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新聞各紙から(その2)。

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昨日に引き続き、最近の新聞各紙から。

まず、1月21日(月)の『東京新聞』さん群馬版。群馬県立土屋文明記念文学館さんの第103回企画展「文学者の書―筆に込められた思い」に関して。 

文学者 書に込めた思い 3月17日まで企画展 晩年の子規の書簡、特別公開も

 近代の文学者が筆で書いた俳句や書簡などを展示する企画展「文学者の書 筆に込められた思い」が高崎市保渡田町の県立土屋文明記念文学館で開かれている。俳人の正岡子規(一八六七~一九〇二年)が晩年に友人に宛てた書簡は、所蔵する子規庵(東京都台東区)以外では初公開となる。三月十七日まで。 (市川勘太郎)
 書簡は、正岡子規が脊椎カリエスや結核で亡くなる四カ月前に、新聞「日本」の編集主任で親しい間柄だった古島一雄に送ったもので、昨年発見された。新聞での連載を知らせる手紙に対して礼を述べた上で「覚えず活気が出た」と喜びの心境をつづっている。
 弟子の歌人岡麓(ふもと)は晩年の子規の手紙について「大病人のような弱々しさのない筆勢と生き生きした濃い墨色とが遺されている」と書いていて、書簡からも病床でありながら力強い筆跡で手紙を書いていたことがわかる。
 他にもノーベル文学賞を受賞した小説家川端康成や芥川龍之介の書簡、群馬県ゆかりの詩人萩原朔太郎が書いた封筒など、明治から大正時代の詩人や歌人四十五人の書約百点が展示されている。
 会場には書に造詣が深かった高村光太郎が書いた「書をみるたのしさ」をパネルで紹介。書について「直接書いた人にあうような気がしていつでも新しい」と評している。
 同館学芸係の佐藤直樹主幹(43)は「文学者によって受け継がれてきた書の歴史の一部分を展示している。難しく考えずに見て楽しんでもらえたら」と話している。
 開館時間は午前九時半から午後五時まで。観覧料は一般四百十円、大学・高校生二百円で中学生以下は無料。火曜日休館。

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光太郎、書の作品自体も出品されているはずですが、パネル展示も為されているのですね。当方、明日、現地で拝見して参ります。



次に、『読売新聞』さん。1月19日(月)の夕刊。光太郎の朋友・北原白秋を主人公とした映画「この道」に関し、作曲家の池辺晋一郎氏が寄稿されています。不定期連載の「耳の渚」というコーナーです。 

童謡100年 「この道」を想う

 今年は、日本で初めて童謡が作曲されてちょうど100年というアニヴァーサリーである。少し詳しく話そう。
 もちろん、子どもの歌は昔からあったにちがいない。世界中のどんな地域でも、どんな時代でも、子どもは歌う。日本でも「わらべ唄」は自然発生的に流布していた。
 意図的に子どもの歌が作られるようになったのは、明治以降だ。最初の教材は1881~84年刊で、大半が欧米の民謡、一部にわらべ唄などを転用したものだったが、1911年から14年にかけて、文部省による「尋常小学唱歌」が作られる。作詞と作曲者名は伏せられ、本人も口外を禁じられたという。個人の創作ではなく、詞も曲も合議のうえで編纂(へんさん)され、国が作った歌という形をとったのである。その中で「故郷(ふるさと)」「朧(おぼろ)月夜」「春の小川」などについて、高野辰之(1876~1947年)の作詞、岡野貞一(1878~1941年)の作曲であることが公表されたのは、1970年前後になってからであった。

 今も親しまれる前記のような例外はあったにせよ、多くは歌詞が硬く教訓的で、子どもの自然な感情にそぐわないと考えた鈴木三重吉(1882~1936年)が童話童謡誌「赤い鳥」を創刊したのは1918年。芥川龍之介、有島武郎、小山内薫、久保田万太郎らそうそうたる文学者がこの雑誌に寄稿した。創刊の年の11月号に発表された西條八十(やそ)の詩に、翌19年5月号で成田為三作曲による歌が付いて掲載されたのが「かなりや」。これはさらに翌年レコード化されて広く歌われた。「唄を忘れた金糸雀(かなりや)は~」という童謡である。これが、日本の童謡の嚆矢(こうし)とされる。すなわち今年で100年というわけだ。
 「子ども向けだからそれなりに」から「子ども向けだからこそ質の高いものを」という理念に添った詩人は西條八十のほか野口雨情、北原白秋ら。それらに成田為三、本居長世、弘田龍太郎、山田耕筰(こうさく)らが作曲して、すばらしい童謡が次々に生まれた。

 それら名コンビの中の白眉――北原白秋(1885~1942年)と山田耕筰(1886~1965年)の創作の葛藤と軌跡を描く映画「この道」(監督・佐々部清、主演・大森南朋、AKIRA)が公開されている。鈴木三重吉はもちろんのこと与謝野鉄幹・晶子、萩原朔太郎、室生犀星、石川啄木、高村光太郎らも登場することが興味深い。日本人なら誰でも知っているであろう「この道」という歌は、映画のタイトルのみならずキイワードだ。白秋の詩に描かれた風景にとどまることなく、どんな人の心の中にもある、それぞれの「この道」について想(おも)いを馳(は)せることになるだろう。
 「北原白秋 言葉の魔術師」(今野真二著、岩波新書)という本が2年前に出た。僕はかねて「邪宗門」「思ひ出」など白秋の詩集が大好きで、そのふるさと、福岡県柳川を何度も訪れている。この書も当然読み、この映画にも駆けつけた。いっぽう山田耕筰は、日本のオーケストラあるいはオペラの黎明(れいめい)期の立役者として、たびたび触れる機会がある。しかし白秋も耕筰も、もっぱら童謡という視座で語られることは、そう多いとはいえないだろう。そもそも童謡という言葉が、もはや死語かもしれないのだ。

 僕の子ども時代には「童謡歌手」がいた。童謡はすべての子どもに共通の歌で、子ども雑誌の表紙はたいてい彼女らだった。だが童謡は消え、数十人もの集団アイドルが歌う「どれも似たような歌」が、かつての童謡にとって代わっている。
 これはこれでいいのかもしれない。ポップソングの専門家でない僕に、そのあたりの判断はできないが、もし現代に鈴木三重吉がいたら、何を、どう主張するかな、と考えてしまうのである。
(いけべ・しんいちろう 作曲家)

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「この道はいつか来た道」……現在のきな臭い世の中の動きに対しても、そう思わざるを得ません。おそらく、映画「この道」の佐々部清監督も、白秋やその姉貴分の与謝野晶子すら巻き込まれていった泥沼の戦時を描くことで、こうしたメッセージを込められたのだと思います。

昭和6年(1931)満州事変勃発、同7年(1932)五・一五事件及び傀儡国家の満州国建国、同8年(1933)日本の国際連盟脱退及びドイツではヒトラー政権樹立、同11年(1936)二・二六事件、同12年(1937)日中戦争勃発、同13年(1938)国家総動員法施行、同14年(1939)第二次世界大戦開戦、同15年(1940)日独伊三国同盟締結、大政翼賛会結成、そして同16年(1941)太平洋戦争開戦……。

こんな「この道」を繰り返してはなりませんね。


【折々のことば・光太郎】

特別の場合を除く外、児童の未熟な演奏を放送するのを止めたい。人情から言へば子供等の声楽はあどけないから調子外れも無内容も大して気にならない。気にならないから尚更いけないのだ。大衆の耳の調整が攪乱される。一番悪い事には聴いてゐる子供等の耳が害される。おまけに放送してゐる子供等自身にもそんな事でよいやうな錯覚を起させる。

散文「ラヂオの児童音楽」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

童謡を子供の演奏で流していた当時のラジオ放送に対しての苦言です。たとえ童謡であっても、ちゃんとしたプロの歌手に演奏させ、きちんとした音楽で人々の耳を慣らさなければならない、というわけで、正論ですね。

雑誌各誌から。

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最近入手した雑誌から。 

月刊絵手紙 2019年2月号

2019/02/01 日本絵手紙協会 定価762円+税

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一昨年から花巻高村光太郎記念館さんのご協力で、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されている『月刊絵手紙』さん。

今号は、詩「雪白く積めり」(1945=1945)。背景はこイメージ 1の詩の作られた花巻郊外旧太田村の光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)付近の雪景色です。表紙にも同じ写真の一部分が使われています。

   雪白く積めり
 
 雪白く積めり。
 雪林間の路をうづめて平らかなり。
 ふめば膝を没して更にふかく
 その雪うすら日をあびて燐光を発す。
 燐光あをくひかりて不知火に似たり。
 路を横ぎりて兎の足あと点々とつづき
 松林の奥ほのかにけぶる。
 十歩にして息をやすめ
 二十歩にして雪中に坐す。
 風なきに雪蕭々と鳴つて梢を渡り
 万境人をして詩を吐かしむ。
 早池峯(はやちね)はすでに雲際に結晶すれども
 わが詩の稜角いまだ成らざるを奈何にせん。
 わづかに杉の枯葉をひろひて
 今夕の炉辺に一椀の雑炊を煖めんとす。
 敗れたるもの卻て心平らかにして
 燐光の如きもの霊魂にきらめきて美しきなり。
 美しくしてつひにとらへ難きなり。
 
メートル単位で雪が積もるこの風景を見ずして、光太郎の山小屋暮らしを語るなかれ、ですね。


続いてもう1冊。 

月刊石垣 2019年1月号

2019/01/10 日本商工会議所 定価477円+税

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『月刊石垣』といっても、城郭マニアの皆さん向けの雑誌ではなく、純然たるビジネス誌です(笑)。

「全国の魅力的なまちを取り上げる「まちの解体新書」」というコーナーが、「◆福島県二本松市◆ほんとの空のある 信義を重んじたまち」ということで、智恵子の故郷・二本松を紹介して下さっています。全5ページで、ちょっとした分量です。

ただし、「ほんとの空」の語がタイトルにあるのですが、本文には光太郎智恵子に関する記述はありませんでした。最近は「ほんとの空」の語が一人歩きしている感がありますね。


それぞれ、上記リンクから注文可能です。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

自己の生活する社会の根柢に大きな眼を見開いた認識を持たない作家の作は、結局するところ月並芸術に終る。巧妙は巧妙なりに、平凡は平凡なりに、所謂芸術派的芸術の末社の陥るところは皆これである。

