【今日は何の日・光太郎】5月6日
昭和15年(1940)の今日、詩「新緑の頃」を書きました。
昨日は、家族サービスで、茨城県の筑波山周辺(雨引観音楽法寺、茨城県フラワーセンター)に行って参りました。新緑の山がとても美しく、こういうときには「日本に生まれてよかった」と思います。
帰ってきてネットで新しい情報の調査。すると、『北海道新聞』さんの記事がヒットしました。
新緑の頃
寒さに震える大型連休。それでも、近郊の山々はやわらかな萌木の色に染まり、互いにほほ笑み合っているかのようだ。高村光太郎の「新緑の頃」は、この季節を喜びいっぱいに歌う▼<青葉若葉に野山のかげろふ時、ああ植物は清いと思ふ。植物はもう一度少年となり少女となり/五月六月の日本列島は隅から隅まで/濡(ぬ)れて出たやうな緑のお祭>。「冬の詩人」とも呼ばれる光太郎には珍しい春の詩。いつ終わるとも知れない厳しい冬を熟知しているからこそ、ようやく巡りきた命の再生に感謝し、心を沸き立たせる▼それは北の地に暮らす私たちの実感でもある。どんな老木も、生きているかぎり、みずみずしい葉を芽吹かせる。いまある場所をじっと動かず、寒さに耐えながら、気温と日照のかすかな変化を感じ取り、春への日数を積算しているのだろう▼北電泊原発が停止したのは去年の5月5日だった。道民は節電など暮らしに工夫を凝らし、原発に由来しない電気で春夏秋冬を過ごしてきた。あれから1年。ほっと息をつく▼だが、緑なす列島の中で、福島第1原発と周辺の街や野山や海や川では放射能との闘いが続く。道内の水や空気や土を清く保ちたいと願うのは地域エゴではない。生きとし生けるものへの義務だろう▼幾春(いくはる)も深呼吸できる大気を―。濡れ出たばかりの無垢(むく)な命に誓う。きょう「みどりの日」。2013・5・4
『朝日新聞』さんでいえば、「天声人語」にあたる欄でしょう。ありがたいことです。しかし、北海道では「寒さに震える大型連休」なんですね。
ちなみに詩全文は次の通り。
新緑の頃
青葉若葉に野山のかげろふ時、
ああ植物は清いと思ふ。
植物はもう一度少年となり少女となり
五月六月の日本列島は隅から隅まで
濡れて出たやうな緑のお祭。
たとへば楓の梢を見ても
うぶな、こまかな仕掛に満ちる。
小さな葉っぱは世にも叮寧に畳まれて
もつと小さな芽からぱらりと出る。
それがほどけて手をひらく。
晴れれば輝き、降ればにじみ、
人なつこく風にそよいで、
ああ植物は清いと思ふ。
さういふところへ昔ながらの燕が飛び
夜は地蟲の声さへひびく。
天然は実にふるい行状で
かうもあざやかな意匠をつくる。
ああ植物は清いと思ふ。
植物はもう一度少年となり少女となり
五月六月の日本列島は隅から隅まで
濡れて出たやうな緑のお祭。
たとへば楓の梢を見ても
うぶな、こまかな仕掛に満ちる。
小さな葉っぱは世にも叮寧に畳まれて
もつと小さな芽からぱらりと出る。
それがほどけて手をひらく。
晴れれば輝き、降ればにじみ、
人なつこく風にそよいで、
ああ植物は清いと思ふ。
さういふところへ昔ながらの燕が飛び
夜は地蟲の声さへひびく。
天然は実にふるい行状で
かうもあざやかな意匠をつくる。
画像は先日、碌山忌の際に碌山美術館でいただいて来た楓の苗です。2階のベランダから家の裏山の新緑をバックに撮ってみました。秋には真っ赤に染まるとのこと。今から楽しみです。
再び『北海道新聞』さんの記事。「緑なす列島の中で、福島第1原発と周辺の街や野山や海や川では放射能との闘いが続く」……。「幾春(いくはる)も深呼吸できる大気を―」その通りですね。