=1952)の光太郎を知る皆さんの座談会が行われた、その記録です。70年前から65年前の話で、当時を知る方が少なくなり、変な話ですが、残った方もご高齢。今のうちに皆さんの記憶を記録に残そうという試みでした。

これまで活字になったことがないのではないか、というようなエピソードや、当方も初めて見る写真などが掲載されており、非常に貴重な記録です。

イメージ 3

イメージ 4

上記は大田村役場落成記念に撮られた集合写真。昭和25年(1950)11月25日です。この際に光太郎は、「大地麗(だいちうるわし)」と書いた大きな扁額を村に贈っており、冊子の題名はここから採られています。


高村光太郎研究会発行の雑誌『高村光太郎研究37』。連翹忌当日の発行です。

イメージ 5

当方も寄稿しているため、1冊戴きました。当会顧問の北川太一先生の玉稿、昨秋行われた、「第60回高村光太郎研究会」で発表をされた田所弘基氏、西浦基氏などの論考等が掲載されています。


その他、光太郎には直接関わりませんが、連翹忌でスピーチをお願いした、鋳金家の後藤信夫様から鋳金関係の書籍を3冊戴きました。

イメージ 6

後藤氏は光太郎の実弟・豊周、その弟子筋に当たる故・西大由氏、故・斎藤明氏の流れをくむ方です。光太郎のブロンズ彫刻は前記の人々らにより鋳造されています。戴いた書籍を読んで、鋳造方面について勉強させていただきます。


連翹忌には、顧問の北川太一先生が高校教諭をなさっていた頃の教え子の皆さんも多数参加下さっています。「北斗会」という名前で、毎年、北川先生を囲む新年会をなさったり、8月の宮城女川光太郎祭にご参加下さったりしています。

その「北斗会」さんの中心で、箔押(書籍の表紙や背などの文字に金箔などを施す特殊印刷)の会社を経営されている小川義夫さんから、こんなものを。

イメージ 7

小川さんが唄っている演歌のCDです。なぜ印刷会社の社長さんが……というと、『歌の手帖』という雑誌のコピーが添えられていました。


イメージ 8

心臓病の予後のリハビリのためにカラオケに取り組み、大会などに出場するうちに、あれよあれよと歌手デビューなさったそうです。失礼ながら、齢(よわい)70を過ぎてからこういうこともあるのですね。当方も芸能界入りを目指そうかと思いました(笑)。



逆に当方から参会の皆様にお配りしたもの。

イメージ 9

年2回発行している、手製の冊子です。

「光太郎遺珠」から 第九回 詩人として(二)   ……  『高村光太郎全集』に収録されていない光太郎作品集成です。
・光太郎回想・訪問記 『読売新聞』より  …… 明治大正期の『読売新聞』さんに載った光太郎の記事です。
・光雲談話筆記集成 『味覚極楽』より「四谷馬方蕎麦」(その一)  …… 光太郎の父・光雲の談話筆記です。
・昔の絵葉書で巡る光太郎紀行 浅虫温泉・蔦温泉(青森)  …… 題名の通りです。
・音楽・レコードに見る光太郎 「新穀感謝の歌」(その一)  …… 昭和16年(1941)、信時潔によって作曲された儀式歌「新穀感謝の歌」に関する論考です。
・高村光太郎初出索引
・編集後記

当会名簿に記載のある個人・団体様には順次発送しています。その他でご入用の方、こちらまでご連絡下さい。送料のみでお分けします。



【折々の歌と句・光太郎】

春の水小さき溝を流れたり                明治42年(1909) 光太郎27歳

何のひねりもない句に見えますが、詠めそうでいてなかなか詠めない句だと思います。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2242

Trending Articles