散文「ネオ月並式」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

自己の制作に対しても常に厳しい眼を持っていた、光太郎ならではの言ですね。

群馬県立土屋文明記念文学館 第103回企画展「文学者の書―筆に込められた思い」レポート。

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昨日は、高崎市の群馬県立土屋文明記念文学館さんにて開催中の、第103回企画展「文学者の書―筆に込められた思い」を拝見して参りました。

自宅兼事務所のある千葉県北東部では、出がけに今冬初めての雪。一時的には吹雪に近い感じでした。しかし、局所的な通り雨ならぬ通り雪だったようで、圏央道で県境を越え、茨城県内に入るとやみました。埼玉に入り、関越道に乗り換えて高崎へ。土屋文明記念文学館さんに足を運ぶのは、何やかやで10回目くらいでしたが、おそらく初めて駐車場が満杯でした。しかたなく隣接するかみつけの里博物館さんの駐車場に駐めました。


こちらには野外施設的に、巨大な前方後円墳が。埴輪や葺石などが復元整備されています。

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こちらの後円部の頂上に登ると、上州の山々がきれいに見えます。名物のからっ風が情け容赦なく吹き付けてくる状態でしたが(笑)。

赤城山。

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榛名山(ピンぼけ)。

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草津白根山方面。

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それぞれ光太郎の足跡の残る山々です。

そして裏口から土屋文明記念文学館さんに入館。勝手知ったる館ですので(笑)。

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企画展会場は、正面玄関から入ると左、裏口からだと右手です。

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観覧料410円也を支払って、会場へ。

順路通りに進むと、いきなり当会の祖・草野心平と、やはり光太郎と交流のあった高橋元吉の書。心平の方は2点で、うち1点が色紙で「上州の風」と、独特の書体で書かれています。まさしくこの季節にぴったりです。

続いて、大きめのパネルに光太郎の散文「書をみるたのしさ 」の全文。昭和29年(1954)、平凡社さんから刊行された『書道全集』の内容見本に寄せた短文です。

書を見てゐるのは無條件にたのしい。画を見るのもたのしいが、書の方が飽きないやうな気がする。書の写真帖を見てゐると時間をつぶして困るが、又あけて見たくなる。疲れた時など心が休まるし、何だか気力を与へてくれる。六朝碑碣の法帖もいいし、日本のかなもすばらしい。直接書いた人にあふやうな気がしていつでも新らしい。書はごまかしがきかないから実に愉快だ。

このパネルが、いわば書物における序文、あるいはシンポジウム等における基調講演のような位置づけで、展示全体のコンセプトを表しています。

光太郎自身の書は、一点のみでした。同館所蔵の短冊で、明治37年(1904)の『明星』に掲載された短歌「ああこれ山空を劃(かぎ)りて立てるもの語らず愚(おろか)さびて立つもの」がしたためられています。ただ、『明星』での掲載型とは細かな表記の違いがありますが。

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上記は同展の図録から採らせていただきました。後イメージ 8半、「書についての漫談」(昭和30年=1955)、「書について」(昭和4年=1929)の一節が掲載されていますが、各展示作家ごとに、それぞれの書作品の脇に、本人が書に関して書き残した文章の一節や、友人知己などがその人物の書を評した文章の一節などがパネルで付されており、そういうわけです。

先述の草野心平、高橋元吉以外にも、光太郎と交流の深かった様々な人物の書が多数並んでおり、興味深く拝見しました。与謝野夫妻、吉井勇、北原白秋、有島武郎、菊池寛、武者小路実篤、吉野秀雄、室生犀星……。そして、パネルによる言葉も。

白秋など、公開中の映画「この道」にも描かれたとおり、かなり破天荒な人物、というイメージがありますが、書を見ると意外と穏健ですし、有島などは、その凄絶な最期はともかくとして、やはり育ちの良さがにじみ出ている書に感じられました。

ちなみに図録には、書家の石川九楊氏の「近代文学者の書について」という一文が寄せられており、主な人物についてはそれぞれ一言ずつ的確に評されています。光太郎に関しては「彫刻用の鑿で木を彫り削っているかのような書」。

それ以外にも、石川氏の文章は非常に示唆に富むものです。3月17日(日)に関連行事で講演をなさることになっており、当方、そちらの申し込みもいたしました。

皆様もぜひ、足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

造形美術は思想の地下工事の上に立つ建築。言葉による芸術は思想を骨組とする建築。造形美術個々の表面に一々思想を求める者は迂であり、言葉による芸術に一々思想の影を嫌ふ者は愚である。魚は囀らず、鳥は黙せず。

散文「魚と鳥」全文 昭和6年(1931) 光太郎49歳

自身の芸術の二本柱であった造形美術(彫刻)と言葉による芸術(詩)について、その差異を語っています。

どうも最晩年の光太郎は、「書」によってこの二つを融合させ、究極の芸術を生み出そうとしていたように思われます。

岩手県立美術館館長講座2018 第4回 「岩手の近代彫刻Ⅱ」。

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岩手盛岡から、市民講座の情報です。 

館長講座2018 第4回 「岩手の近代彫刻Ⅱ」

期    日 : 2019年2月2日(土)
会    場 : 岩手県立美術館 ホール 岩手県盛岡市本宮字松幅12-3
時    間 : 14:00~15:30
料    金 : 無料 
講    師 : 藁谷収 (岩手県立美術館館長)
備    考 : 定員120名 申し込み不要

彫刻家でもある当館の藁谷収館長が、「作り手の視点」で語る講座。専門の彫刻を中心に当館所蔵の作品や現代イタリア彫刻について紹介しながら美術の楽しみ方を全4回シリーズでお話しします。

長沼守敬、高村光太郎、堀江尚志と続く岩手の近代彫刻は、人間に対する深い愛情を表現した舟越保武へとつながっていきます。さらに戦後には創作活動のあらたな可能性を追求し新しい価値を与える彫刻家が出てきます。多様に展開する現代の彫刻の一端を紹介いたします。

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藁谷館長、岩手大学さんで教鞭も執られているようで、昨秋には花巻市主催の岩手大学教育学部出前講座「彫刻ってこう観るの!? 光太郎の作品から入る近代芸術の世界」でも講師を務められていました。

ちなみに同館では現在、企画展として、光太郎と交流のあった宮沢賢治がらみの「ますむらひろし展―アタゴオルと北斎と賢治と―」を開催中です。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

人間が着物を着てゐる限り、裸体の魅力は滅びない。又人間が全裸の生活に立ち返つてその魅力に麻痺するや否や、性の挑発物としての着物が発達しはじめる。此の循環を想像する事は面白い。

散文「循環」全文 昭和6年(1931) 光太郎49歳

人間に対する強い愛情の表現の一カテゴリーとしての裸体画、裸体像。滅び去ることはないのでしょう。

冬と遊ぼう 十和田湖冬物語2019。

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毎年ご紹介している青森県十和田湖畔でのイベントの情報です。 

冬と遊ぼう 十和田湖冬物語2019

開催期間 : 平成31年2月1日(金)~2月24日(日)
時   間 : 平日:15:00~21:00  土日祝日:11:00~21:00
会   場 : 十和田湖畔休屋特設イベント会場 青森県十和田市大字奥瀬字十和田湖畔休屋486番地

内   容 : ゆきあかり横丁/かまくらBar/冬花火/奥入瀬渓流氷瀑ツアー/スノーライド/スノーバナナ
         乙女の像ライトアップ/雪像プロジェクションマッピング/かんじきふっとパス/
         雪のメモリアルフォト/ステージイベント/スノーパーク 他

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開幕間近ということで、秋田県の地方紙『北鹿新聞』さん、1月27日(日)の記事。

雪像作り急ピッチ 十和田湖冬物語 2月1日の開幕へ 新企画にPマッピングイメージ 3

 小坂町と青森県十和田市にまたがる十和田湖の冬を彩るイベント「十和田湖冬物語2019」は2月1日から24日まで、湖畔休屋で行われる。会場では現在、急ピッチで大雪像の制作が進められている。期間中は毎日、約200発の「冬花火」が打ち上げられるほか、新たな試みとして雪像に映し出すプロジェクションマッピングを行うなど、多彩なイベントで冬の十和田湖を満喫してもらう。
  冬物語は両市町の観光関係者でつくる実行委員会が1999年から毎冬、冬期間のにぎわいづくり、活性化を目的に開いている。
  見どころの一つ大雪像のテーマは「雪龍と龍王」。陸上自衛隊八戸駐屯地の隊員たちが15日に制作を開始し、連日約30人が作業に奮闘。現場には足場が組まれ、現在は彫り込み作業が行われている。完成後の大きさは高さ5・4㍍、幅18・6㍍になる見通し。今年は大雪像のほかに、プロジェクションマッピング用の雪像も作っている。
  隊長付の北谷水輝さん(34)は「自衛隊として協力や支援ができればと思っている。多くの来場者に楽しんでもらいたい」と話している。
  期間中のイベントとして、夜空に打ち上げられる冬花火は午後8時から5分間、約200発を計画。会場入り口では約3万個の発光ダイオード(LED)電球を使った光のゲート、トンネル、ツリーなどが点灯する。乙女の像のライトアップも行われる。
  両県の郷土料理を集めた「雪あかり横丁」では9店舗が並ぶ。十和田湖の県境画定10年を記念して両県の地酒を楽しめるコーナーもある。アルコールを味わえる「かまくらBar・酒かま蔵」も登場する。
  このほか、毎週末にステージイベントを実施するほか、会場ではものづくり工房やかまくら、すべり台などの雪遊びコーナー、雪上自転車体験などもあり、カップルや家族連れで楽しめそうだ。
  実行委によると、昨年は約23万5000人が来場した。「十和田湖の真っ白な雪を楽しみながら、遊びにきてください」と呼び掛けている。
  開催時間は、平日が午後3時~同9時、土日祝日は午前11時~午後9時まで。
  問い合わせは、十和田湖国立公園協会の実行委(電話0176・75・2425)。


例年通り、光太郎最期の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが行われます。当方、平成26年(2014)昨年の2回、お邪魔しました。比較的温暖な気候の房総に住んでいる身にとっては、さながら異次元空間(笑)。とにかく寒いのと、豪雪を逆手にとって楽しんでしまおうという、活気溢れるイベントです。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

ノーネクタイ倶楽部の出現は遅蒔ながら結構だ。私は十数年来、この湿熱の日本の夏には洋服を着ずに居る。北緯五十度がらみの欧洲で発達した服装をそのまま長い間日本で適用してゐたのは不思議である。社会的必要から盛夏の候に西洋人なみに洋服を着てゐる日本の男性を見ると気の毒の感に堪へない。

散文「トウキヤウ スタイル」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

とにかく夏の暑さに弱く、冬の寒さを愛した光太郎ならではの言です。光太郎、十和田湖冬物語会場に行ったら、大喜びしてしまうのではないでしょうか(笑)。光太郎の好きだった地酒コーナーもありますし(笑)。

千葉県立美術館 冬のアート・コレクション 具象彫刻展 ―具象彫刻の先駆者たち―。

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千葉県から所蔵品展の情報です。 

冬のアート・コレクション 具象彫刻展 ―具象彫刻の先駆者たち―

期    日 : 2019年1月29日(火)~4月14日(日)
会    場 : 千葉県立美術館 千葉県千葉市中央区中央港1-10-1
時    間 : 9:00〜16:30
料    金 : 一般 300円(240円)  高校・大学生 150円(120円)  ( )内は20名以上の団体料金
休 館 日 : 月曜日 (祝日・振替休日に当たるときは開館し、翌日休館)

美術における「具象」とは、人物や身近な動物など具体物を題材にした作品に使われる用語です。
また、「彫刻」とは主に立体の美術作品を示す用語で、石や木などの素材を直接彫り刻む技法(カーヴィング)と、粘土で原型をつくり、それを石膏や金属などで型抜きして作る技法(モデリング)に大別されます。
日本には、埴輪や土偶、ひな人形や仏像など立体造型の伝統がありますが、人物を型抜きしたような写実的な表現は、明治以降、西欧の彫刻作品と技法の導入により普及しました。
「具象」「彫刻」をキーワードとする本展では、日本近代彫刻の先駆者である小倉惣次郎や新海竹太郎をはじめ、彫刻界に多大な功績を残した高村光太郎、高田博厚、戦後日本の彫刻界を代表する舟越保武、千葉県を拠点に活動した大須賀力、長谷川などの作品を展示し、具象彫刻の魅力を紹介します。

 同時開催
 近代洋画の先駆者 浅井忠9 -浅井忠の京都時代-
 北詰コレクション メタルアートの世界3 -彫金の魅力-
 コレクション名品展 -バルビゾン派の画家たちを中心に-
 アート・コレクションプラス 具象彫刻の今 -彫刻家宮坂慎司と県美の収蔵作家たち-

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地元ですので、早速行って参りました。

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チラシには光太郎のブロンズ「裸婦坐像」(大正6年=1917)が大きく掲載されていますが、看板では「手」(同7年=1918)。「おお」という感じでした。

光太郎作品は4点出ていました。上記2点以外に、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のための手の試作(昭和27年=1952)と、中型試作(同28年=1953)。4点とも何やかやであちこちで同型のものをしょっちゅう見ている作品ですが、何度見てもいいものはいいと感じます。

光太郎以外に、現代作家の作品も含め、約30点。

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高田博厚、本郷新、菊池一雄、舟越保武といった、光太郎と交流があった彫刻家の作もあり、興味深く拝見しました。

さらに同時開催の絵画のコレクション展「-バルビゾン派の画家たちを中心に-」でも、光太郎と交流のあった面々-安井曾太郎、梅原龍三郎、岸田劉生、三宅克己など-の作が並んでおり、ラッキーでした。

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また、直接の交流は無かったと思われますが、歿後にそのアトリエを借り受けて、光太郎が「乙女の像」制作に当たった中西利夫の作もありました。それから、岸田劉生に師事した椿貞夫の作は、光太郎智恵子が愛を確かめ合った銚子犬吠埼の風景画。二人が泊まった暁鶏館(現・ぎょうけい館)も描かれており、「へー」という感じでした。

皆様もぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

日本人は自然に逆らはない気質を有する。自然をどづかないで、しかも自然を左右する。
散文「三陸廻り 一 石巻」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

新聞『時事新報』に依頼され、この年8月から9月にかけ、三陸沿岸を旅して書いた紀行文から。ちなみにこの光太郎の旅行中、智恵子の心の病が顕在化したとされています。

宮城県石巻で見た北上川河口の風景への感想です。北上川の流路は、遠く江戸時代から何度も改修工事が行われ、光太郎が訪れた昭和6年(1931)の時点でも工事が行われていました。洪水対策や港としての整備が目的だったようですが、光太郎、スエズ運河の大工事を引き合いに出し、そうした自然に逆らう工事ではないことに感心しています。

善光寺仁王像 初の本格調査。

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昨日の『信濃毎日新聞』さんの記事から。 

善光寺仁王像 初の本格調査 東京芸大大学院などのチーム

 善光寺(長野市)の仁王門に納められている仁王イメージ 1像など4体について、東京芸大大学院の文化財保存学・保存修復彫刻研究室などの調査チームが現地調査を始めた。同寺によると、制作から今年100年となる仁王像の本格的な調査は初めてで、将来的に文化財指定を目指す第一歩。彫刻家高村光雲(1852~1934年)らが手掛けた4体は作品的価値が高いとされ、再評価する上で必要な基礎資料を7月ごろまでにまとめる。
  仁王門南側の左右に並ぶ仁王像は、向かって左側が口を開いた阿形(あぎょう)、右側が口を閉じた吽形(うんぎょう)でともに高さ約4・5メートル。制作は、光雲と弟子の米原雲海(1869~1925年)を中心に、松本市中町出身の彫刻家太田南海(1888~1959年)らも関わり、1919(大正8)年に完成。北側には、同時期に光雲らが手掛けた三宝荒神(さんぽうこうじん)像、三面大黒天像も安置されている。いずれもこれまで文化財指定はされていなかった。
  調査は30日までの4日間、同研究室の研究者や大学院生を中心に、光雲のひ孫の写真家高村達(とおる)さん(51)=東京=を含め11人が参加。像の周囲に足場を組み、像をコンピューター上で立体的に再現するための写真撮影や、内部構造を把握するためにエックス線撮影などをしている。
  仁王門は昨年再建から100年を迎え、さらに仁王像などの開眼法要が19年9月に営まれてからも100年となることから、善光寺は今秋までの1年間を仁王門と仁王像の「記念イヤー」と位置付けている。昨年9月には、仁王門に貼られていた参拝者の名前などが記された「千社札(せんじゃふだ)」を建物を守るために剥がすなど、再評価に向けた取り組みを進めており、今回の調査もその一環。
  調査チームに加わる田中修二・大分大教授(50)=近代日本彫刻史=は4体の像について「構造や制作過程を踏まえ、美術史や作家のキャリアの中でどう位置付けられるか考えたい」と意気込んでいる。


光雲作の木彫、代表作の「老猿」(明治26年=1893)は、かなり早く平成11年(1999)に重要文化財に指定されましたが、それ以外にはそういった指定は受けていないようです。皇室に納められているさまざまな作品なども同様です。100年を経ている作品については、そういった指定ももっと視野に入れていただきたいものですね。まずは地方自治体さんの指定文化財といったあたりから、という気がします。

ただ、光雲の作品は、決して少なくはない上に、善光寺さんのものもそうですが、光雲単独ではなく弟子の手が入っている場合が多く、なかなか難しいのかもしれません。今回の調査が、そういった方面の基準作りにおいて役立っていくことを願います。

明日も善光寺さん系のネタで。


【折々のことば・光太郎】

私は既成宗教のどの信者でもないが医し難い底ぬけの自然讃美者だ。自然の微塵にも心は躍る。万物の美は私を救ふ。強力なニヒルの深淵から私を引き上げたのは却て単純な自然への眼であつた。

散文「三陸廻り 二 牡鹿(をじか)半島に沿ひて」より
 昭和6年(1931) 光太郎49歳

そういうわけで、光太郎は仏像らしい仏像は作りませんでした。東京美術学校時代におそらく手本を与えられての習作として作った、羅漢像のレリーフが残っているくらいです。ただ、ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)や、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」などは、観音像の施無畏印をモチーフとしてはいますが。

代わって光太郎を貫いたのは、文中にもある「自然讃美」の精神でした。動植物の木彫だけでなく、おそらく塑像での肖像彫刻などにも、その精神が生かされているように思われます。

第十六回長野灯明まつり 「共鳴する平和への祈り」。

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昨日に引き続き信州善光寺さんネタです。

第十六回長野灯明まつり 「共鳴する平和への祈り」

開催期間 : 平成31年2月6日(水)~2月11日(月・祝)
時   間 : 18:00~21:00 ※初日は17:30からオープニングセレモニー 最終日は 18:00 ~ 20:00

会   場 : 信州善光寺 長野県長野市長野元善町491  長野駅前西口、善光寺表参道
入場料金 : 無料
主   催 : 長野灯明まつり実行委員会

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長野灯明まつりは、長野オリンピックの開催を記念し、2004年から装いを新たに始まった祭りです。
オリンピックの「平和を願う精神」を後世に遺してゆくため、世界に向けて「平和の灯り」を力強く発信しています。善光寺を五輪の色にちなんだ光で照らす「善光寺・五色のライトアップ」善光寺表参道に平和への想いが込められた光のアートが並ぶ「ゆめ灯り絵展」大きな光と小さな光を長野市へ皆で灯して、世界の平和を祈ります。

1998年長野冬季オリンピックが開催されました。感動と躍動、そして恒久の 平和への願いを、オリンピック精神のもと世界に届けました。2004年オリン ピックレガシーの継承と、弛まぬ平和への願いを込めて開催されたまつりこそ 「長野灯明まつり」です。国宝善光寺を五色に彩る「善光寺ライトアップ」、善光 寺表参道に灯された800基の灯篭アート「ゆめ灯り絵展」、毎年趣向を凝らし て開催される各種イベントが、訪れる50万人の人々を魅了します。 我々日本人は戦後、アジアの先進国の代表として常に経済をリードし、豊かな生 活と思想、優れた教育を享受して参りました。しかし、広い地球のどこかでは未 だ人と人が争い、誰かの心が傷つけられています。 第十六回長野灯明まつりでは「共鳴する平和への祈り」をテーマに、性別、人 種、国籍を超え、人と人の想いがつながり響きあい、共に灯す平和への祈りを世 界に向けて発信します。

実施する事業
・仁王門再建·仁王像造立100年長野灯明まつりスカイランタン・平和の灯り
開催日時:2/10(日) 集合場所:善光寺大本願 明照殿 開催場所:仁王門前 
受付 17:00~19:30  スカイランタン制作 17:30~18:30  打ち上げ開始 19:00~ 
参加費:1セット2,000円 ※受付時現金にて 事前申し込み公式サイトから 販売個数:限定100基
スカイランタン打ち上げイベント及び製作体験は、参加者1人につき、1基の製作となります。製作、打ち上げスペースの関係で、複数人で1基の申込は下記の場合を除き、ご遠慮をお願い申し上げます。
※小さなお子様がいらっしゃる方、16歳未満の保護者の付き添いは可能です。
タイや台湾を中心に元宵節にスカイランタンを放ち、無病息災を祈る民族習慣として定着している熱気球の一種です。長野灯明まつりでは、善光寺大本願にて祈祷したスカイランタンに平和の祈りや願いを書き入れて夜空に打ち上げ祈るとともに、仁王門再建100年・仁王像造立100年をスカイランタンの平和の灯りで祝います。
・ オープニング特別ライトアップ
 日本との友好150周年を迎えるオーストリア、ハンガリー両国より大使をお招きし、平和の祈りを込めた善光寺のライトアップ点灯式にご参加いただきます。 また、善光寺山門では、石井リーサ明理氏によるレーザー演出で、長野灯明まつりのオープニングを華やかに彩ります。
日時:2月6日(水)18:00~21:00 場所:善光寺山門
・ 「ゆめ常夜灯」
灯明まつりの伝統に則り、善光寺の本堂をはじめとした主要な建物をカラーでライトアップ。本堂と山門はそれぞれ30分に1回、5色の色変化をする演出を行います。9年ぶりに修復を終え、一般公開された国の重要文化財である経蔵をライトアップ。主要な照明機材をLEDとし、省エネルギー化を実現。排気ガスを排出する燃料式発電機の使用を廃止し、クリーンで静かな空間を創出。企画・照明デザイン 石井幹子/石井リーサ明理
・ 「ゆめ灯り絵展」
「ゆめ灯り絵展」は「灯り絵常夜灯」と呼ばれる灯ろうに、応募者がデザインした切り絵を貼って浮かび上がる絵柄と灯りを楽しむイベントです。長野灯明まつり開催中、柳沢京子氏をはじめとする審査員の方々や、一般投票によるコンテストを実施。 善光寺表参道の石畳に展示され、情緒あふれる景色を彩ります。
テーマ 一般部門:「未来」「平和」「感謝」 キッズ部門:「将来の夢」「スポーツ」
<作品展示> 善光寺表参道大門石畳通り 2月6日(水)から2月11日(月)まで

他に宿坊・ゆめ茶会(毎日)、ゆめ演奏会(2/6)、平和のコンサート(2/9)、プロジェクションマッピング(2/10)、
謎解きゲーム「妖怪探偵と封印の扉」、灯明バルなど


昨日お伝えした、光太郎の父・高村光雲らによって制作された仁王像の調査は、この「灯明まつり」に向けてのすす払いの意味もあったようで、この時期だったのでしょう。

SBS信越放送さんで昨日放送されたローカルニュースから。

善光寺仁王像が完成から100年・文化財指定に向けた動き始まる

 長野市の善光寺の仁王像が完成から100年の節目を迎え、仁王像や仁王門の文化財指定を目指す動きが始まりました。
 仁王門ではきょう、中に納められている仁王像の「おすす払い」が行われました。高さおよそ4.5メートルの仁王像は彫刻家の高村光雲や松本出身の太田南海などが手がけたもので、1919年・大正8年の完成から今年で100年となります。
 きょうは専門の業者が毛先が柔らかい刷毛などを使って長い年月の間にたまったほこりや汚れを落とし、善光寺事務局の小林順彦寺務総長は「100年間ここに来られている方を見届てきた仁王様なので、体を軽くしていただきたい」と話していました。
 また仁王像が安置されている仁王門も、去年再建から100年を迎えました。善光寺では今年1年間を仁王門と仁王像の「記念イヤー」と位置づけ、将来的に文化財指定を目指す取り組みに乗り出しました。
 去年9月には門に貼られていた「千社札」と呼ばれる参拝者の札をはがす作業を初めて行い、高所作業車も使いながらおよそ2週間かけて1200枚ほどをはがしました。
 さらに仁王像の作品的価値の再評価に向けて、東京芸術大学大学院などでつくる調査チームがきのうまでの4日間現地調査を行いました。
 善光寺ではこうした取り組みを通して文化財の登録を目指していくとしていて、小林寺務総長は「これだけ注目する機会はまた100年後になると思うので、このチャンスを生かして仁王門と仁王様を文化財指定にもっていってくれればありがたい」と話していました。
 善光寺では今年9月に100周年の記念法要などを行う予定です。

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ちなみに、光雲の曾孫であらせられる村朋美さんのブログに現地レポートが掲載されています。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

飛行機と無線電信とは地球の表面距離を小さくした。しかし人は地球のうすい表皮の中でのみ活動する。人はまだ此厖大な球体に深達する事を許されない。上空無限の未知の気層が私の意識を喪失せしめる。

散文「三陸廻り 三 金華山」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行が行われるまであと30年。さすがの光太郎も地球が青いことを想像できなかったでしょう。

善光寺さんの仁王門前から打ち上げられるスカイランタン、そこに込められる平和への祈りが、地球全体を覆うことを願ってやみません。

御茶ノ水イタリアン トラットリアレモン 「脇農園レモンフェア」。

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グルメ情報です。 

脇農園レモンフェア

開催期間 : 平成31年2月4日(月)~3月末
会   場 : 御茶ノ水イタリアン トラットリアレモン 千代田区神田駿河台 1-5-5 レモンパートII ビル1F
時   間 : 17:30~22:00 ラストオーダー21:30

レモンフェアは今年で2年目になります。今年も青いレモン島、愛媛県岩城島にある脇農園さんのレモンでお料理、カクテル、デザートをご用意します!
脇さんは中学生の頃に高村光太郎が書いた「レモン哀歌」という詩を読んだことがきっかけになり、レモンを育てようと思ったそうです。それまでレモンを見たことがなかった脇さんは、レモンとはどんな香りでどんな味がするのだろうと憧れたそうです。大学で農業を学び、昭和46年に愛媛県果樹試験場にやって来たときには、岩城島にレモンの木が1本もなかったそうなのですが、それが今では岩城島が「青いレモンの島」と呼ばれるほどたくさん育てられています。
その脇農園さんのレモンでシェフがご用意するのは!
昨年好評をいただいた脇農園レモンクリームソースパスタ、今年も復活です!野菜は旬のものが4種類ほど入っています。ほんのりレモンの酸味がクリームソースを軽やかにします。
そして今年は脇農園レモンと魚介のリゾットも。ドライトマト、魚介(日替わりですが海老やイカ、貝など)&レモンのさっぱりリゾットです。
シェフ力作2品どうぞお楽しみください。
カクテルは昨年お出しした自家製レモンシロップのレモンスプマンテ、今年はレモンモヒートも登場です!
デザートもレモンづくしでいかがでしょうか?
レモンのティラミスと、レモンパイもご用意しました。

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トラットリアレモンさんは、御茶ノ水にある老舗の画材店・レモン画翠さん(同じビルです)が経営するイタリアンレストランです。レモン画翠さんの前身の今井鐵次郎商店は大正12年(1923)創業で、昭和初期には光太郎の母校である東京美術学校内の売店を引き継ぎ、現在も藝大さんの中に姉妹店・画翠さんが続いています。卒業後も黒田清輝や父・光雲の胸像制作、それから後輩に招かれての座談会などのため、なんやかやで母校に足を運んでいた光太郎、売店を訪れていても不思議ではありません。

昭和25年(1950)には、本店の御茶ノ水に喫茶部ができ、それが現在のイタリアンレストランとなったそうです。こちらでは、愛媛県の脇農園さんと提携し、国産レモンを使ったメニューを充実させているとのことで、そのフェアとなります。

脇農園さんのご主人が、光太郎の「レモン哀歌」(昭和14年=1939)に触発されてレモン栽培を思い立ったというのですから、不思議な縁を感じます。

レモンといえば、やはり「レモン哀歌」からのインスパイアの要イメージ 2素もあるという米津玄師さんの「Lemn」。遅ればせながら購入しました。心にしみる歌ですね。そういえば、米津さんの故郷は愛媛に隣接する徳島県です。気になって調べたところ、国産レモンの出荷額トップは広島県。第2位が脇農園さんのある愛媛県、徳島県は19位でした。

昨日発効された日欧EPAや、数年前から話題のTPP環太平洋パートナーシップ協定などの影響で、日本の農業も転換点を迎えつつあり、レモンも今後どうなるか、というところですね。国産レモン農家さんにはがんばっていただきたいものです。

というわけで、トラットリアレモンさんの「脇農園レモンフェア」、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

雲と岩とのグロテスクさは想像の外にあるが、凡て宇宙的存在の理法に、万物を統一する必然の道が確にあると思はれる節がある。それは此等無生物の形態生成に人間や動物と甚だよく似たデツサンが用ゐられてゐる事だ。逆には、人間や動物の形態は此等物質の形態されると同じ機構上の約束によつて出来てゐるものと考へられる。

散文「三陸廻り 四 雲のグロテスク」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

雲や岩石、動物や人間(それからここに書かれていませんが、植物なども想定しているかもしれません)など、地球上の万物はその形態生成のあり方に共通する法則的なものがあるのではないか、という言です。だから雲を見て動物に似ていると感じるとか、人間の姿が見えるとかいうのは不思議でないというのです。


光太郎、この後の部分では、地球上に限らず、エイリアンがもしいたら、案外地球人と似た形態なのではないか、それが理にかなっているから、的な発言もしています。

卓越した造形作家の眼で見ると、そういうことなのでしょう。

十和田湖冬物語2019開幕。

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光太郎最期の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが行われる「十和田湖冬物語」が開幕しました。

地方紙『東奥日報』さんの記事。 

真冬の十和田湖に彩り/「冬物語」開幕イメージ 1 

 真冬の十和田湖をイルミネーションで幻想的に彩る「十和田湖冬物語」が1日、十和田湖畔の特設会場で開幕した。多彩な雪像とイルミネーションで彩られた会場は、記念撮影を楽しむカップルや家族連れでにぎわった。
  オープニングセレモニーで、実行委員会の中村秀行委員長が「会場が盛り上がり、地域活性化につながればと願っている」とあいさつ。小山田久市長らと雪像に点灯した。今年のメイン雪像は「雪龍と龍王」が向かい合う構図で、ライトで照らすと迫力満点の雪像が浮かび上がった。
  この日は天候が荒れ模様で、気温は氷点下6度の冷え込み。雪が降りしきる中でも午後8時すぎ、メインの花火200発が打ち上げられると、冬の夜空に光の輪が鮮やかに映え、来場者から歓声が上がっていた。
  冬物語は24日まで。毎日午後8時から花火200発を打ち上げる。会場にはかまくらBarなどの飲食店が多数並ぶほか、バナナボートなどの雪遊びも楽しめる。


続いて地方紙『デーリー東北』さん。 

銀世界に花火、幻想的な空間 イメージ 2十和田湖冬物語が開幕/青森

 北奥羽地方を代表する雪祭り「十和田湖冬物語」が1日、十和田市の十和田湖畔休屋地区特設会場で開幕した。会場では夜間、ライトアップや花火の打ち上げがあり、幻想的な空間を演出。来場者は彩り豊かな銀世界に魅了されている。24日まで。
  毎年恒例のイベントで21回目。メインステージにある高さ5・4メートル、幅17・4メートルの大雪像「雪龍と龍王」、大小の雪のモニュメントやイルミネーションが来場者を出迎えている。
  会場内では青森、秋田両県の料理が味わえる「雪あかり横丁」、氷のグラスでカクテルが飲める「かまくらバー」が人気。初日から来場者が写真撮影を楽しむなど、寒さに負けずイベントを満喫していた。
  開催時間は平日が午後3~9時、土日祝日が午前11時~午後9時。花火の打ち上げは午後8時から毎日行われる。


同じ『デーリー東北』さんには、こんな記事も。 

「十和田湖冬物語」が2位 行ってみたい冬の絶景スポット/じゃらん調査

 旅行雑誌「じゃらん」を発行するリクルートライフスタイル(東京)が、全国の一般男女を対象に調べた「行ってみたい冬の絶景スポットランキング」で、十和田市のイベント「十和田湖冬物語」が2位に選ばれた。投票者からは花火とイルミネーションが織りなす幻想的な景色を評価する声が多く挙がった。
  調査は昨年12月27日から1月7日までの間、インターネットで実施。全国数十カ所の観光地やイベントの画像を挙げ、行きたい場所を投票(複数選択可)してもらう方式で、10~50代の男女529人が回答した。
  投票者からは「冬の花火と、イルミネーションとのコラボレーションがすてき」という声が多数寄せられた。また、「彩りが鮮やかで楽しそう」「幻想的。これをきっかけに青森に行ってみたい」などの感想があったという。
  実行委事務局・十和田湖国立公園協会の太田勝男事務局長は「地元関係者で作り上げるイベントが上位に入ったことに感激している」と結果を喜ぶ。「冬の十和田湖畔で打ち上げる花火は、澄んだ空気とカルデラの地形により高い音が響く。会場を訪れたからこそ体験できることもあるので、ぜひ多くの人に来てもらいたい」とアピールした。
  1位は新潟県津南町の「つなん雪まつり」(3月8、9日=2019年の本祭チケット売り切れ)だった。
  同社は「上位に選ばれたスポットはライトアップや花火など、雪上を華やかに彩る仕掛けがある」と説明。「冬は空気が澄み渡り、雪明かりがより一層美しく見える。(冬の絶景スポットは)寒さの中に心温まる景色が広がる点も魅力だ」としている。


2月1日(金)、地元の十和田市さん発行の『広報とわだ』には、大きな案内も。

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ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

人間はただ已み難い自分の世界からのみ進むべきだ。

散文「三陸廻り 五 女川(をながは)港」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

女川港で、漁船に乗せてもらって漁師さんの仕事ぶりを体験してみようとした光太郎。どの船にも「旦那、何言つてござる」と断られ、素人が乗り込んでも迷惑にしかならないと気づき、浅はかな好奇心を恥じての一言です。

いわき市立草野心平記念文学館 冬の企画展「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」レポート。

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昨日は、福島県いわき市に行き、当会の祖・草野心平を祀る同市立草野心平記念文学館さんで開催中の、冬の企画展「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」およびスポット展示「天平と妻梅乃」を拝見して参りました。

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「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」の方は、奥の展示室1室を使い、心平が昭和27年(1952)3月に東京都文京区田町に開店した居酒屋「火の車」に関する展示。

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原稿、日記などの心平が書いたものが中心でしたが、「火の車」開店案内などを含め、光太郎に宛てて書かれた書簡類が多数展示されており、「光太郎がこれを手に取って読んだのか」と思いつつ感慨深く拝見しました。

逆に、光太郎が書いたものも。「火の車大福帳」(昭和28年=1953)の中に、開店一周年を祝う光太郎のメッセージが書かれているそうでした。当方、この存在は存じませんでした。ただ、その箇所ではないページが開かれており、見られませんでしたので、後ほど改めて拝見させていただきたいと思っております。

他に、光太郎と宮沢賢治についてのパネル展示、さらに花巻高村光太郎記念館さんの協力で、「光太郎レシピ」という連載が為されている隔月刊誌『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さんの既刊すべて(こちらは手に取って見られるように置いてありました)など。

「火の車」は、一時期の心平が心血を注いだ活動で、単なる飲食店の枠を超え、光太郎を含む多くの芸術家のサロン的役割を果たしました。しかし、気取った社交場ではなく、集まったそれぞれが人間性を剥き出しにし、激論を闘わせたり、深いつながりを生じさせたりと、その果たした役割は非常に大きかったと思われます。

心平の出す怪しげな料理(笑)と酒が、その媒介となりました。やはり「食」は生きていく上での基本ですので、集った面々も自らの基本に立ち返り、飾らない自己をさらけ出したのでしょう。光太郎もここでは珍しく下ネタを披露したと、「火の車」板前だった故・橋本千代吉の回想にあります。

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スポット展示「天平と梅乃」は、企画展示室の前の一角に。心平とはまたひと味違った、しかし、やはり根っこのところでは相通じる魂を持つ、弟・天平とその妻・梅乃に関する展示でした。

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3月10日(日)には、企画展関連イベントとして、料理研究家の中野由貴さんを講師に、「居酒屋「火の車」一日開店」が催されます。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

私は此夜見かけたいろいろの群像を幻想の中で勝手に構成してみる。エネルギイそのもののやうな鮪と女との構図をいつか物にしたいと思ふ。

散文「三陸廻り 六 女川の一夜」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

女川の飲み屋街を歩き、宿に帰っての感懐です。当時の女川は、新興の港町として非常に活気に溢れる町でした。夜ともなれば漁師たちが紅灯街に繰り出し、矢場や飲み屋など、さまざまな店で女たちが嬌声を上げ、停電になると街のあちこちで、さながら篝火のような焚き火。

居酒屋「火の車」も似たような雰囲気だったのかもしれません。

女川では、昼間、漁港で見た鮪(マグロ)や鮫、そして夜の女たちが光太郎の印象に深く残りました。下記は掲載誌『時事新報』に載った光太郎自筆のカットです。

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杉並区立方南図書館 「大人がたのしむお話会」/「三彩の会朗読ライブ 高村光太郎著 「智恵子抄」」。

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朗読系のイベントを二つ、ご紹介します。 

大人がたのしむお話会

期    日 : 2019年2月9日(土)
会    場 : 杉並区立方南図書館 杉並区方南1-51-2
時    間 : 14:00~
料    金 : 無料
出    演 : おはなし会ボランティアのみなさん
演    目 : <絵本>おおはくちょうのそら(手島圭三郎)     < 詩  >私たちの星(谷川俊太郎)
          <語り>幻のスパイス売り(アリソン・アトリー)   < 詩  >祝婚歌・生命は(吉野弘)
          <絵本>つみきのいえ(加藤久仁生・平田研也) <朗読>智恵子抄(高村光太郎)

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三彩の会朗読ライブ 高村光太郎著 「智恵子抄」

期    日 : 2019年2月10日(日)
会    場 : 淡路町カフェ·カプチェットロッソ  千代田区神田淡路町2-1クオリア御茶ノ水1F
時    間 : 13:00~ / 16:00~
料    金 : 2,000円 (ワンドリンク付き)
出    演 : 酒井敬幸(81プロデュース)・秋吉徹 (81プロデュース) ・水野貴雄  (プロダクション・エース)

 ~詩人・彫刻家高村光太郎が愛妻智恵子夫人 を偲んでうたった詩集「智恵子抄」~ 激動の昭和を生きた亡き光太郎の想いを、平成最後の世に酒井 敬幸をゲストに迎え、三彩の会が皆様にお届けします 興味のある方もない方も是非見に来てください!

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以前にも書きましたが、光太郎の詩作品は、そうだと思われていない部分も多いのですが、意外と朗読に向いています。歯切れのよいフレーズ感、わざとらしくなく散りばめられた韻、そして内容。

ぜひぜひ多くの方々に取り上げていただきたいものですし、聴いていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

軍港の候補地だといふ女川湾の平和な、澄んだ海を飛びかふ海猫の軍団が、網をふせた漁場のまはりにたかり、あの甘つたれた猫そつくりの声で鳴きかはしてゐる風景は珍鳥に値する。

散文「三陸廻り 七 気仙沼」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

気仙沼の皆さんには申し訳ありませんが、光太郎、気仙沼の街の様子は東京の真似のようだとがっかりしていますので、気仙沼の部分ではなく女川港を出航し、気仙沼へ向かうという場面です。

確かに女川港ではウミネコをよく眼にします。東日本大震災で壊滅し、復興なったJR石巻線女川駅も、ウミネコが羽ばたく姿をモチーフとしています。

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「ほんとの空が戻る日まで~東日本大震災と熊本地震の教訓から学ぶ~」。

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若干、先の話ですが、申し込み締め切りが近いのでご紹介します。

福島大学うつくしまふくしま未来支援センターさんの主催で、光太郎詩「あどけない話」中の「ほんとの空」を冠した東日本大震災からの復興支援シンポジウムです。これまでに京都東京愛知いわき新潟南相馬仙台、そして福島市でそれぞれ開催されてきました。このたび、九州で初の開催となります。  

ほんとの空が戻る日まで~東日本大震災と熊本地震の教訓から学ぶ~

期   日  : 2019年2月23日(土)
時   間  : 13時00分~17時30分
場   所  : 熊本学園大学 熊本県熊本市中央区大江2丁目5-1
参加対象  : 一般市民、教育関係者、行政職員、大学関係者、団体職員 他
参 加 費 : 無料
主   催  : 
熊本学園大学 国立大学法人福島大学うつくしまふくしま未来支援センター(FURE) 

 東日本大震災・福島第一原発事故から8年、また熊本地震発生から3年が経過しようとしています。
 このたび、福島大学と本学とで合同シンポジウム「ほんとの空が戻る日まで -東日本大震災と熊本地震の教訓から学ぶ-」を開催することが決定しました。被災地域が抱える課題、復興に向けてのさまざまな活動をご紹介するとともに、復興への取り組みを通して得られた経験や知見を「経験知・支援知」とし、将来の大規模災害にいかに活かしていくべきかについて議論します。参加ご希望の方は事前申込みが必要です(参加費無料)。下記の「参加申込フォーム」もしくは「チラシ・参加申込書」を参照のうえFAXもしくはメールにてお申し込みください。

プログラム
 Ⅰ部 基調講演
  「熊本地震からの復旧・復興、そして未来への礎づくり」……大西 一史(熊本市長)
 Ⅱ部 現状報告
  「熊本の現状と課題」……藤本 延啓(社会福祉学部講師)
  「福島の現状と課題」……初澤 敏生(FUREセンター長)
 Ⅲ部 パネルディスカッション
  「東日本大震災と熊本地震の教訓から学ぶ」
   モデレーター:初澤 敏生(FUREセンター長)
   パネリスト:藤本延啓(社会福祉学部講師) 照谷明日香(ボランティアセンター ボランティア・コーディ 
       ネーター) 本多 環(FUREこども支援部門特任教授) 深谷 直弘(FURE地域復興支援部門特任助教)

申込み方法:FAXかメールまたは申込フォームによりお申込みください。締切:2月13日(水)



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3.11も近いことですし、お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

若し此世が楽園のやうな社会であつて、誰が何処に行つて働いても構はず、あいてゐる土地なら何処に棲んでも構はないなら、私はきつと日本東北沿岸地方の何処かの水の出る嶋に友達と棲むだらう。そこで少し耕して畠つものをとり、少し漁つて海つものをとり、多く海に浮び、時に遠い山に登り、さうして彫刻と絵画とにいそしむだらう。
散文「三陸廻り 八 夜の海」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

昭和6年(1931)の、一ヶ月にわたるこの三陸旅行中、智恵子の心の病が顕在化したとされています。しかし、一方の光太郎は、この時期、ある種の「智恵子離れ」的なことも無意識に考えていたような気がします。そしてそれもまた智恵子の心の病を引き起こした要因の一つなのではないでしょうか。

傍証は上記の一節、特に「友達と棲む」。無論、これには「智恵子と別れて」という意味はないのでしょうが、大正期の光太郎であれば、何の臆面もなく「智恵子と棲む」と書いているはずです。

三鷹図書館「吉村昭と津村節子・井の頭に暮らして」展レポート。

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昨日は都内に出ておりました。メインの目的は永田町の国立国会図書館さんで調べ物でしたが、その終了後、三鷹市に廻りました。同市の三鷹図書館さんで開催中の「吉村昭と津村節子・井の頭に暮らして」展拝見のためです。

ともに小説家の故・吉村昭氏と、奥様の津村節子氏。夫婦同業、もっとも身近にライバルがいるというある意味過酷な状況で、互いに切磋琢磨してそれぞれベストセラーをものにしました。津村氏は、智恵子を主人公とした小説『智恵子飛ぶ』(平成9年=1997)に、その自らの体験を仮託されています。

昨年から今年の初めにかけ、吉村氏の故郷・荒川区の吉村昭記念文学館さんで「おしどり文学館協定締結1周年記念 荒川区・福井県合同企画展 津村節子展 生きること、書くこと」、及び、「第2回 トピック展示「津村節子『智恵子飛ぶ』の世界~高村智恵子と夫・光太郎の愛と懊悩~」が、同館と「おしどり文学館協定」を結ぶ、津村さんの故郷の福井県ふるさと文学館さんで「おしどり文学館協定締結1周年記念 荒川区・福井県合同企画展「津村節子~これまでの歩み、そして明日への思い~」が開催されましたが、今回は、ご夫妻で長く住まわれ、津村氏が現在もお住まいの三鷹市での開催です。

会場の三鷹図書館さんは、JR三鷹駅から路線バスに乗り、約10分。

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こちらの2階の一角が会場でした。

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先週まで、同市の井の頭コミュニティセンターさんで前期展示が行われ、そちらは参りませんでしたが、「巡回」と謳われているのでほぼ同一の内容だと思われます。

こういった展示向けに作成されたのでしょう、『智恵子飛ぶ』の原稿レプリカが展示されていました。講談社さんの雑誌『本』に初出時の第一回「輝く車輪」、第二回「みちのくの新風」、そして最終回「荒涼たる帰宅」の、それぞれ冒頭の部分。このうち第一回「輝く車輪」は、明治末、日本女子大学校の校庭で、智恵子が同校名物の自転車を颯爽と操っているシーンです。

 陽が長くなってきていた。
 運動場を囲む樹々は、夕陽を透して葉先から緑の色素がしたたり落ちるばかりに鮮やかであった。
 午後の授業が終り、学生たちはそれぞれ家や寮舎に帰ってしまったらしく、人影はない。
 智恵子は、磨き上げた婦人乗りの自転車に乗り、勢いよくペダルを踏んでいた。前髪をふくらませた庇髪(ひさしがみ)の鬢(びん)がほつれて、上気した頬に幾筋かかかっている。智恵子はそれを小指でかき上げながら、少し首をかしげたポーズで風を切って走る。練習し始めて数日しか経っていないのに、もう片手が離せるのが得意な気分であった。
 智恵子の乗った自転車は、銀色の車輪を輝かせて幾廻りも運動場を廻る。何という気持ちのよさだろう。どうして誰も乗ろうとしないのか、智恵子は不思議だ。

昭和3年(1928)生まれの津村氏の女学校時代は、太平洋戦争真っ最中。青春を謳歌するという時代ではありませんでした。そうした体験から来る一種の羨望も感じられる書き出しです。

他に、故吉村氏、津村氏それぞれ、それからご夫妻で共通の、様々な資料が展示されています。会期は今月24日(日)まで。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

スケツチしながら思ふのは、自然の持つ調和力だ。人工と人工とは衝突する。自然と人工とは衝突といへない程一方が大きい。僅少の叡智(アンテリジヤンス)を以てすれば人工はさう容易に自然を犯すものでない。

散文「三陸廻り 九 釜石港」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

自然破壊とか環境問題などといった意識が世の中にほとんど無かったこの時代にこういう発言をしている光太郎の先見性には舌を巻かされます。

また、「自然と人工とは衝突といへない程一方が大きい。」には、80年後に彼の地を巨大津波が呑み込んだことが予言されているようにも思われます。

そういえば、吉村昭氏には、釜石からそう遠くない田野畑村を舞台とした『三陸海岸大津波』(昭和45年=1970)という小説があり、津村氏は東日本大震災後も田野畑村によく行かれていたそうでした。

あべのハルカス美術館「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」。

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一昨年、日本橋の三井記念美術館さんで始まり、岐阜県イメージ 2現代陶芸美術館さん、山口県立美術館さん、富山県水墨美術館さんを巡回した展覧会の最後の開催地、大阪での開催です。うっかりご紹介するのを失念しており、始まってしまっています。

これまでの巡回各館同様、光太郎の父・高村光雲の木彫「布袋像」が出品されています。他の出展作はこちら。七宝の並河靖之・濤川惣助のダブルナミカワ、牙彫には安藤緑山、陶芸に宮川香山、木彫では光雲の朋友・石川光明など、人気作家がズラリ。さらに現代作家による超絶技巧の作も多数。  
期    日  : 2018年1月26日(土)~4月14日(日) 
会    場 : あべのハルカス美術館  大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16階
時    間 : 火~金 10:00~20:00   月土日祝 10:00~18:00
料    金 : 一般 1,300(1,100)円  大学・高校生 900(700)円  中学・小学生 500(300)円 ( )内団体料金
休 館 日  : 2月18日(月)、3月4日(月)、18日(月)

本物と見まがう野菜や果物、自在に動く動物や昆虫、精緻な装飾や細かなパーツで表現された器やオブジェ…。近年注目の高まる明治工芸と、そのDNAを受け継ぐ現代の作家たちによる超絶技巧の競演をご覧いただきます。人間の手が生み出す奇跡のような技術に加え、洗練された造形センスと機知に富んだ、驚異の美の世界をお楽しみください。

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関連行事

 

超絶!フォトジェニック・ナイト 2月16日(土)・3月16日(土) 各日 18:00~20:00

閉館後の展示室内で自由に写真撮影ができます。気に入った作品とコラボした超絶フォトで、狙おう、インスタ映え!  ※本展観覧券が必要です。ストロボ、三脚や自撮り棒などのご使用はご遠慮ください。
  

ハルカス大学連携講座「金属に託す瞬間の美 超絶技巧への挑戦」 2月17日(日)14:00~15:00

本展出品作家で、蒲公英(たんぽぽ)や桜などの繊細で儚い自然を金工で表現する、若き超絶技巧の担い手、鈴木祥太さん。制作にかける想いと、技の秘密を語っていただきます。 
 講 師  鈴木 祥太氏(本展出品作家、金工)   会 場 あべのハルカス23階 セミナールーム
 定 員  40名(事前申込制、先着順)
 聴講は無料ですが、本展観覧券(半券可)が必要です。
 お申し込みは、ハルカス大学webサイト(
http://harudai.jp/)、お電話(06-6622-4815)、もしくはハルカス大学受付(あべのハルカス23階キャンパスフロア)にて承ります。定員になり次第締め切ります。
 

スペシャル・トーク「日本美術応援団 驚異の超絶技巧を応援する! in 大阪」 2月17日(日)14:00~15:30

本展監修者で「日本美術応援団」団長の山下雄二氏と、団員の山口晃氏(美術家、本展チラシ挿画担当)が、熱き超絶技巧愛を語る!展覧会が100倍面白くなる対談です。
 出 演 山下裕二氏(本展監修者、明治大学教授)  山口晃氏(美術家)
 会 場 あべのハルカス25階 会議室   定 員 270名
 聴講料 1,500円(一般観覧券とオリジナルポストカード付き・税込)
 ※トークチケットは、11月16日(金)~1月25日(金)まで、下記にて販売します。定員に達し次第終了。ポストカードは当日会場にてお渡しします。【チケット販売所】ローソンチケット(Lコード:53513)

 
この他に、2月6日(水)には出展作の多くを所蔵されている清水三年坂美術館さんの村田理如氏の講演もありました。


「超絶技巧」系、数年前から人気のジャンルで、またいずれ同様の企画が組まれるような気がしますが、今回のものはこの大阪展が最後となります。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

私は緑色を好む。それで紺青の空と海とに挟まれた陸上の濃緑色の展望を見て喜ぶ。
散文「三陸廻り 十 宮古行」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

十回にわたって『時事新報』に連載された「三陸廻り」の最終回から。釜石の先にあるオイデ崎付近の海上を行く船から、リアス海岸の岸壁に密生する広葉樹の原生林を見ての感懐です。


若き日の智恵子がエメラルドグリーンを好んだのは比較的有名な話ですが、光太郎も緑色が好みだったのは意外といえば意外でした。もっとも、ここで言う緑色は、色としての緑というより、大自然の象徴としての樹木という意味なのかもしれません。

インバウンド十和田 多言語パンフ「OMOTENASHI GUIDE」・「乙女の像ものがたり多言語字幕版」完成お披露目会。

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青森十和田発の情報です。状況をわかりやすくするために、まず地方紙『デーリー東北』さんの記事から。  

外国客向けに多言語パンフ製作 十和田の市民団体

 十和田市の市民団体「インバウンド十和田」(米内山和正会長)は、同市の魅力である「観光」や「食」を発信するため、多言語対応のパンフレットとホームページ(HP)、動画をそれぞれ製作した。日本語、英語、韓国語、中国語の簡体字と繁体字の5言語に翻訳。米内山会長は「増加する訪日外国人観光客に日本や十和田の魅力を知ってもらい、経済発展につなげたい」とアピールしている。
 団体は昨年4月に発足。経済の活性化や観光振興、婚活などの事業を展開している。5日、市役所を訪問し、小山田久市長にパンフレットなどの完成を報告。小山田市長は「まちづくりに協力していただきありがたい」と述べた。
 パンフレットなどには、ご当地グルメの「十和田バラ焼き」、特産品の「十和田湖ひめます」やニンニク、ナガイモ、ゴボウ、ネギといった代表的な野菜を掲載。さらに十和田湖や奥入瀬渓流、市現代美術館といった市内の観光地を紹介している。
 製作には、市の「元気な十和田市づくり市民活動支援事業」の補助金を活用。パンフレットは500部作成し、市内の観光施設で配布する。動画は23日午前10時から市民交流プラザ「トワーレ」で開く、完成お披露目会で公開する。HPアドレスはhttps://towada.site/spot.html

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というわけで、その完成お披露目会。  
期    日  : 2019年2月23日(土)
会    場 : 市民交流プラザトワーレ多目的研修室 2・3  青森県十和田市 稲生町18-33  
時    間 : 10:00~12:00
料    金 : 無料

インバウンド十和田では、「十和田市の魅力を世界に発信!」と題した十和田市の魅力である「観光」と「食」のコンテンツを1つにまとめ、インバウンド対応(日本語・英語・韓国語・中国語簡体字・中国語繁体字)を施した「パンフレット・WEBページ・動画」の制作を行いました。こちらの完成お披露目発表会を下記日時で開催いたします。
また、同時開催として、劇団エムズパーティーが制作した朗読劇「乙女の像ものがたり多言語字幕版」の完成お披露目会を行います。

【第1部】  (10:00 ~ 10:20) 発表:インバウンド十和田
 十和田市の魅力を世界に発信!
 ・パンフレットの紹介 ・WEBページの紹介 ・動画の公開(英語字幕で公開)
 
【第2部】  (10:20 ~ 11:40)  発表:劇団エムズパーティー
 ・観光マナー動画の公開(英語字幕で公開)
 ・乙女の像ものがたり多言語字幕版の公開(英語字幕で公開)
 
【第3部】 (11:40 ~12:00)
 参加された外国人・翻訳者の方々との意見交換会

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増加するインバウンドの皆さん向けに、他言語版のパンフレットが作成されたそうで、そのお披露目会。ついでに当方原作、劇団エムズ・パーティーの皆さんが演じられた朗読劇「乙女の像ものがたり」のDVDの、こちらも多言語字幕版を上映されるとのこと。

海外の方と、ひとくくりにはできませんが、光太郎をはじめとする「乙女の像」建立に関わった人々のドラマ、どのように受け止められるか興味深いところです。
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お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

冬の季節ほど私に底知れぬ力と、光を包んだ美しさとを感じさせるものはない。満目蕭條といふ形容詞が昔からよく冬の風景を前にして使はれるが、私はその満目蕭條たる風景にこそ実にいきいきした生活力を感じ、心がうたれ、はげまされ、限りない自然の美を見る。

散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

こよなく冬を愛した光太郎、「満目蕭條」の語も好みました。戦後になって、花巻郊外太田村の山小屋で蟄居生活を送るようになると、書にしたためたりもしました。

本来、「見渡す限りもの寂しいこと」の意なのですが、まじりけのない、余計なものをすべて削ぎ落とした、といった意味としてとらえ、そこに究極の美を見いだしたのでしょう。

新聞各紙から。

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まずは『福島民友』さん。当会の祖・草野心平を祀る同市立草野心平記念文学館さんで開催中の、冬の企画展「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」について。  

【いわき】草野心平、居酒屋の逸話イメージ 1 いわき・記念文学館企画展

 いわき市草野心平記念文学館は3月24日まで、同市小川町の同館で企画展「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」を開いている。
 草野心平は家族を養うために、詩を書く以外にさまざまな仕事をしていた。居酒屋もその一つで、1952(昭和27)年3月に東京都文京区で開店、約5年間継続し、文学仲間との議論が繰り広げられていた。
 企画展では、居酒屋の開店から閉店までの逸話がうかがえる原稿や草野心平が高村光太郎に宛てた手紙など24点を展示した。3月10日には「火の車」ゆかりのメニューを試食できるイベントも行う。居酒屋の店舗を再現した常設展示も行っている。
 開館時間は午前9時~午後5時。月曜日は休館。問い合わせは同館(電話0246・83・0005)へ。


続いて『読売新聞』さん。信州善光寺さんで開催中の「第十六回長野灯明まつり」に関して。  

山門に浮かぶ平和への願い…善光寺ライメージ 2イトアップ

 長野市の善光寺をライトアップする「長野灯明まつり」が6日、始まった。本堂や山門などが赤、黄、緑、青、紫の5色に染め上げられ、多くの来場者が見入っていた。
  平和への願いを込めて、2004年から毎年開催。今年は、オーストリア、ハンガリー両国が日本と外交関係を結んで150周年の節目となるため、山門には「平和」の文字やバレエやワルツを踊る様子がレーザー光線で映し出された。
  演出を担当した照明デザイナー石井幹子さん(80)は「ゆっくり光を眺めて、平和のありがたさを感じてほしい」と話した。11日まで。


同じ件で、共同通信さん。  

長野・善光寺が5色に輝く 平和願いライトアイメージ 3ップ

 長野市の善光寺を赤、黄など5色にライトアップする光のイベント「長野灯明まつり」が6日から始まった。1998年の長野冬季五輪の「平和を願う精神」を後世に継承するのが目的で、今年で16回目。11日までの夜間に開催する。
  国宝の本堂や、鐘楼が、五輪をイメージした赤、黄、緑、青、紫の5色に照らされると、観客から「きれい」と歓声が上がった。クラシック音楽が流れる中、本堂手前の山門に平和を意味する文字が日本語や英語、ドイツ語など4カ国語で映し出される演出も会場を沸かせた。
  川崎市の大学生佐藤絵莉香さん(22)は「写真をたくさん撮れて良かった」と笑顔を見せた。


こちらでは、光太郎の父・高村光雲と、高弟の米原雲海による仁王像のライトアップも為されています。


それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

私はまだ零下四〇度などといふ極寒の地を踏んだ経験がなく、パミイル高原のやうな塩白み果てた展望を見た体験がないから、冬の季節の究極感を語る資格を持たないやうにも思ふが、又考へると、さういふ強力な冬の姿に当面したら、なほさら平常の感懐を倍加するのではあるまいかといふやうな気がする。

散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

この項、一つの作品から一節ずつというのを基本としていますが、例外的に昨日と同じ「満目蕭條の美」から。此の文章、あまりにも光太郎という人物を端的に物語っていますので……。

『毎日小学生新聞』「井上涼の美術でござる 高村光太郎の巻」。

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昨日の『毎日小学生新聞』さん、マルチアーティスト・井上涼さんの連載「井上涼の美術でござる」が「高村光太郎の巻」でした。

井上さんといえば、NHK Eテレさんで放映中の「びじゅチューン!」のアニメーション制作や歌、さらに出演もなさって取り上げた美術作品や作者の解説もされています。同番組ではこれまでに光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)を扱う「指揮者が手」、光太郎の心の師・ロダンの「地獄の門」(明治13年=1880~大正6年=1917)をモチーフとした「ランチは地獄の門の奥に」などが放映されています。

「井上涼の美術でござる」も、「びじゅチューン!」同様、かなりの脱力系(笑)。なぜか二人の忍者が主人公で、それも「忍者B」と「忍者C」(笑)。

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本当にあったら参加してみたいものですが、光太郎との「握手会」というシチュエーションです。

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光太郎もノリノリです(笑)。

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合間に的確な解説も入り、読者対象として想定されている小学生諸君にもわかりやすいと思われます。

「井上涼の美術でござる」、昨年から連載されているということで、もう少し溜まったら、ぜひ単行本化していただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

木枯らしの吹きすさぶ山麓の曠野を行く時、たちまち私の心を満たして来るのは、その静まりかへつた大地のあたたかい厚みの感じと、洗ひつくしたやうな風物の限りないきれいさと、空間に充満するものの濃密な密度の美とである。

散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

この項、一つの作品から一節ずつというのを基本としていますが、例外的に昨日、一昨日と同じ「満目蕭條の美」から。この文章、あまりにも冬を愛した光太郎という人物を端的に物語っていますので、この際、全文を少しずつご紹介してしまおうと思っています。

ところで今朝は今年3回目の雪でした。まぁ、自宅兼事務所のある千葉で雪が降るとなると、冬型の気圧配置がゆるんでからのことなので、春が近いことの証でもあるのですが。

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テレビ放映情報。

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テレビ放映情報、4件ほど。  

にほんごであそぼ

NHK Eテレ  2019年2月15日(金)  6時35分~6時45分  再放送 17時00分~17時10分・3/1(時間同じ)

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、花鹿亭/「テスト」瀧川鯉八、ヨシタケシンスケ/僕の前に道はない僕の後ろに道はできる「道程」高村光太郎、野村萬斎/ややこしや「まちがいの狂言」高橋康也、百人一首/恋すてふわが名はまだき立ちにけり…(壬生忠見)、名文/祗園精舎、歌/蜘蛛の糸

出演  美輪明宏 野村萬斎 野村裕基 おおたか静流 うなりやベベン 瀧川鯉八 ほか

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この番組、何度か「道程」を取り上げて下さっています。その際の映像の使い回しなのか、新作なのか、不明ですがとりあえず。
  

ドラマ"女川 いのちの坂道"メイキング

NHK BSプレミアム  2019年2月17日(日)  17時20分~17時25分

全編ドローンで描くドラマ「女川 いのちの坂道」。震災で深刻な被害を受けた宮城県女川町。12歳で被災した咲が恋人翔太とたどる青春ロードムービー。その舞台裏に密着!

東日本大震災で甚大な被害に見舞われた宮城県女川町。卒業間際で被災した子供たちは「1000年後のいのちを守ろう」と、あの日津波が到達した場所に『いのちの石碑』を建てる活動を続けている。ドラマはその実話をもとに今年20歳になる若者たちの青春群像をロードムービータッチで描く。このドラマの見どころは異例の全カットドローン撮影。放送に先立ち、その舞台裏をメイキング映像も織り交ぜ、余すところなく伝える。

出演 平祐奈 平埜生成

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3/9(土)に、やはりNHK BSプレミアムさんで放映されるスペシャルドラマ「女川 いのちの坂道」の番宣番組です。

かつて女川町に建っていた、昭和6年(1931)の光太郎の女川来訪を記念する「高村光太郎文学碑」の精神を受け継ぎ、費用全額を寄付で集めた「いのちの石碑」をめぐる実話を元にしたドラマです。その建立に携わっている若者たちは、今年、成人式を迎えました。3/9の本編と併せてご覧下さい。

 

ブラタモリ #126 パリ~パリはなぜ華の都になったのか?~ 

NHK総合 2019年2月16日(土) 19:30~20:15

ブラタモリ海外編、第2弾はフランスのパリ!
「凱旋門」や「エッフェル塔」などの観光地や美しい町並み。さらにファッション、アート、グルメを求め、世界中から集まる観光客は実に年間2360万人!世界の人気観光地ランキングでもナンバーワンの街です。そんなパリを形容する言葉としておなじみなのが“華の都”。なぜ、パリは人でにぎわう美しい“華の都”になったのでしょう?その秘密にタモリさんが迫ります。
まずは有名な「ノートルダム大聖堂」があるシテ島へ。実はここ、2000年に渡ってパリの“中心”とも言える場所。その証拠が大聖堂の足元にあると言うのですが・・・???謎のマークの上で、ぐるぐると回る外国人観光客とタモリさんが国際交流!?さらに、町のなかでみつけた奇妙な段差。実はこれ、超大規模な町の改造の痕跡。さらにそこからパリを代表するオープンカフェが誕生した・・・ってどういうこと?
そしてあるホテルの地下に入っていくと、なぜかそこに、現れたのは「謎の都市」だった???誰も知らない、パリの意外な姿があきらかに!

出演 タモリ 林田理沙   語り 草剛

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ブラタモリ #127 パリの美~パリはなぜ華の都になったのか?~

NHK総合 2019年2月23日(土) 19:30~20:15

舞台はフランス・パリ。今回こだわるのはパリの「美」です。数多くの美術館があり、著名な芸術家を生み出してきたパリは、まさに芸術の都。統一された建築物と街角のブロンズ像や彫刻はパリの美しさを引き立てています。実はこれも、パリ独自の「地形」「地質」と関係があった???「コンコルド広場」「オペラ座」「凱旋門」「モンマルトルの丘」をめぐりつつ、「美」と「地質」の意外な関係をブラタモリ的視点からひもときます。
パリと言えば、特徴的なのは白く美しい建物の数々。統一感のある道沿いの建物には、さまざまな制限がかけられています。中でもその統一感を決定づけているのは「石材」。その大量の白い石材は何?そして一体どこから持ってきたのか?その答えは、パリ市内の中心部、地下20メートルにあった?
さらに凱旋門の屋上にも上ったタモリさん。そこで目にした、美しきパリの風景とは?

出演 タモリ 林田理沙   語り 草剛

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一昨年には「#81 十和田湖・奥入瀬 ~十和田湖は なぜ“神秘の湖”に?~」で、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を映してくださった「ブラタモリ」。過日放映のローマ編につづき、2週連続で、光太郎が1年近くを過ごしたパリを取り上げます。光太郎の名はおそらく出てこないとは思いますが、1週目には詩「雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)に謳われたノートルダム大聖堂などが紹介されますし、2週目では「パリの美」ということですので、光太郎の心の師・ロダンには触れていただきたいものです。

まだ放送予定が出ていませんが、再放送があるはずですので、本放送後にレポートします。


それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

風雪の為すがままにまかせて、しかも必然の理法にたがはず、内から営々と仕事してゐる大地の底知れぬ力にあふと、私の心はどんな時にもふるひ立つ。百の説法を聴くよりも私の心は勇気をとりかへす。自然のやうに、と思はずにゐられなくなる。
散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

「寒い、寒い」とちぢこまっていては駄目なのですね(笑)。

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自宅兼事務所近くの田園風景です。

水谷鉄也作 高安宗悦先生寿像。

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東京美術学校(現・東京藝術大学さん)で、光太郎と同期だった彫刻家に、水谷(みずのや)鉄也という人物がいました。「鉄」の字は「銕」とも表記されたり、「佳園」と号したりしましたので、「水谷銕也」、「水谷佳園」で検索網に引っかかったりもします。また、書籍によっては、苗字も「水ノ谷」となっているものもあります。

水谷は長崎島原の出身で、光太郎より7歳年長の明治9年(1876年)生まれですが、郷里を出て奈良で木彫家の森川杜園に学んでから美校に入学したため、年の離れた光太郎と同期となりました。水谷や光太郎の入学当初は美校彫刻科には木彫科しかなかったのですが、明治32年(1899)に、イタリア帰りの長沼守敬を主任とする塑造科が新設され、水谷はそちらに移りました。卒業は光太郎ともども明治35年(1902)。この際の卒業制作「愛之泉」(左下)は、光太郎の「獅子吼」(右下)を抑えて首席となりました。

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「愛之泉」は、一昨年、東京藝大美術館さんで開催された「東京藝術大学創立130周年記念特別展 藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!」に出品され、拝見して参りました。優美な作風の作品で、確かに荒っぽい「獅子吼」よりきれいな作ではあります。

また、平成27年(2015)には、武蔵野美術大学美術館さんで「近代日本彫刻展」が開催され、そちらでは水谷作品は木彫の「海老」(大正15年)が出まして、拝見して参りました。この展覧会はイギリスのヘンリ・ムーア・インスティテュートさんとの共同企画で、「海老」はイギリス展にも展示されました。光太郎作品は木彫の「白文鳥」(昭和6年=1931頃)、ブロンズの「手」(大正7年=1918)が出品されました。

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美校卒業後、水谷は同校で教壇に立ち、その間にヨーロッパ留学も経験しています。


さて、昨年の話になりますが、以前に連翹忌にご参加いただいた、水谷の令孫(茨城県にお住まいです)から、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市に、水谷の作品があるという情報を得ました。これには驚きました。そして詳細を知って二度びっくり。何と、勤め人時代にその前を通って十数年通勤していた銅像だったからです。

過日、改めて見に行って参りまして、撮ってきた画像がこちら。

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イメージ 9イメージ 10






























高安宗悦という、この地で開業していた接骨医の銅像でした。元は昭和10年(1935)の作です。が、どうもこの手の銅像の通例で、戦時中に金属供出にあったらしく、昭和35年(1960)再建というプレートも付いていました。

前を通って通勤していながら、車を駐めてきちんと見るということをしていなかったのですが、車窓から見てもその辺によくある立体写真的な俗悪銅像とは違うとは思っていました。しかし、まさか光太郎ゆかりの人物の作だとは思いもよらず、汗顔の至りです。

さらに、高安宗悦について調べてみて、三度びっくり(笑)。宗悦の子息の恭悦は、漢方医の浅田宗伯の養子となりましたが、その養父・浅田宗伯こそ、かの「浅田飴」の考案者だったのです。

地元の歴史などについても、もっと関心を持たなければ、と思い知らされました。


【折々のことば・光太郎】

葉を落とした灌木や喬木、立ち枯れた雑草やその果実。実に巧妙に縦横に配置せられた自然の風物。落ちるものは落ち、用意せられるものは用意せられて、何等のまぎれ無しにはつきりと目前に露出してゐる潔い美しさは、およそ美の中の美であらう。彼等は香水を持たない、ウヰンクしない。見かけの最低を示して当然の事としてゐる。
散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

すっかり葉を落としながらも、実は既に芽をふくらませ始めている連翹や桜などの庭木を見ると、この光太郎の言が実感させられます。
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